三成を血祭りに一大粛清のあらしが吹くはずが、家康がガス抜き


 問うに落ちず語るに落ちるという言葉があります。政権トップの座を隠れ蓑にしてやりたい放題の秀吉でしたが、小早川秀秋にまで手を出したのが失敗の原因でした。頭隠して尻隠さずの恰好になって秀吉の本質ともいうべき犯罪性がバレバレになってしまいました。

秦野裁判長は開廷と同時に口を開きました。

「関ヶ原合戦の眼目は家康の評価だな。加藤清正らが朝鮮半島から続々と帰国してきて、半年前に秀吉は死んでいたことを知って驚くと同時に、その間、小狐の三成によいように操られていたことがわかり、怒り心頭に発した。どこまでも祟る気か、このやろうということで、三成を血祭りに一大粛清のあらしが吹き荒れるところを家康が巧妙にガス抜きに奔走した。本日はここのところの証拠調べを行う」

「よくぞ、そこにお目を向けられました。これまではだれも秀吉を悪人と思わなかったからいろんな点で見落としがあるのです」

 長井検事は陪審員席に訴えました。

「これまでの推移でおわかりと思いますが、『小早川秀秋の目に映った』とタイトルをつけたように、秀秋に注目することによって秀吉が秀秋にした仕打ちに自然と目が向いて、その犯罪性が浮き彫りになったことは予期せぬ収穫でした。このことをもって私たちが意図的に秀吉を悪者に仕立て上げようとして臨んだのではないということがおわかり願えると思います。同時に、まだまだ見落としや発見が多いのも日本史の世界であるとますます実感しました。日本史くらい好奇心を満たしてくれる分野はないのです。まさに知的エンターテイメントの宝庫なんです。正誤をただすなどということより、多いに知的好奇心を発揮して日本史のエンターテイメント性を発揮していただきたいと念願してやみません

 長井検察官がどうしてこうまで任意性を訴えるのかというと、ある編集者から「日本史門外漢の検事が既存の説をとやこういうのは日本史に対する冒涜だ」と批判されたのがトラウマになっているのです。原発と同じです。電力は難しいからシロウトには理解できない。原子力はもっとわかりにくい。だから、専門家に任せておけ。いわゆる原発安全神話です。専門家に任せた結果が福島第一原発事故です。巨大投資して地下水ダムを築いて地下水が原発敷地に入りこまないようにしないと事故処理が始まらないのに、安くあげよう、安くあげようで、凍土壁などという小手先対策ばかりやるから、最後には地下水ダムの何倍もの投資をすることになってしまう。それと同じなのです。今、日本史を事実と照合して誤差を少なくしておかないと、五十年後の孫や曾孫に笑われてしまうでしょう。

 それはさておき。

 長井検事は秦野裁判長にいいました。

「殿下が死ぬのを待つしかないとあきらめていたところへ『秀吉の死』という待ちに待った事態がいきなり実現をみたわけですから、「待ってました」という気持ちがまず起きてきます。このときの清正らが期待する新しい政権担当者はだれでしょうか。まだ、わからないので仮にエックス侯と呼ぶことにします」

「さあ、誰に向かうかな」

「秀頼ではない理由はさんざんに述べてきました。繰り返したくない理由なので省略します。順序からいうと五大老ですが、毛利輝元、上杉景勝は敵性が完全に抜けきれておりませんから除外します。すると、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家の三人になります。ここで恰好の物差しになるのが、秀吉の死の翌日に家康討伐を企てた石田三成です。しかし、三成が望むのは秀頼後継ですから家康がライバルの本命です。逆に敵の敵は味方の考え方で、三成に恨み骨髄の清正らの期待は家康に向かいました」

「犯罪捜査顔負けのセグメント(選別)だな。統計学の世界では情報を整理して認識地図というものをつくって考えを整理するようだが、この時点でそれをやるとどういうことになるのかな」

「そのためにもエックス侯を確定させなければなりません」

「三成が家康を殺そうとしたのは最大のライバルだからだろ。清正らの期待は家康にいやでも向かうがな」

「では、エックス侯は家康と確定させていただきます。すると、家康はどうしたでしょう」

 わかり切ったことですが、手続きを踏むとこういう展開になります。

 

 三成は死中に活を得て家康の腹のうちをのぞき見る

 秦野裁判長が長井検事の質問に答えました。

「朝鮮渡海の間中、あるいは秀吉の死後半年間、石田三成によって秀吉に讒言を吹き込まれて戦地でその怒りを溜め込んで帰った連中が、今、また半年も無駄に朝鮮に置き去りにされたと知ったのだから、三成への憎しみを爆発させないはずがない。ところが、結果は未遂のまま不発に終わった。この事実はゆるがせにはできんぞ」

「本当は家康が政権の座にいないとおかしいのです。大和大納言秀長が亡くなり、大政所が他界する時点で、羽柴政権が徳川政権に禅譲するのが筋でした。ところが、資格のない秀吉が横からかっぱらってできたのが豊臣政権です。それを一番よく知っていて忠実に守ろうとしたのが北政所(高台院)でした。ここがわからないと北政所は秀頼支持などというとんちんかんなことをいい出すことになってしまいます」

「政権の座にいるべき家康がいない、定まった席に就くために何をどうしたか。それが問題だな」

「家康が真っ先にやったのが、生前の秀吉が決めた法度を破り、勝手に諸大名間の婚姻に関与しました。シグナルとしてはそれで十分でした」

「もう豊臣政権ではないのだぞ、という無言の意思表示だな」

「自分を殺そうと画策する三成に口実を提供するためといったほうが正確ではないかと思います」

「やれるものなら、やってみろか。自信満々だな」

「ところが、とんだ邪魔が入りました。前田利家が一月に病気を押して伏見城の家康を訪問、三月には家康が大坂城に前田利家のもとに答礼に訪れることになりました。そのとき利家は病床から起き上がれず、臥せった状態で『利長をよろしく』と頼みました」

「反家康の旗頭と頼み期待してきた利家に三成の願いは空しく裏切られたわけだな」

「このときも三成は家康を襲って殺そうと謀り、能登侍従前田利政を取り込みましたが、失敗に終わりました。利政にまでちょっかいを出してきた三成を芳春院は遠ざけようとします。それでも三成は利家の屋敷から出て行こうとしません。自分に恨みを含む朝鮮渡海組の大名連中に自分が利家にうっちゃられたと知れたらどうなるか、まだ対策が決まらなかったので、うかとは移動できなかったわけです」

「そのために、利家が亡くなった日、加藤清正、黒田長政、細川忠興、福島正則、加藤嘉明、浅野幸長、池田輝政の七将がしびれを切らして前田屋敷にいる三成を襲ったのだったな」

「手引きする者があって、前田邸からはまんまと逃げおおせましたが、宇喜多家の伏見屋敷を経て、結局、逃げ場を失い、三成が伏見の徳川邸に逃げ込んだのは有名な話です。しかし、家康にとってはまだ三成を殺すタイミングではありませんでした。三成というリトマス試験紙を用いて徳川支持派、反徳川派、ふるいにかけていずれかに分別することのほうが重要だったからです」

「三成は家康が自分を殺さなかったことで、家康の本当のねらいに気づいたわけだな。この俺を天下取りの道具に使うつもりなのか。おもしろい、受けて立ってやろうじゃないか、と。もし、そうではなくて、最初から家康の腹を読んで敵の懐に逃げ込んだのだとしたら、三成の評価はかなり上がるのだがな」

「おっしゃる通りだと思います。いずれにしても、家康の腹は確かめられたのですから、東西両軍を決戦に導き雌雄を決せさせようという構想がこのとき三成の脳裏に生じたといってよいと思います。ただし、決戦の場は関東で、岐阜でも、関ヶ原でもありませんでした」

「そこだな。関ヶ原に決まるのはいつのことか、それも見落としてきたことの一つだといってよい。しかし、家康はそのときいろんなことを試したのではなかったかな。ただ、三成をリトマス試験紙として利用しただけではなかったはずだ」

 普通なら通り過ぎてしまうところを秦野裁判長は決して見逃しません。

 

 清正らアンチ三成の七将は誰のいうことなら聞くのか

 

 長井検事が賛同してつづけました。

「おっしゃる通りです。伏見の家康邸の門前に押しかけて『三成を渡せ』と騒ぐ七将の処置を誤ると、天下人として期待のかかる家康は元も子もなくしてしまいます。清正らは誰のいうことなら聞くのか。もちろん、誰というのは北政所、未亡人となってからは高台院ですが、七将は高台院のいうことをどこまで聞くのか、それを試したのでした」

「殿下がなくなったばかりなのに騒動を起こすわけにはいかない、ここは家康に任せて引き揚げなさい。家康は高台院にそういわせたのです」

「効果てき面でした。七将は高台院の名を出されただけでおとなしく退散したのです。そこで、高台院を使わない手はない、となったわけです」

「家康が秀秋を越前北ノ庄十五万石から筑前名島三十万七千石に戻したのは慶長四年八月のことだったな」

「三成の一命を助ける代わりに奉行職を剥奪、居城の佐和山に謹慎を命じた後のことでした」

「高台院は感謝しただろうな。七将にしても家康は頼りになると思った。家康に任せるというパターンをつくったわけだな。この心理的効果は無視できない要素だぞ。そして、秀秋は高台院を取り込むための有力なカードになった。ここに一つの大きな出発点がある」

「出発点ですか」

「三成をだな、こちらの都合のよいように生かそうという決断だな。そのための条件が揃ったわけだろ。だから、東西両軍の合戦の発端はここにあるといってよいと思う。筑前名島三十万七千石は人望もあり人徳のあった小早川隆景の領地だったからな。秀秋としては物的被害にとどまらず精神的被害が甚大だった。それを批判し元に戻すことで、いわゆる秀吉政権の欲ボケぶりの象徴にしたわけだよ。直江状などは目に見えるだけで、意味合いからすると、単なる小道具にすぎん」

 長井検事は感嘆するあまり言葉が出ないようでした。

「今日はここまででよいだろう。くわしいことは明日審理すればよい」

 こうしてこの日の審理は終了しました。

 小早川秀秋を取り上げたお陰でこれまでは思いもよらなかったいろんなことがわかってきました。秀秋を旧領に戻した家康の行いは清正ら七将が秀吉人脈の一大粛清に発展しそうな緊迫感のガス抜きの役割を果たしました。

「殿下が死ぬのを待つしかない」

 豊臣政権の治世に絶望的だった世の人々の期待は一気に家康に集まりました。当時、生きていたら、世の中の空気ががらりと変わるのをだれもが感じたことだろうと思います。長井検事のいう見落としの中でも最大のものといえましょう 
(つづく)




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