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「おもちゃブログ」

純粋に楽しい事を生活の中から見つけ出す楽しみ。

新しいおもちゃに出会った時のワクワク。

何歳になってもおもろいもんはおもろい。

おもんないもんはおもんない。

$「おもちゃブログ」


3回生。

いよいよ上回生に。
上回生になったことによってチームの運営とか
裏方の仕事にも学年として関わるようになった。



もともとめちゃくちゃグループに分かれてた俺ら。
大きく分けるとスポーツ推薦の上手い組。
指定校や一般で入ってきた組。
どっちともつかずふらふらしてる俺ら。
特にどこにも属さずみんなと仲良い組。



こんな感じの1・2回生やった。
1・2回生まではそれでもそこまで大きい問題は無かった。
1回生の時は雑用に関しての意見と扱いと態度が違いすぎて
問題ばっかやったけど。



でも上回生になってチームのことするようなって学年としてのまとまりがないと
何をするにも時間かかるし、はっきりせーへんし。
まずお互いが普段連絡取らんし、特にしゃべらんから
お互い何考えてるかわからんかったし。
しかもミーティングしても沈黙ばっかで、
しゃべる奴はリーダー格的なやつだけで
議論の必要なミーティングもただの報告会みたいなってた。



1・2回生のときは、みんなそんな感じで、みんなあかんて分かっててんけど
恥ずかしいんか、何なんか、
変わらんかった。



けど3回なって少しずつ、このままじゃやばいってゆー危機感が漂い始めた。
ほんで、同じサッカー部としてサッカーを通じて通じる部分がやっと出始めて、
徐々に仲良くなり、ミーティングも良くなりはじめた。
でもほんまに最悪の始まりからの第一歩って感じやったから
まだまだいいミーティングしたとは言えてなかった。



それに変わって4回生はみんなめっちゃ仲良くて
もちろんみんながみんな仲良いわけじゃないけど、
学年としてまとまりのあるチームって言われてた。
キャプテンはアホやったけど笑


自分のことだけじゃなくてチームのことを考える人が
おれらより単純に多かった。




そして俺のサッカー人生にも一つの大きなターニングポイントが!!




この年に新たな取り組みとして
学生やけど社会人サッカーに参入する事に。
今まで「全員サッカー」をモットーにしてたから
そこを重視するために他の大学がしててもしなかった社会人。


社会人サッカーは大学サッカーとは全く別の組織のため
スケジュールや登録などが全くの別物に。


すると物理的にチームが少しなりとも分かれることに。
それを懸念してた監督やってんけど
人数が増えに増え、公式戦の機会を増やしてやりたいという思いと
今年の4回生なら任せられるという信頼感から
参入することに。


これをしたことによってみんなのなかで
チームが別れるという自体を防ぐために
全体ミーティングでしっかり説明し、
4回生を中心に2足のわらじを「全員」ではくことに。


そこにメンバーインした俺。
当然レベル的にはオレみたいに厳しい人たちが集まったチーム。
相手は社会人サッカー5部のおっちゃん達。


このチームに入ると学生のチームには入られへんから
事実上関大のトップチームの試合には一生出られへん。


でも監督はこのチーム間の入れ替えは随時すると言うてくれてる。
がんばれば可能性は多分にあると!!!


そしてそのチームの重みを示すためにこのチームには1回生はいない。
なぜなら入ってすぐの関大サッカーがどんなんかまだわかってない選手は
社会人サッカー「関大FC2008」通称FCには入れたくないないのである。


このチームの真の意図は、


公式戦の機会を増やす。
学生だけじゃなくて社会人と試合することによって得られる経験。
JFLへの参入。



そしてそれらを「全員サッカー」の元に。




って口で言うのは簡単やけど実際は大変やった。
当然160人全員の理解が得られたかどうかはあやしかったし
もともと監督が好きじゃなかった人は
否定的になってし。


でも決まった以上やるしかないし
FCの4回生を中心に必死に
何もかもが初体験の手探りの1年目を必死に乗り越えた。


結果、無敗・無失点で無事4部昇格へ。


これがすごいと監督はこの俺らのチームを誇ってくれた。
なぜならサッカーはスポーツやから何が起こるかわからん。
その中でしっかり無失点でリーグ戦を終える意味を
理解してくれてた。
当然、相手は週末にサッカーを楽しむバリバリ働く
働き盛りのおじさんたち。
体力的にも技術的にも圧倒的有利。


その中でイレギュラーをおこさいない集中力とチーム力。


を理解して称えてくれた。


とにかく無事1年目を最高の形で土台を作れた。



トップチームは、
ラストの全国優勝経験者の4回生を中心に
良いチームにしあがりつつも、結果がそこまでついてこない形に。
夏の全国大会も負けてしまい冬に賭ける事に。


しかしその冬を前に大事件が。
またもや授業での不祥事が発覚し、せっかく得た冬の全国へのキップが
学校からの辞退という形によって消える。
という危機に。


それだけは何に代えても避けたい関大サッカー部は反省の意味を込め
学内清掃、ボランティア、とりあえずられる事はなんでもやろ!!!
ってなった。
みんなのがんばりと、教授や職員の中にいたサッカー部ファンのお陰で
無事全国へ乗り込むことができた。


しかし、PK戦に破れ、それも実力といえばそこまでだが
またも、日本一には届かず。







とうとう俺たちが最高学年の4回生に。


さすがにまとまりの無いチームがどうなるか
上のまとまりの有るチームがどんな雰囲気やったかを目の当たりおれらは自然にまとまるように。


でも3回が終わって4回になる間に就活問題が差し掛かってくるのである。
日本人の大学生にとって人生の大きなポイントである。
もちろん個人の自由やから就活するやつは練習を抜ける。


しかし「全員サッカー」で、就活やから練習休むのは無しってなって
休むかわりにランニングメニューをするという体力的に日本一ハードな就活生に笑


そしてここから急激にチームというものを考える時間が増えた。
単純に、キャプテンを決める。から始まったミーティングの嵐!!!
しかもそのミーティングに遅刻した俺!!
めっちゃ遅刻癖のある俺。
本気で自分に失望した。


とにかく、俺らの嫌いで下手なミーティング。
でもなんでもそうやけど回数をかさねてったら上手くなってきた。
何がいいミーティングで何があかんミーティングか!!
特に何があかんミーティングかは全員身にしみてた笑


こんな感じで4回は、

自分の進路
チームのこと
後輩のこと

を考えながら自分のプレーも伸ばしていかなあかんかった。


そしてさらに追い討ちをかけるかのように(笑)
監督から新しい取り組みの提案が!!


チームの中で、チーム内リーグ戦をする。


「?????????」



簡単に言えば

チームをその時点でレベルが均等になるように6つに分けて
基本的に毎週水曜日にリーグ戦(名前はchallenge league )をし
そこでのプレーを見て、週末に控える
トップチーム、トップチーム以外が出る公式戦、関大FC
のメンバーを選出する。
という言うなればJリーグ・日本代表の関係のようなシステムに。


これによって、

準公式戦の激増による試合に対する意識の向上
1回生から4回生までの会話コミュニケーションの機会
チーム全体が一人ひとりの選手の特徴を把握する
普段試合に出れないやつの出場機会
質の低い選手は高い選手とじかに試合して体感
質の高い選手は低い選手とプレーしても質の高さを維持する難しさ


など利点は数え切れないぐらいいいシステム。

でも問題もたくさんあり、
試合を運営する審判、記録
授業との兼ね合い、
ハードすぎる日程による公式戦への影響


またしても1年目として手探りのなか
試行錯誤をくりかえすのであった。


予想もしてなかった問題なんかいくらでも起きて
波乱万丈の一年目。


監督が、
「こんな質の低いチャレンジリーグならせんほうがましや!!やめややめ!!!!!」


ってなった時ももあったけど
無事1年目を終えた。
俺らはひたすら頑張るしかなかった。
けど監督は提案して、俺らならできると信じてくれて
結果得るものはむちゃくちゃ大きいかったと思う。


そのまま結果につながれば言うことは無かったけど、
結局夏も冬も優勝することはできひんかった。


いろんな取り組み、練習を振り返ってみれば
どっかに監督を頼ってたやろーし、後輩たちにも助けられてたやろーと感じる。
やっぱり負けた理由の中のそーゆー自分らの甘さとか妥協ってゆー言葉を
無視することはできひんと思う。


結果も内容も両方大事!!!





俺個人としては、ほんまにいろんなもんに触れれて知れて実感できた一年やった。

・就職したくなかったけどしてみた就活
:FCとして大阪社会人トーナメント優勝
・無敗で無事3部昇格
・おかんが入院して親父の仕事の手伝い
・教育実習
・へんとう炎
・からの関大対関大FCに出れず
・ゼミの先生にお前は落第やー!!事件
・からのSP笑
・やけど蔭でこそこそ遊んだり



特におかんが体壊したのはマジで焦った。
家族の誰か入院したんは22歳にして初めてやったからけっこうびびったな。


ほんで社会人トーナメント。

レベル的には俺らのチームと互角か相手のほうがちょっと上かってゆー準決、決勝に
勝ちきって優勝できたのは俺のサッカー人生で初めての優勝やった

そこで勝ち取った、関大のトップチーム対関大FCの天皇杯大阪代表を賭けた準決勝は
ほんまにチームにとって勝ちある一戦やった
けどそこにベンチにすらはいられへんかった俺の甘さ、ぬるさ
は俺の現状を表すはっきりとした結果やった。


プレーヤー引退試合として迎えた社会人リーグ最終節

は雨。の中チームメイト、高校のチームメイト、友達が応援してくれてる中
ベンチスタート。
試合に出れるかもわからんかったけど
とりあえず出れて、DFやのに終了間際に決めれた
ボッテボテのへなちょこシュートのゴール。
ボールが後ろのネットまで届くか届かんかのへなちょこ。笑
でもそのゴールに涙までながしてくれた俺の友達仲間。


初めて俺のプレーで観客が沸いて喜んでくれた。
あんな感動があるならどんな事してでもプロなりたいとも
一瞬思わされる程の感動やった。


そんな感じで俺のサッカー人生はとりあえず一幕終えた。


ほんで、今どんなけサッカーが上手くなったか??


とりあえず、俺より上手い人は腐るほどおる。プロとか実際段階で言うたら俺の
3・4段階も上のレベル。
日本代表はその中でも一握り。
が戦ってレベルの差を感じる世界は
もー、「世界!!!」
としか言われへんレベル笑

でも目指せば追いつけるし
越そうと思えば越せる。

でも本気で思わな無理やし本気で努力せな無理。
本気って何かって、覚悟のことやと思う。
それを成す為に自分が必要と思ったことは妥協せず突き進む。
周りがどんなけ非難しようと、笑おうと。


ほんで、おれは、
技術は乏しいけど、考え持って、イメージしてサッカーできてる。って
俺がサッカー上手いと思う人に言われた時は純粋にうれしかった。
少しはおれもサッカーうまなったなーと
中学校から大学まで続けてよかったなーって!!




「全員サッカー」
・チームの中で個を生かす
・代表としての誇りと責任
・チームメイトを理解し助け合う
・勝利に向かってひたむきに
・コミュニケーション
・目標は日本一


ってゆーものを掲げてやってきた4年間。
最初はこんなん言うてるだけやんとか
いやだるいしもっと気楽にサッカーしよやーとか
思ってた。
けど年重ねるごとに、先輩後輩同いのチームメイトと過ごせば過ごすほど
少しずつ少しずつ見えるもの、わかること、感じれること、考えられることが
増えてきた。


今、言えるのは

「人生ってすばらしいし楽しい。もちろん苦しいこともあるけど」


それもこれも全て関大サッカー部で経験さしてもらった全てやと感謝してます。
もちろん家族、周りの人みんな、小中高、全てやけど
一番濃かった、一番多くを学べたのはここでした。
そして島岡監督。


ほんまやくざみたいな人で怖いしオーラあるし
むちゃくちゃして、言うてることとやってることちゃうやん!!!ってゆー時もあるけど
いつもアツくて、本気で関大サッカー部日本一にしよーって誰より考えてて
口下手で伝えるんも下手やけど本気で日々を生きてる数少ない本物の人間!!




ほんまにおめでとうございます。
選手もマネトレもスタッフもOBも学校関係者も
幸せな気持ちにしてくれてありがとうございます。




おめでとうございます。を戦った選手、支えたチームメイト、マネトレ、
監督スタッフ、応援してくれてるすべての人に言いたいです。





でもいつもそんな監督が言うてるけど、
なんでもその後が大事!!!
今年優勝できたら来年も優勝!!
夏も冬も、天皇杯も、ワールドカップも優勝!!!!



夢はでっかく、朗らかに。
(俺が今考えた笑)




BIG UP、関大サッカー部、島岡健太

ほんまに、おおきに、
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こんな感じのゆるくて悪そうな人らが、
俺らの入る一年前に夏の全国大会総理大臣杯で優勝しました。
その出てたほとんどが123回生でした。


先輩らが言うにはこのチームには監督がいない時期もあったため自分たちで練習を考えていた
事もあったらしく、自分に厳しいというか
はっきりと自分たちでやるべきことがわかっている人が多かったそうです。




とにかく、そんな先輩たちのいる関大サッカー部へ!!!


高校でも、しかも一回戦で負けるようなチームでメンバーにも入れなかった俺は
高校でサッカーを止めて、遊びながらサークルでサッカーしつつ
おもろいこと探す予定でした。


しかし、ふと、サークルでサッカーしてたらいつかまたガチで
サッカーしたくなる時がくるはずや!!!!
と思い、高校からの先輩に聞いたところ
やる気さえありゃ入れるよと聞き、
意気揚々門を敲きました!!


行って速攻練習にいれてもらい、
当時のCチーム(一番下)に参加さしてもらうことに。
高校のチームメイトのキャプテンもいたし先輩もいたため馴染みやすく、
他の先輩も気のいい人が多かったしすんなり入れた。
とは言うてもレベル的に俺は下手すぎて一番下のCチームでも余裕で下の方!!


ってか気付いたらどこ行っても入ったらいっつも下の方やん笑



レベルもやけど高校サッカーとは圧倒的にちゃうかった!!!


何がちゃうって

サッカーが楽しかった!!!


無駄なランニングがなかったし、
監督は若くてうまくて一緒に練習したりするし。
怒ったらあほほど怖いけど笑

なにより監督監督なってたのがあかんかった高校からの今!!って感じ。


練習も段取り踏んでて、何を意識した練習で
試合を前提としてる練習やった。
ここでならうまくなるはずや!!!!


俺は今までそういうサッカーに関して
プロフェッショナル的なとこにいたことがなかったから
そう思った!!

Jリーグの下部組織にいた選手や、全国的に有名な強豪校にいた選手が
この練習をやってみてどう思ったかは俺にはわからへん。
プロのもとで受けてたトレーニングはもっと厳しいもんやったかもしらん。
もしかしたら物足りひんと感じてたかもしらへん。

でも俺には今まで体験したこと無い練習とか難しい練習で
着いていていくのに必死やった。


とにかくいろんな面で順調な感じでスタートした大学生活。
夏ぐらいにはバイトも見つかって、
休みの日、ってか朝練の前とかでもカラオケオールしたり笑

ほんま何も考えずに
ただ学校行って、バイト行って、まじめにサッカーして。
学校には練習でおるけど授業には行かずに帰ったり。
ってゆー謎の行動をとってたり笑


って感じの1回生やった。

ちなみに、学校の成績は終わってて、前期の時点で
文学部は他の学部より楽って言われてんのに半分単位落として、
後期もほぼ半分落として、
一年でみんなから2、30単位とか離されてた笑
テスト前日に、花火大会やからとか言うて祭り行って飲んで
つれん家行って騒いで、テスト行きませんでした。


そら半分も落とすわ笑

まー目標は4年で卒業やったから今思えばそこまで問題は無かった。
もちろん3回4回みんな遊んでんのに俺らめっちゃ授業行ってたけど笑


サッカーは、チーム底辺とか底辺ズって呼ばれる、
紅白戦する時にレベル順にチーム組んでって最後に組まれるチームの
住人で、いやレギュラーで笑
時にはそのチーム底辺漏れもするぐらいで
とりあえず下手やった笑


そらもともとみんなより下手やのにバイトしてそんなけ遊んでたら
いくら俺に才能があっても抜かれへんわ笑
まーそんな才能があんま無いから下手なんやけど笑笑


チームとしては、しっかりした4回生を中心に良いチーム。
しかも実力もあり関西に敵無し状態で挑んだ全国。
しかし全国の壁なのか優勝することはできませんでした。





で、2回生に。


1回生の時の4回生はほんましっかりしてる人が多くて、
18の俺は22歳の大人の人たちと毎日サッカーしてた。
考え方とか、経験とか、いろんな面でほんま先輩やった。
でもそんなこと18才の俺には
俺も4回生になればあんな感じになれるんかなーぐらいしか考えてなかった。


1回生が入ってきて、1回生の雑用の仕事も引き継ぎ始めて、
学年があがることによる環境の変化も感じつつも
変わらず、
遊んで、バイトして、たまに授業行って、まじめにサッカーして。


でも後輩にガッシガシ抜かれる自分を不甲斐無く思い、
無力すぎる俺のサッカーのレベルを見つめなおし、
1回の最初の頃はしてた自主練も再開し、
筋トレもした。


自主練っておもしろくて、練習終わった後自分に足りひんとこを補うわけで
人ほんまそれぞれ。


単純に基礎を鍛える人。
シュートに特化するFW。
1対1しつづけるドリブラー。
筋トレ大好きガタイ系。



でもみんな共通して好きなんが
ミニゲームとボール回し。
もちろん賭け!!!笑


ジュースやったり、昼飯やったり。
金かかるとみんな練習で疲れてんのに本気なるし。



ボール回しってゆーのは、


ボール回す人が4角に配置されたマーカーの4辺に
それぞれ4人が配置し、中に鬼が2人ないし1人がいる。
その中で周りの4人は鬼にボールをさわらせずに決められた
例えば20本、パスを回せば鬼の負けである。
さわれば鬼が交代。
人数は状況に応じて変えたりしながら



という練習の一つで、ほんまにみんな練習後よくやってる。
これは個々レベルが顕著にでるから下手なやつはよく
負けるし上手いやつはよく勝つ。


なんにしろそういう自主練とか回しとかよくしてた。
上手い人の多くはよく自主練してた。
やっぱり努力はウソつかへん。


しかもうまい人ほど、いやサッカー知ってる人ほど
何したらいいかを心得てた。
みんながあれしてるからじゃなくて
自分のしたいこと自分に必要なことを意識してやってた。


俺はアホやったしサッカー知らんかったからみんながやってたの一緒にしてた。
もちろん無駄じゃないと思う。
けどもっと考えて考えなあかんかったと思う。



そんなことに気付けたのは4回生になったぐらいやったかなー。
1回生の時思ってたのが事実になってた。
俺も4回生になれば・・・



ただこの年にサッカー部では大きな異変が。

思うように結果が出ず、しかも授業での不祥事が発覚し
今までの
「ユルユルやるときやる」スタイルでは
通らなくなり
「ガチンコファイター系」スタイルに監督の指導のもと
移行していくのである。


練習も今までそんなになかったランニングメニューが導入され、
二部練もガンガン組まれ今までの
楽しい大学サッカーは冬のソナタへ!!
いや雲の彼方へ。。。笑


もちろんみんなの不満はつのり
チームは半分混乱状態に。
監督の指針とチームの指針はどんどんずれが生じ、
キャプテン、幹部の力量が問われだした。


結局最後のほうには
監督の熱意、キャプテン幹部の頑張りもあり、
チームはまとまり、闘う姿勢に。
けどその傷は大きく、結局日本一には届きませんでした。


そしてこの頃からなんとなく見え出したサッカーの上手い下手。
サッカーを分かってる分かってない。


その根底には自主練して努力しようとした気持ちがあったからじゃないかと
今思います。
そしてそこで

「考える」

ってゆーことの重要性に気付かされた気がします。

ちなみにこん時でもまだまだド下手でした笑



ってゆー事でラストの3、4回生編へ


おおきに、
関大サッカー部インカレ優勝記念ブログ!!

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題して

「俺とサッカーと関大サッカー部。」



中高生編、大学1・2回生編、3・4回生編
の3部作で望みたいと思います。


関大サッカー部が優勝してくれてめちゃくちゃうれしいです。
むしろ夢が一つ叶った。
ぐらいの幸せです。
一つ言うなら生で観にいけなかったのが心残りです。

もちろん自分は引退してます。でも自然にそー思えるんです。
なんでそー思えるかをできる限り伝えたいと思います。

3部作やのに一個一個長なります笑

スポーツ好きな人、スポーツ好きやけどやるん下手な人は
是非読んでほしいです。



出会い編


サッカーとの出会いは小6です。
おれの小学校はバスケめっちゃ強くて、ミニバスが有名でした。
ミニバスは小学校のバスケのことです。
だから休み時間とかひたすらバスケしてました。


やけど親父が大の野球好きで、兄貴もそーやったのも一因やけど
気付けば学校以外では野球やってました。

でも途中からやってるというよりやらされてました。
やから小6ん時ぐらいから、親父・野球両方嫌いになりました。


そこに現れたのが野球のチームメイトがやってたサッカーでした。
親父が嫌いやったサッカー。
今まで手しか使わんかったのにサッカー。
なんとなくやってる奴がかっこよかったサッカー。
Jリーグが発足したてのサッカー。

なんにしろサッカーに惹かれました。





そして中学校のサッカー部。


そんな強豪校というわけでもなく、
平凡な中学校でした。
でもほぼサッカー初心者の俺。
持っていたのは野球で培ったボール勘と足の速さと体力ぐらいでした。
3年になるまで試合には出れませんでした。

試合に出るようになってもまだまだ下手で俺のミスで点取られたり
よーしてました。笑


2年か3年の時監督が替わって変なゲイみたいなコーチが来たりして笑
結局充実した中学サッカーとは言えないまま引退。




高校サッカー編


高校は群雄割拠の大阪で優勝経験もある強豪校。
スポーツ推薦枠も各学年5人ずついて、大阪京都兵庫から上手いやつがいっぱい来てました。
6,70人超えるぐらいのチームで、入った時余裕で下から数えられる下手さでした。

ここで頑張れば俺もレギュラーになって大阪で優勝して、
全国大会へ!!!!


なんていう夢を抱いてました。


が、しかし強豪校の裏事情なるものか、実態はただ優勝した時の
メンバーがタレント揃いで(それもスポーツ推薦の選手)、
内情は有能な選手つぶしのチームという雰囲気が。


その背景には監督の指導法にあると俺は思います。
むしろほとんどの選手はそー思ってました笑
監督は大阪では有名な人で、現役時代にもある程度名の通った選手やったらしい(プロではない)
だから練習試合とかは強豪チーム呼んできたりできて
そういう意味では影響力のあるでかい人やったと思います。

でも練習内容は、納得できるものはほんの少しで
ほとんどは疑問の残る練習でした。


俺も意気込んでたけど、
むちゃくちゃ走らされたり
理不尽に怒られたり
監督の言うことに「?」しか無かったから
頑張り方がわからんくて


むしろ体力的に走れたら試合に出れる
みたいな意味不明な空気さえチーム内で出てて笑


こん時頑張った記憶は仲良かったチームメイトと
ひたすら基礎のリフティングとかの練習しか覚えてない笑

実際サッカーのテクニックや戦術、考え方、
単純に守り方、攻め方とかを叩き込まれたみたいな
覚えあんま無いです。
むしろそれより走れでした。笑


俺らの部旗の一つに書いてるのが
「月まで走れ関大イレブン」

「おもちゃブログ」

月まで走れたらサッカーなんかせんと陸上してるわ!!笑

とかツッコんでました。
ちなみに関大の付属の高校でした。


たぶん監督は自分がうまい選手やったから俺らみたいに
うまい選手じゃない気持ちとかどうしたら上手くなるかが
わからんかったんとちゃうかなーと今思う。


しかもその監督の独裁政権やったから
監督が白っつたら黒も白!!
みたいな。

だから自分のためにサッカーしてるというより
監督に怒られへんために点取られへんようにとか
監督が見てるからがんばろとか
監督が見てないからサボろーとか

みんな心のどっかに監督監督監督やった。

そんな感じの内情やったけど
むしろそんな内情やったからこそ?!
仲間の絆というものは深かったかも
反監督の精神で笑


結果は俺らの一個上で大阪優勝して全国で2回戦まで行ったんかな?!
さらに俺らの一個下も大阪優勝して全国で2、3回戦まで行ったんかな?!

なんにしろ俺らの代は谷間も谷間世代。笑
結局最後の引退を掛けた全国大会は一回戦負け。
最長正月までサッカーできる大会で
何と8/31に引退。。。。笑

引退して悲しいけど、やっと遊べるー!!!

って喜んでた俺らがいたのも事実。
そんなチームやったから負けて当然やったんかも。


何にしろサッカーにおいて
走る、サイドから攻めてセンタリング、スライディング。
しか習わんかった高校サッカー。

そのかわり精神力は多少鍛えられた笑
あと理不尽に従わざるを得ない日本社会の縮図笑笑


監督監督で
一番大事なサッカーを楽しむというのが少なかった高校サッカーでした。

今思えば監督は
世の中には理不尽ばっかりやぞ
そこで反骨心持てよ
精神的に強くなれよ

ってゆーのを悪者を演じてまでやってたと思います。
そーゆー意味ではいろいろ教えてくれた
意志を行動に移せる教師やったと思います。

まーむちゃくちゃもよーさん言うてたけど笑

「おもちゃブログ」


そんな感じの出会い、中学校、高校サッカーでした。

次回に続きます。

ちなみにこの写真は去年関大一高が選手権ベスト4まで行ったときの写真です。


関大サッカー部ホームページ!!
得点シーンも見れます!!!!
http://ku-fc.com/


おおきに、
スリムドカン!!!


懐かしすぎる名前やん!!!笑


コンセプトがいまいちわからんCMやったけど
最近読んだ本はこれです。

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これの著者が斉藤一人です。
斉藤一人さんは9年連続最高額納税者です。
スリムドカンはこの人の会社の商品でした。


おれがすごいと思ったんはそんなけ稼いでんのにテレビとか
全然でーへんし、
自分のやりたい人生を生きてる感です。
テレビに出たら普通の生活ができひんくなるのが嫌らしいです。



題名の眼力というのは、物事を見極める能力のことらしいです。
世の中には

だます人、だまされる人

いい話、わるい話

うまい話、落とし穴のある話


いろんな事、話があります。
特にインターネットやITで急激に発展した情報社会は
もはやインフォメーションジャングルです。


そんな現代で生きていく中で、
幸せに、楽しく生きていくために必要な能力が眼力ということだそうです。


つまりその情報には裏があるのか、とか
このニュースには何か隠されている、とか
極端な話、これはサギだ!!とか


そういうことをしっかりと自分自身で考えなければならない
世の中ですよ!!


ということが言いたい本です。


少しでもだまされた、買い物で損した
なんてゆー経験がある人は読んで価値のある本やー思います。
しかももともと斉藤一人さんは商人なんで
ビジネス、起業に興味がある人は是非読んでほしいと思います。


新年そーそーかたっくるしいおもんなさそうなブログかい!!
ってなってるけど、
なんか個人的に新年がそこまで好きじゃないベソでした。


でも、正月のフワフワしながらも落ち着いた雰囲気は好きです。


とにかく、
あけましておめでとうございます
去年はお世話になりました、今年もよろしくお願いします。


かたっ!!ってゆーことで


あけおめ、なりよろ。

BIG UP, 斉藤一人


おおきに、
新年はあんま何やってか覚えてないわ笑


かろうじて取り残した単位を取って、卒論仕上げて無事卒業。
4年間いろいろ、中学校から10年間ほんまにいろいろ
あった関大とお別れ。


サッカーともガチでやるのはお別れして。



卒業の前の今遊んどかなあとで遊ぶ時期無いってゆー時期。
人生初幹事旅行の長スパ行ったり、ボード行ったり、琵琶湖いったり、
なんか事あるごとに飲み会したり、
ケーキに顔つっこんで顔レインボーなってギョウやったり。


卒業式もグダグダしつつも最後の集まりみたいな感じで終わって、
4月から文字通りみんなの新生活。
大阪離れるやつは離れて。


アメリカに着いて、最初ドキドキとか萎える気持ちとか、
感情の面でいろいろあったと思う。
ほんま人生で初めてな事だらけで、よゆーで不安にもなったし、
言葉わからん恐怖にも襲われまくったし、
ってか一人ぼっちってのがこんなにさみしくてつらいんかって
感じた。


一緒に生活してた家族とか普段特別な気はせーへんけど
いざ海外に行くとめちゃくちゃ大きい存在と気づかされた。


こんな感じで日本にあるもの、いる人の存在のでかさを
改めて気づかされ続けたアメリカ生活。


そんな中で、サンディエゴってゆーリゾートチックな絶好に住みやすい町から
大都会NYへ。


全てが違うく見えた。


基本は一緒やねん。
でも詳細は全部ちゃう!!


日本でも地域によってめっちゃ色ってちゃうと思う。
極端な話北海道と沖縄とか。


でも俺は言葉が完全にわかるわけじゃなかったし、細かいルールもわからんし、
例えば、全員信号無視するとか笑
手探りで始まったNYはほんまにうっとおしい街でしかなかった。


学校行って、インターン行って。
汚い家で寝ておわり。
休みの日はスタバでパソコンでドラマ見たり、
散歩したり。


ただのクソマジメか!!!笑


1ヶ月ぐらいしてから新しい家を
見つけ、そっからルームメイトと
遊ぶよーなってから、NYが好きになりだした。


みんな自由でやりたいことやってる。
その分責任は全部自分。
成り上がるも、グデングデンの人生送るも、
全部自分次第。


やっぱ日本より音楽が身近にあるし、
テレビもチャンネル数めっちゃあるし、
スポーツだいたいみんなあついし、



アメリカに来て気づいたこと。
これは日本帰ってから書こう思ててんけど、
ちょっと書きます。


まず、スポーツがアツい。
産業的にも人々の関心的にも。
そんなけスポーツがアツかったらスターもでてくるし、
ジョーダンみたいなスターのグッズも爆発的に売れるわ!!


歌、ダンスとかのエンターテイメントもアツい。
アメリカ人はダンス好きです。
踊れて普通。
みたいな空気さえあります。
歌は下手でも大声でうたいます。
カラオケとか知らんくてもガンガンいれます笑


アウトドアもアツい。
ボードとかサーフィンとかメジャーなんもやけど
スケボーとかシュノーケリングとかカヤックとか
キックボードとか
なんし体動かすんが好きなんかも。
サイクリングなんかもガチの人からおばちゃんのエクササイズ的なんまで
いろんな人がやってる。
これはオレがサンディエゴにいたからかもしらん。
でもやっぱNYに来ると、街中ではそんな見やんけど
それでも普通にスケボーとかキックボードがいたりする。


こんな感じで日本との差を感じたり、早よ日本帰って
日本がどうやったかっていうの再確認したかったり、
やっぱ日本最高やなとも思うし。
なにより日本の友達、家族、仲間に会いたすぎる。
会って何するとかじゃなくて
たぶん会うだけで感激してまう!
そんぐらい!!


そんなこんなで気付けば飛行機が大雪で飛ばずに
家で空白の5日を過ごすハメになっとります。


来年の抱負を考えながら今年を精一杯、
いや一日一日を前に進めるように精一杯生きてこかなー
思てます。
チョケながら笑


ほな、おおきに、