学生時代、仲間って、なによりも大事だった。
ただそれは存在としての反面、言葉として欲していた部分も大いにありけりだった気がする、今は。
仲間に囲まれている自分、という状況。それが大事だったのかな。
でも働き出して、余裕のない毎日を過ごす日々の中で、昔「仲間」と呼んでいた仲間の中には、実はただ群れて馴れ合っていた存在だったのかなって感じてしまうやつも出てきた。今やお互いの環境を共有するどころか、会話も噛み合わない。その繰り返しばかりの20代だった。
そんなことを思いながら、俺も結婚し、子供ができ、一方で、自分中心の生活を重ねる中で感じたのが、無理していた昔の仲間とかいらなくね?結局、言葉としての仲間が欲しかったから無理していただけで、何も楽しいことを共有してない。偽りの時間だったのでは、と思い始めてしまった。
むしろ大人になって社会に出て出会った人々と紡ぎ始めた共有できる時間の方が楽しくて仕方ない。
自分が楽しいから始めで、それに共感してくれる環境。この感じが幸せって思ってるし、思っていいよね。
やっと、空虚な体裁を気にする自分から、素直な自分の心を大切にできる自分になれた気がする。
自分を開放していいんだねー
アラフォー、不惑直前。ようやく一歩進めた気がする。人生は短い。やりたいことやって、そこで出会う人々と満たされた時間を過ごしたいと思いました。