ジョン万次郎の帰国航海の一部始終(その3)
昨日の公判において、ジョン万次郎の手紙が、手紙文の解析結果いかんでは重要な物証になることが予告されました。本日の公判は、それを受けての審理となります。
開廷と同時に、秦野裁判長がいいました。
「ジョン万次郎の航海にはナゾが多いんだ。しかし、それも、今、しばらくの間までのことだがな。さあて、お立会い、といったところだな。引き続き、検察官に論述書の代読を頼みたい」
「承知しました」
以下は、長井検事による秦野裁判長の論述書の代読です。
さて、ところで。
ジグソーパズル仮説『レインボウ・オブ・オーシャン』とは、いかなる内容のものかというと、ようやく輪郭が見えてきたにすぎない。振り返ってみると、ミスターXことジョセフ縫之助(仮説上の人物・仮名)がマンハッタン号に乗ってアメリカ本国へ渡ったとき、すでにマクドナルドも、ジョン万次郎もアメリカ本土にはいなかったわけである。ジョセフ縫之助は間違いなくマクドナルドとジョン万次郎と顔を合わせるか、連絡を取り合うか、どちらかでなければならないはずなのであるが、それはまだ先のようだ。さいわいなことに、ブキャナンの「伝書鳩プロジェクト」の構成は変わらず、ジョセフ縫之助がひどく重々しく茶色い石壁の旧国務省の建物に居場所を見出すのは、当然のなりゆきであろう。
しからば、なぜ、マクドナルドだけでなくジョン万次郎までもが相次いで日本への経由地ホノルルないしはグアムへ向かったのだろうか。
物事は必ずしもストーリーの展開に都合よく運ぶとは限らない。
一八四五(弘化二)年四月、イギリス貿易監督官デービスは本国政府外相アバディーンに書簡を送って、
「日本政府はイギリスが勝利した清国との戦争の結末をよく理解しているようだから交渉に応ずるはずです。強力な艦隊を見せつけることが日本政府にうんといわせる最善の方法と思量します」
と説得した。
これが、そもそも、齟齬の始まりなのである。
清国がアヘン戦争の賠償金を支払い終わったとき、イギリス軍は舟山列島から撤退しなければならない。デービスは、その時期を西暦一八四六(弘化三)年と想定したうえで、任務を終えた艦隊を浦賀に向かわせ、武力を背景に通商条約の締結を幕府に呑ませようと考えた。
しかし、以上の情報をキャッチしたアメリカ政府海軍長官バンクロフトは、同年五月二十二日、イギリスの動きに先んじようとして在マカオ東インド艦隊司令長官ビッドル提督に、対日条約交渉着手の指令書を発送した。国務長官ブキャナンはバンクロフトの独断専行に抗議し、命令の撤回を求めた。これらはいずれも、「一八四五年六月八日、アンドリュー・ジャクソン死去、享年七十八歳」という出来事を受けてのことだ。
四月、五月、六月とブキャナンにとっては足許から鳥の群れが一度に飛び立ったようなシチュエーションだったのである。今日に生きるわれわれは結末を知っているから、ブキャナンの驚愕なり戸惑いをなかなか理解できないできてしまったのであるが、神とも頼むジャクソンに先立たれたまさにこのとき、明日のことなどわからない神ならぬブキャナンの身になって考えるならば、われらとしても決して安閑としてはいられないであろう。
クーパー船長が、「日本に連れて行く漂流民としてならジョン万が最適ではないか」と持ちかけたのに対し、ブキャナンは「ジョン万は大事な伝書鳩なんだ。しかも、まだタマゴだ。腫れ物に触る感じで、まだ接触もしてない」とむきになって反発したが、背に腹は変えられないという思いから、直ちにホイットフィールド船長とジョン万次郎をホワイトハウスに呼び、ポーク大統領に会わせてから「伝書鳩プロジェクト」への参画を求めた。
愛国心の強いホイットフィールド船長に否やはない。前の年に長男ウィリアムが誕生していたことも、ジョン万次郎を伝書鳩要員として参加させる条件として追い風になった。万次郎にも拒む理由はない。伝書鳩として万次郎が伝えることもまた格別のことではなかった。
「アメリカの望みは清国との貿易拡大にある。清国との貿易のために太平洋航路が開設されたとき、石炭補給地として一港、捕鯨船の薪水食料品調達地として一港、都合二港を開港してもらえればよい。日本が貿易するかどうかの判断はフランスの養蚕地が微粒子病で全滅に向かっているという確かな情報をもとに下されたらよろしかろう。日本国政府が、もし貿易を望むなら、輸出用の生糸の増産に努められたい。通商条約の締結はそれからでも遅くはない」
これがジョン万次郎に託すブキャナンのメッセージであった。しかし、われらとしては、日本側には次の事実があることをあらかじめ明かしておく必要があろう。
一八四六(弘化三)年六月一日、将軍家慶は島津斉興と斉彬に接見し、「琉球はその方の一手に委任のこと」と告げた。つづいて六月八日、老中首座阿部伊勢守正弘は調所広郷を江戸城に呼びつけて、「琉球支配は薩摩藩に一任、やむを得ない場合は交易を許す。ただし、相手はフランスに限り手細く行え。そうする分には交易を結んでも幕府に異存はない」と告げた。
相手はフランスに限るというからには、生糸輸出を念頭に置いているのは確かで、輸出用の生糸の増産にはどんなに急いでも五、六年かかるから「手細く」でなければならないのである。マクドナルドも、ジョン万次郎も、まだ日本に到着していない。と、なると、日本側の情報源はタイミング的に来日したばかりのマンハッタン号以外はあり得ないのである。度が過ぎたというほかない浦賀奉行のマンハッタン号に対する歓待ぶりも、逆に納得がいく。
故国日本と第二の祖国アメリカのために発奮した万次郎であったが、彼には学業が半年あまり残っていた。ブキャナンは難破したグループ全員で帰国するのが望ましいという見解を述べたうえで、ホノルルに帰化した伝蔵(筆之丞の改名)と五右衛門に帰国を同意させるには時間がかかるだろうから、ジョン万次郎が卒業するまでの期間を利用して、彼らを鳥島で救助したホイットフィールド船長から説かせたほうが間違いない、と義理の親子に持ちかけた。
かくして、一八四五(弘化二年)年十月六日、ホイットフィールド船長は捕鯨船ウィリアム・アンド・エリザ号でニューヨークを出航した。さらには、一八四六年、ジョン万次郎はバートレット・アカデミーを卒業すると、直ちに捕鯨船フランクリン号に船室係として乗り組み、ホイットフィールド船長と合流すべく、アフリカの喜望峰経由でグアムへ向かった。
二人ともブキャナンの意見に同意して従ったわけである。
ストーリーの今後の展開の取っかかりとして「ジョン万次郎の出帆がホイットフィールド船長よりも遅れたこと」と「ホイットフィールド船長が伝蔵と五右衛門に帰国を説いたこと」という事実には、時間を有効に使おうという何者かの差し迫ったシチュエーションが隠されている、ということを認識しておく必要がある。伝蔵と五右衛門に帰国を説くのは、本来ならジョン万次郎の役割なのだが、在学中のため彼にはできないため、養父のホイットフィールド船長が代わって引き受けたわけである。そのために、親子の間であらかじめ打ち合わせたグアムでの合流に、伝蔵と五右衛門の説得に手間取ったホイットフィールド船長が遅れてしまった。
こうした数々の食い違いを生み出した当時のシチュエーションが、今日に役立つ唯一の物証ともいうべきホイットフィールド船長に宛てた留め置きの手紙がジョン万次郎の手で書かれることになり、なおかつホイットフィールド船長ならびに子孫が大事に保管して、陽の目を見ることになったわけだ。
長井検事はここまで読み進んだところで、深く感銘を受けた面持ちで秦野裁判長に呼びかけました。
「一八四五(弘化二)年四月にイギリス貿易監督官デービスが本国政府外相アバディーンに送った書簡の内容といい、アメリカ政府海軍長官バンクロフトがそれをキャッチして、イギリスの動きに先んじようとして在マカオ東インド艦隊司令長官ビッドル提督に対日条約交渉着手を指令したことといい、国務長官ブキャナンはバンクロフトの独断専行に抗議し、命令の撤回を求めたことといい、かなり切迫して手を打たなければいけないときに、ジョン万次郎がまだ在学中だったことといい、そのために伝蔵と五右衛門を救ったホイットフィールド船長が代理で二人を説得に向かい、そのために生じたタイムラグ……」
まさに劇的と言葉がつづくのでしょうが、長井検事は途中で絶句してしまいました。秦野裁判長が、すかさずそれに応じました。
「ジョン万次郎の手紙文は《ここより北、そして西へと航海し、琉球上陸を試みます。うまく帰国できれば捕鯨仲間のための避難港を開くべく努力します》というだけの実にあっさりした内容なんだが、意味することが実に重大で、もし、これがなかったらと思うと、伝わったこと、公表されたことのありがたみというかなあ、実に感無量のものがある」
