最近、可愛くない老人が多い。


私も、一応、ヴェーデン・パウウェルが率いたイギリス発祥で、日本では笹川良一氏が普及活動をした青年右翼系サバイバル訓練奉仕団体に5年以上所属していたため、敬老や目上については従順なれ!


と言うポリシーを持っている。


先日会社の近くに、大衆食堂があり、そこの現役引退したおじいちゃんが、私が“孫の手”と“靴べら”を間違って靴に突っ込んだのを見て、大笑いしていた。

孫の手を靴べらの付近においているのは、このお爺ちゃんなのだ。

思わず、おじいちゃんの笑いに釣られてしまい、(良く釣られてしまうのだ、J-CASTにも)大笑いしてしまった。

なんと、可愛い笑い方をするお爺ちゃんなんだろうか。

空気が漏れた笑いというか、電池が切れかけた“笑い袋”のような笑いだ。

表現は拙いが、その笑いは決して45rpmのレコードを33rpmで掛けた笑いではない。


しかし・・・だ。


分析報告に大阪に出たが流石の神戸も街が古い歴史をもっていることから、老人が多いのだ。

街に出ている老人のまあ、可愛くない可愛くない!


歩くの遅いくせに、人の後ろで“チッ”と舌打ちしやがる。

てめえ、生産性低くて酸素の消費しかしないくせに邪魔なのに何を舌打ちしてやがるんだ!ぼけ!


と、心で思い我慢をしたが、可愛くないのだ。


電車に乗ろうとすると、奪取をする婆さん。生意気に私の脇からすり抜けて我先に電車に乗る際、私に肘を入れて、インターセプトだ。思わず脚を引っ掛けてやろうと思い、歯を食いしばったが我慢した。


クライアントに向かうため足早に歩いていると、道一杯に2人で広がり、行く手を塞ぐ。三人は通れるのだが、体が釣鐘型の完全デブ婆さんのために、擦り抜けられない。

しかたなく、超接近で歩いていると、まるで強盗か変態を見る目で振り返りやがる。

婆あ、太すぎるんだよ!ボケ!

と思ったが、飲み込んだ。


最近の年寄は、可愛くないのだ。何を長い人生でしてきたか分らないが、少なくとも私の母は同じ年でももう少し奥ゆかしさがある。


可愛くない年寄りが、年金で謳歌しているのをみて、モラルが下がる自分をみてしまった。


最近の年寄り、可愛くないのだ。私は、それまでうんと苦労をして、奥ゆかしい“電池の切れかけの笑い袋のような笑いの可愛い”お爺さんになるのだ!


(と、毒舌吐いてりゃ、無理か・・・)


仕事も中途半端、趣味も勉強も中途半端、お金も中途半端な奴ほど、人生リスクを張らなかった分だけ、何も得ることが無く、友人も少ない可愛くない年寄りになるのだ。


リスクを張らない人生は、それだけ存在意義もないし、人生勉強にもならない。人に苦労も掛けないが人の苦労も分らない。ひたすら避けて通り、人生を開眼せず、哲学も持たず、毎日自分の利得のみを考え、何も得ないまま、経験値の低いアホな老人になっていく。


そんな奴が、電車に乗るときに瞬発力を発揮し、食って寝るから太ってしまい、自分がどれだけドン臭いのか気が付かず、そのまま可愛くない老人になっていくのだ。


可愛くない年寄りよ。歩いているのが私でよかったな、私はまだ肝要なのだ。もし私でなかったら、今の若い奴ならば、きっと殴られて昨今の新聞記事になる。お互い確立していないもの同士だからな。


年を取って、人にほんの少しでも恨みを買いたいのかね、今時の老人。