新年明けましておめでとうございます。
元旦の埼玉は雲一つないほどの快晴で
2019年気持ちのいいスタートが切れたのではないかと思います。
今年はどんな年になるのか、期待と不安が入り交じる中、まずは2018年はどうだったのか
総括していきたいと思います。
元旦の埼玉は雲一つないほどの快晴で
2019年気持ちのいいスタートが切れたのではないかと思います。
今年はどんな年になるのか、期待と不安が入り交じる中、まずは2018年はどうだったのか
総括していきたいと思います。
2018年、仕事に恋愛に悩むことの多い年でした。
自分の一年を漢字にするなら「悩」以外にないのではないかと。アラサー独身女子なのでまぁどうしてもありますよね!
例えば仕事
安定した収入を得られるのはいいけど、あまりやりがいを感じられない。もっと他に自分にあった仕事があるのではないか?
多少給料さがってもやりがいがあるほうが
人生は満たされるような気がする…
でもお金も大事だし…
悩みに悩んで答えは出たので今年は行動に移そうと思っています。
あと恋愛
年齢も年齢だし結婚しなきゃと思う気持ちとでもいまいち結婚に乗り気になれない気持ちもあって動けなかった一年。
そのあたりも今年はちゃんとしないといけませんね。
あとゲーム
今マイクラを細々とやっています。
そんな中で、飼っている羊の毛を刈ったんですが
刈ったっきり毛が一切生えてこないんだけどなんでなんですかね?
毎日様子を見に行く度に痩せ細った姿で羊たちはこちらを見つめてきます。
このままじゃ彼らも可哀想だし、自分自身も
これでベッドが思いのまま作れる!寝る場所に困らない!と思ったのに
このままじゃ木のベッドフレームの上で直接寝るような生活になってしまいます。
出来れば羊毛を使ったマットレスと掛け布団、枕もできれば欲しいです。
羊たちの毛根は死んでしまったのでしょうか?
悩んでます。
あとセミ。
夏の終わりにみる悲しくも地面に落ちているセミ。生きてるのかな~どうなのかな~あ!生きてるー!!
というような状態を私は今まで「セミ爆弾」と呼ばせてもらってましたが、
最近になってそれを「セミファイナル」とも呼ぶことを知りました。
死が近い、つまり「ファイナル」をもうじき迎えるがまだ辛うじて生きている状態を指す「セミファイナル」
この呼び方を大層気に入ってしまったのです。
「セミ爆弾」は子供が死にかけのセミを握りしめやーい!セミ爆弾だぞー!と弄ぶようなイメージですが
「セミファイナル」は他人事ではあるがどこかセミの生死に寄り添っているようなニュアンスがあるように感じます。
ファイナルという言葉自体も、人生の最終局面!というような最後の灯火を盛り上げてくれるパワー、ソウル、そんなモノが詰まっているような気がします。
もし私が死にかけのセミで、通りすがりの人間に指を指されながら何か言われるのだとしたら
「あ、セミ爆弾」
(爆弾じゃねーし!死にかけてるだけだし!)
よりは
「あ、セミファイナル」
(あ、そうなんですぅ~💦)
の方がいいかなと思うので今年も幾多の地面に横たわるセミ達を見かけたらそう呼ぼうかな?どうしようかな?
そもそも死にかけてるのに指差して何か言われる時点で死ぬほど腹立つけど
一番いいのはだれにも踏まれないような道端にそっと場所を移してあげるのがいいのかな?
…とセミの気持ちになったらそう思ったけど
虫が苦手なので触れられないのと、セミファイナル状態は結局生きてるってことだから
突然暴れだす可能性高いしそれってやっぱり怖いよね。
だって
爆弾みたいなんだもん!
2019年ブログはじめます。