スズキ自動車が、雑巾を絞るぐらい生産コストを切り詰めても
国内での生産は限界!
など特集記事が出ていた。
日本国内に先ず自動車メーカーがありすぎだが、
■コストを切り詰めて安くすれば、売れるのだろうか?
■その昔は、所得と比較しもっと高かったのでは?
■余りにも過去の販売製造構造に頼りすぎではないか?
逆にきっちり作り、それこそ何十年と乗っていただくために、
ゆっくり作ります。
少し高いですが、日本人の手による車ですので
大事にお使いになってください!
少々高くなりますが、部品も保有しますので
安心してメンテナンスにお出しください。
本当の意味で良い車とは何か?を定義づけることから
見つめ直さなければならないのだが。
私は、この考え方なら買い換えます。
これはパラダイムシフトの一つの考え方。
どこもかしこも、先進技術が潜在化してしまい、
どの車に乗っても差はなくなってしまっている。
その場合、もう一度、車という高額耐久財に対する考え方を変える
メーカーが1社ぐらい有っても良いのではないか?
今までにランニングコストを考えて車を購入してきた
消費者など居ないからだ。
3年すれば、新たに付かなくても良い機能が付加されて、
マイナーチェンジによりマスクも変わり、買った消費者の
持ち物を陳腐化させる。
それはある意味、消費者を裏切ってきたことになるのだ。
最初から機能を出し惜しみし、計画されているとしか思えない。
そうした方が車をメンテナンスする人たちも潤うし、
逆に社会主義のように、計画化してラインの調整が出来るはずだ。
つまりはロスも余りモノのダンピングもなくなるということ。
そこまでコストを削減し、車を安く売る、台数売る、どんどん作って
工場が稼動すれば、企業が儲かる!
本当にこれからもそうなのか?そうでなければ利潤が得られないのか?
企業は儲かるが、消費者が無駄な買い物をしてきただけなのだ。
適正な利潤を載せればよい。そして長く乗ってもらい、顧客と長くお付き合いする。
そのためには、少し高いけれど、長く作り続ける。
本来海外に生産拠点を移転する製造論理と、国内の製造論理は、
もう変えなくてはならないのではないか?
私は93年に初度登録された残存価格マイナスのボロイ車に乗っている。
でもこの車、買い換える気がしないのだ。
燃費が多少悪くても、税金多少高くても、買い換えるコスト負担を
考えるとやはり割に合わないのだ。
その上、魅力的な車がないのだ。
これまでのモノ造りの発想を転換することも必要なのではないか?