「悪魔が仮面を被っていた」「見破れなかった」
2014.5.22 14:30 MSN産経ニュース

《会見場で席に付いた佐藤弁護士は、気落ちした様子で話し始めた》

「先週金曜日に真犯人からメールが送信され、片山さんと会見したが、19日に実は本人のものと判明した」

 「今日は証人尋問の予定だったが、裁判所に必要なくなったから取り消してくれと要請し、罪状認否を行った。彼が全部やったというのが真相だった」 

 「真犯人からのメールは自作自演だが、事件そのものは片山さんが起こしたのでないと主張することもできると思った。しかし、片山さんは、犯人のメールアカウントにログインしており、それができるのは、私だけだと言った」

 「彼がどのように迷惑をかけたかを実感しなければいけない。私たちの方から、検察側に情状の立証をていねいにやってくれと言った」
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いや、仕事が形骸化してるでしょ。

我々素人が考える弁護士の仕事は、
■やっていない!という嘘を見抜き、罪を認めさせる
■罪を認めさせた上で、その罪を犯した結果の罰をできうる限り軽減する
■それは被告に罪を償わせることを真摯に諭す

ということであって、被告を口から出まかせに釈明プレゼンテーションして、立証できない「社会背景の責任」と言う無茶な責任逃れ論理を振りかざして理屈をこね、罪を犯したものを無罪にすることではないでしょ。

何で、見抜けないのよ。その時点で失格でしょ。

安田弁護士のように罪人を司法上のテクニックで、先延ばししたり、誤魔化したりすることもこれ弁護士の仕事ではないでしょ。

罪の重さを十分本人も認めていることを踏まえた上で、死刑は死刑だけど、死を持って本人は悔やんでいるということを死刑になった後も、周知や伝承活動を行い、その罪を人の心の中で軽減していくことがその責務であり、裁判が自分の腕のパフォーマンスの場ではないでしょ。

無論、光市母子殺人のように被害者を挑発するような言動や手紙を送った人間は死刑は免れない上でどのように浄化してやるのか?が弁護士が社会に対して従事する責務であり、クダラナイ法の抜け穴をテクニックで免れるよう仕向けることが弁護士としての業では無いだろう。

米国の悪い映画かドラマの見過ぎのような法曹関係者って多すぎるのではないか?

よくあることは、「本人はまともな判断ができない状態にあった」という弁護
「人間としてのまともな判断ができないのは、人間として認められない」から家畜扱いしてもいいのですよね?

人里に出没するクマやイノシシのように。(笑)
彼ら動物には人間の法律は適用してませんよね。人間のための法律が人としてマトモに判断できない状態にある人を人と認めるのは、自分勝手以外の何物もないでしょ。

法律って、人間のためのものなのでしょ?
「人の形をした人としての判断ができない状態の生き物」これ、人の定義が当てはまるの?
人の判断と心を持つクマの場合は?そしてその立証方法は?

弁護が安易すぎるんだよね。素人から見て。