≪ 教皇フランシスコ の四旬節メッセージ ≫
わたしたちは、一個人としても 『 無関心 』 になりがちです。人々の苦しみを伝える報道や衝撃的な映像が氾濫する中わたしたちは、自分には何も出来ないと感じてしまいます。
こうした 『 憂い 』 と 『 無力感 』 の連鎖に捕らわれない為にはどうしたらよいでしょうか。
まず最初に、わたしたちは、 『 地上の教会 』 と 『 天上の教会 』 の交わりのうちに祈ることができます。 『 祈りのうちに結ばれた多くの人々の声の力を軽んじてはなりません。 』 こうした祈りの必要性の表れとして、わたしは、3月13日から14日の間に 『 主にささげる24時間 』 という取り組みが教会全体、そして教区レベルで行われるよう望みます。
第二に、わたしたちは、 『 愛の奉仕 』 を行う多くの教会団体を通して、近くにいる人にも、遠くにいる人にも愛のわざを行い、彼らの助けとなることができます。四旬節は、 『 一つの人間家族の一員 』 であることを少しでも具体的に表わすことによって、人々に心を配るのにふさわしい季節です。
第三に、 『 他者の苦しみは、回心への呼びかけです。 』 なぜなら、他者が求めているものは、自分自身の命のはかなさと、自分は神と兄弟姉妹なしには生きられないことを思い出させてくれるからです。
もし、神の恵みを謙虚に願い求め、自分の限界を受け入れるなら 『 神の愛がもつ無限の可能性 』 を信頼し、 『 自分や世界を自力で救えると考える悪しき誘惑 』 に抵抗することができるでしょう。
『 無関心 』 さと、 『 自分で何でもできるという思い上がり 』 を克服するための一つの方法として、この四旬節を、教皇ベネディクト十六世が示したように、心をはぐくむときとすることを皆さんにお勧めしたいと思います。
『 あわれみ深い心は弱い心ではありません。 』 あわれみ深くなりたい人は皆、強く揺るぎない心、誘惑者を退け、神に開かれた心をもっています。 『 聖霊 』 に動かされることを受け入れる心、さらには、兄弟姉妹に対する愛の道を歩む心です。
それはつまり、貧しい心、すなわち 『 自分の貧しさ 』 に気づき自分を他者のためにささげる心なのです。
兄弟姉妹の皆さん。この四旬節の間、 「 わたしたちの心をみ心にあやからせてください 」 (イエスのみ心の連祷) と、主にともに祈りましょう。そうすれば、わたしたちは、強固で、あわれみ深く、細やかで寛大な心、自分の中に閉じこもることも、無関心のグローバル化に翻弄されない心をもつことができるでしょう。
この四旬節の歩みが、すべての信者と教会共同体にとって実り豊かなものとなるよう祈ります。どうか皆さん、わたしのために祈ってください。
主が皆さんを祝福し、聖母マリアが皆さんをお守りくださいますように。
= 教皇フランシスコ =
≪ カトリック中央協議会 ≫ より抜粋
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★ = ヴィア ・ ドロローサ(悲しみの道) = ★
この You Tube を聞き(観)ながら下記の 『イザヤ書 53:1-5 』 を読む
と、よりいっそう 『 イエスの愛 』 が 『 魂 』 に入ってきます !!
この You Tube を聞き(観)ながら下記の 『イザヤ書 53:1-5 』 を読む
と、よりいっそう 『 イエスの愛 』 が 『 魂 』 に入ってきます !!
注 : 映画 『 パッション 』 の映像が使われていますから
聖書に不慣れな方にはキツイシーンかもしれません・・
≪ 贖いの十字架の預言 ≫
旧約聖書 イザヤ書 53:1-5 Isaiah 53:1-5
★ 主イエスが地上に来て下さる700年以上前の啓示です ★
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
渇いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように。
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって
わたしたちはいやされた。
旧約イザヤ書 53:1-5 Isaiah 53:1-5 ( 新共同訳聖書 )
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God bless you and your family.
Amen.
