本格的に登山を始めたのは高校2年生の時だった。
といっても入部したとたん部が学校から休部命令を受けたのだけど
活動再開のため学校側から提示された条件があった。
部員数を10名以上集めることと、地域のボランティア活動の参加など
色々あった。今の現役生はおろか、その上のOB達も知らないことだけれど
当時は同期の部長と私二人で色々と苦労をしたのをふと思い出した
大学へ進学してからも互いに違う道を歩みながらも自分たちで再出発した部に対する
想いは覇気は違えど同じだった思う。
大学へ入り、小説やテレビ、イメージでしか知りえない本物の技術を学び始めたころ
好きなことをしているはずなのにどうしようもなくそれが怖いものと感じるようになってしまった。
ザイルを使用して安全を確保しながら行う登攀は、いやいややらされていた感じだった。
その時いつも思っていたことがあった。
強ければ、強くあることができれば怖さを感じなくなる
今よりもずっと未熟であった私は少なくともそう思っていた。
しかし、現実は異なり技術を身につけ、体力もつけ、強くなったはずなのに
強くなる前よりもずっと臆病になっていた。
意気揚々と登山計画をたて、それを実行
いつもルートの取り付きについたとき後悔をしていたと思う
そしてルートの終了点へつきそれが終わると決まって次のことを考えていた。
それは今も変わらない。
病気を患わい、身体が数年前と比べてうまく動かせことができなくても想いはなお
消えない。バカは死ななければ治らないのだろう。
あーだって私は高いところに居座るのが何よりも好きだからだ。