私の両親は、放任主義で 父親から芸術の事以外で「こうしなさい」という教育をされた覚えはない。ただ1つ言われた事は「一人旅をしなさい。見えないものが見えてくる」と言われた事だけで、子どもの頃は意味がよく分からなかった。父親は、ヨーロッパの風景を点描画で描く画家だった。
私は、高校を卒業する頃、3才から没頭していた日本舞踊の世界の日本特有な現実世界と、自分なりに描いていた夢とのギャップに生き詰まり目的を失った時、父親にヨーロッパ旅行に誘われた。父の旅は スケッチ中心の旅。自分のスケジュールより、天候や感性に自分を合わせる旅。もちろん、寝床は安いアパートメントかテントで墓場。私が「そんな旅は怖い」と言うと、虫や動物より、怖いのは 人間だ。と言っていた。今の自分ならおそらく同行しただろう。しかし、17才の私には、過酷な旅としか思えなかた。
母は父より10才年上の大正生まれで、私は5人兄姉の一番下。
母が40代の時の子どもだ。母の育った環境は戦争を経験した時代でもあるが、芸術家一家に育ち 自分では自覚はなかったが、根本は 自由人の素質のある 感性で生きる人だった。母は、様々な経験の中、5人の母となった。両親は、共に親の愛情と言う中では育っていない。様々な経験や 回りの影響などを受けながら 生きる事を学んだ人たちだと思う。だから尚更、子どもに対する愛情だけは、忘れなかった。兄姉はどう思っているか分からないが、母は、晩年 子ども、孫の事だけを想い自分の賜物を生きる術にして生きた バイタリティの多い人だったと思う。
自分が親となり、両親からもらったものを子ども達に伝達出来たのか?と、よく考える。しかし、頭で考えているうちはまだまだ伝わっていないのだろうと思う。
子ども達がわが身を見て受け継いだ時は、心で自信を持ち、頭で考えたり言葉は無用なのだろう。
そして、私がいまこうして生きて感じている事が まだ続くこの世の「1人旅」なのかも知れない。
私は、高校を卒業する頃、3才から没頭していた日本舞踊の世界の日本特有な現実世界と、自分なりに描いていた夢とのギャップに生き詰まり目的を失った時、父親にヨーロッパ旅行に誘われた。父の旅は スケッチ中心の旅。自分のスケジュールより、天候や感性に自分を合わせる旅。もちろん、寝床は安いアパートメントかテントで墓場。私が「そんな旅は怖い」と言うと、虫や動物より、怖いのは 人間だ。と言っていた。今の自分ならおそらく同行しただろう。しかし、17才の私には、過酷な旅としか思えなかた。
母は父より10才年上の大正生まれで、私は5人兄姉の一番下。
母が40代の時の子どもだ。母の育った環境は戦争を経験した時代でもあるが、芸術家一家に育ち 自分では自覚はなかったが、根本は 自由人の素質のある 感性で生きる人だった。母は、様々な経験の中、5人の母となった。両親は、共に親の愛情と言う中では育っていない。様々な経験や 回りの影響などを受けながら 生きる事を学んだ人たちだと思う。だから尚更、子どもに対する愛情だけは、忘れなかった。兄姉はどう思っているか分からないが、母は、晩年 子ども、孫の事だけを想い自分の賜物を生きる術にして生きた バイタリティの多い人だったと思う。
自分が親となり、両親からもらったものを子ども達に伝達出来たのか?と、よく考える。しかし、頭で考えているうちはまだまだ伝わっていないのだろうと思う。
子ども達がわが身を見て受け継いだ時は、心で自信を持ち、頭で考えたり言葉は無用なのだろう。
そして、私がいまこうして生きて感じている事が まだ続くこの世の「1人旅」なのかも知れない。





