政治家の皆さんが中小企業を支援できるよう意識した法律を色々盛り込んでいますが、

金融面の支援、人材面の支援、業態変換のための教育・設備投資資金支援など様々です。


しかし、ある意味痒いところに全く手が届いていないのが現実です。

私が、色々な中小企業の社長やそこで働く人、当然私も経験したことですが、


確実に負のクラス社会のメカニズムが出来上がってしまっている点です。

特によく聞くのが、


ある大手企業の中堅幹部の方が、特定の技術を有する中小零細企業に目をつけ、大手企業の製品作りの一端を担うよう大手企業内で、上申しようとしました。


当該部門取締役はOKでも、財務取締役がOKしません。

何故ならば、体力が無いというのです。

もし、事故や多少の不良が発生した場合、補償に耐えられるだけの資金や人員数など規模が無いという決断が下されます。


中小零細は、この保身なる財務、もしくは総務などの口座開設承認部門にオーミットされるわけです。


一度、外部環境のあおりを受けて、財務面や社員数などの規模の面で負の回転を始めると、ビジネスチャンスも与えない厳格なクラス社会が出来上がっています。


資金で国家が援助すると言っても、それは末期のがん患者にモルヒネを投薬するに近しく、遅かれ早かれこのような技術や真面目さを持って運営されてきた企業であっても、死に至るのです。


しかも、かつてのビジネスも大手企業に、値切られ、無理な納期を頼まれ、大手企業のために働いていた企業がやむなく、切り捨てられます。


米国の場合は、このような失敗をしても立ち直れるチャンスを多く与える風土があるが、日本はダイナミズムの入り口で切り捨てる部分の基準だけ運用し、再起させる場を与えない構造になってしまっている。


政府に今求めるものは、もっている技術を必要な企業にビジネスとしてつなげていく場の創造や機会のインキュベーションが最もありがたいと多くの中小企業オーナーが言っております。


モチベーションを力に業態変革がはじめて可能になる。


大手企業の自分がミスをしたくないための、保守的保身のたったひとりの取締役の器量の無い意思決定で多くの中小企業のビジネスチャンスが、闇に葬られているのが現実です。


昔のオーナー社長は、このような真面目に働く中小企業のオーナーの人柄や技術を見抜き、共に成長してきた。つまり企業オーナーの懐が非常に深かったのだろう。

今の経営者は、与えられた地位を守るのに毎日必死で、銀座や新地にのみに行く時間はあるが、企業を取り巻く利害関係者の現実や本質を自分の足で確認しようとしていないのではないだろうか。


現代の企業オーナーは、労苦があるわけでもなく、高度経済成長時に上司の顔色を伺って、与えられた仕事を比較的ミス無くこなしてきた経営者ばかりではないか。

今の時代にはそれがマッチしているのだろうが、日本人はとにかく本質を見抜く才覚を持ってない人が多く、マスコミに踊らされる人が多い。


後、中小企業としてリーディングできるひとは、博打のようにビジネスをはじめ、偶々それが当たったような博打好きしかいないのだろう。


私が今までお会いしたことのある企業オーナーでも、非常に懐の深いところを持ち合わせていた人は、本の数人しかいなかったのが現実だ。

そのような方に限って、何故かマスコミには一切露出せず、本当に陰から社員や会社を支えている方が多かった。