分析業務が色々、切羽詰っていて休みの日も生憎レポート作成などで出勤している。

ある意味、仕事が趣味みたいな生活になってきて、なかなかやりがいがあるが、

数ヶ月前に参拝すると良いと、取引先の社長が薦めてくれた神社がある。

それが、高砂にある鹿嶋神社 だ。

http://www.kashimajinja.or.jp/index.htm  


良いことはすぐにしなさい、という教えを怠り、ついつい

仕事にかまけていたが、

今日、出勤し、分析マート作成の

バッチ処理をキックしてから、

車で一足行って来た。


この鹿嶋神社は由緒ある神社で

「一願成就」の神社ということだ。

薦められた社長はこの神社を参拝し、

通常ありえないことが成就したのだ。


私は、成就などをシンプルに信頼はしないが、

取引先の社長の勧めを

怠っているという後ろめたさがあり、

(このあたりは仏教思想だと思う)

参拝することとしたのだ。


参拝するときにいつも自分で願を掛ける際、

皆様はどのように願を掛けますか?


「●●が叶いますように」

ではないですか?


私は

「●●が叶うよう努力をしますので、御見守りください」

もしくは

「●●が叶うように努力をしますので、ご支援ください」

と願う。


あまりにも他力本願自信が性格上、合わないのだ。

お願いをしたら怠慢をしても願いが叶う?

そんなことはありえないのだ。


もちろん、多少遠いところに足を運び参拝する、

という努力をするほどの強い思いだから、

成就するように人は日頃から努力をしているのだ。

日頃から努力するのだから、成就もするのだと思っている。


日頃から努力もなく、僅かばかりのお賽銭で願を掛け

成就するはずも無い。あまりにも甘い考えなのだ。


だから、神社・仏閣に参拝する際、雑念を払拭し、

「●●が叶うよう努力をするので御見守りください」

という概念で参拝することにより、モチベーションを

持ち続けると、必ず成就することが出来ると信じている。


他力本願ではなく、直向に努力すること。

で、神に少しだけくじけそうになる心を支えてもらう。


それは心が弱いのではなく、神の前で“努力をする”

というコミットをすることであり、

コミットを達成できない場合、

成就はないのだ。


参拝一つ取り上げても、決して間違って

解釈してはいけないのだ。


しかし、歴史の長い神社・仏閣は日本人の

心を癒す、不思議な力が存在する。