テレビ朝日の番組で原発の同時多発災害に対する電源確保について、
「検討はしてもものすごい費用がかかる」と表現していた。
私はこの「ものすごい」と言う形容詞は大嫌いだ。
ビジネスでも良く使われる表現だがまったく論理的でない。
この表現は、ビジネスの現場では、
ミスをごまかし、言い訳に使われる場合に使用されるケースが大半だ。
貴方はものすごいと感じるかもしれませんが、人によってはそう感じない。
被害を受ける側はそう思わないが、私的利益を享受しようとしている人は「ものすごい」と感じる
そんな定性的表現であるからだ。
1号機の設置許可申請書は1966年7月1日。
つまり60年代から70年代に掛けて費用算出され、
その後、何度も追加の設備投資が行われている。
しかし、思想は60年代のもの。
一体、いつの時点で「ものすごいコスト」と認識したのか?
60年代や70年代はそうであったかもしれない。
コンピューターシステムだって当時はそれぐらいの価格であった。
今では、軒並み高層ビルが立ち並ぶ。
霞ヶ関ビルで喜んでいる時代ではないだろう。
要は、そこにコストを掛けるよりも「他の原発建設にコストを優先したい」
という東電の意識があったのだろう。
しかも、莫大な利益を開発メーカーに落としての計算であり、
充分コストは詰めきれてなかったろう。
この「ものすごい費用」という一言で
「ものすごい損失」を東京や地元の経済がこうむっている。
今回の災害での経済損失は地震被害よりも、今後引き続き起こるかも知れない放射能危機による、
不安からの経済ダウンのほうが大きいと言わざるを得ない。
よく吟味もしない「ものすごいコスト」と今、起きている東京などの経済ダウンは
どちらが大きいと思っているのか。
「ものすごい」と言う表現を使う人間自体を
信頼してはならないのだ。