古畑とか深夜ラジオとか。 | めっしゅの靴下が物を申したり申さなかったり。

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 東狂五輪はなんだかんだで今年の夏に開催しそうですな。絶対gdgdになるんやろなぁ。競技じゃなくてその周辺が。やるにしてもこんなタイミングでこんな形は無いわなぁ。ちなみにテレビ観戦は…暇だったら見ます。これだけは見たい!って競技これは見たくない!って競技も特に無いですし。あ、浜名湖女子王座が始まったらそっち中心になるだろうなw

 

 

 それはそうと、今年はいろんな人が亡くなったり、いろんなモノが無くなったりしたなぁ。ムーンライトながらドレミファインバーター歌のゴールデンヒット田村正和さんトロとパズルアタック25小林亜星さん。「いや毎年そんなもんだろw」って言われるかも知れないが、個人的には立て続けに来たなぁ。まぁ歌のゴールデンヒットは正直ネタ切れ感あったからまぁ…って感じはあるものの、昔の貴重映像とかバンバン出してくれるから見てて楽しかったなぁ。これからは過去の歌のゴールデンヒットの録画ブルーレイをたまに見返しますかね…。

 

 

 田村正和さん死去はビックリしたなぁ…。そんな歳なん?って一瞬思ったけど、よく考えたら小学生の時に見てた「パパはニュースキャスター」「ウチの子にかぎって…」の時点でオジサマだったから、そんな歳だわなぁ。残念ですね。田村正和さんの出演ドラマは色々見てたが、やっぱ一番好きなのは古畑任三郎ですね。あれは面白かったな~。とにかくオシャレ。世界観が一貫してオシャレ。そしてその世界観を田村正和さんがフルブーストしてたな。かっこよかった。そしてその中でも一番面白かったのは第2シーズンの1話(※通算14話目)の「しゃべりすぎた男」ですねぇ。真犯人である弁護士・小清水が罪を大学時代の知人・今泉になすりつけての完全犯罪を企むも、裁判の中で犯人しか知りえないある単語をしゃべっていたことを見抜いた古畑は証人尋問に出てきた所を法廷のど真ん中で無理くり自論をねじこみ、最後には啖呵を切って小清水弁護士を追い詰める。かっこよかったな~。まぁトリック的にはちょっとまぁごにょごにょあるものの、それでも良かった。

 

 

 あと「さよなら、DJ」も良かったなぁ。深夜ラジオの最中に事件が発生、その深夜ラジオのパーソナリティでもある殺人犯は番組を続行。古畑は出来るだけ番組が終わるまでにしっぽを掴むために証拠探しや放送中にも関わらず隙を見つけて話を持ち掛けて、放送終了直後にしっぽを掴んで逮捕となった訳だが、舞台が深夜ラジオの放送中なもんだから番組中にもその深夜ラジオのトークが流れてたのだが、なんだか聞いてて懐かしいような感じがしてねぇ。いつぞやのラジオ話で、某局の某番組のことを話したが、それ以外にも結構いろいろ聞いてて、改編期にはラジ関やMBSとかRSKに切手を貼った返信封筒を入れて封書を送ってタイムテーブルを送ってもらったりしたものです。当時ラジオ仲間とそんなこと話してたら「俺の分も送ってくれよ」って言われて、いつもの62円切手じゃなく72円切手を貼って7通分をラジ関にお願いしたら、お願いした部数以外にもメモが入ってて「お申込みありがとうございます。なにかご意見等ございましたら気軽に申し出てください。ラジオ関西・総務部」みたいな直筆のメッセージが入ってたこともあって嬉しかったな。

 

 

 そういや、92年10月中旬に勤務中に事故に遭って、10月中旬から11月中旬まで1か月入院して、その後93年2月末まで自宅療養ってことになったのだが、その時もよく聞いてたなぁ。さすがに自転車に乗ってて車と正面衝突して、10mくらい飛ばされて後頭部から着地しただけあって、最初の2日くらいはICUの中で何も食べてないのに吐き気が繰り返されるわ、それと同時にハンパない頭痛がずっと続いたのでそれどころじゃなかったし、その後一般病棟に移った後も10日くらいは身動きできない状態で点滴だけ打ってもらってたのだが、点滴が取れて身動きできるようになって、1日くらいの歩行器での慣らし作業も終わって、残り半月くらいは割と自由に動けたものの、一応病室にテレビはあったがテレビカードとかいうクソ高いカードを買わなきゃ見れない仕様だったこともありよくラジオを聞いてたし、消灯時間の後でも深夜ラジオを聞いてた。さすがに3時くらいには寝て、朝食時間には起きて、食ったらまた寝てたりとそんなサイクルではあったが、よく聞いていた。当時聞いてた深夜ラジオはRSKで流してた「パックインミュージック21」(※キー局はTBSラジオ)。月~金でずっと聞いてたし、その流れで退院後も聞いてたが、93年9月という早い時期に終了。残念じゃ。

 

 

 パックインミュージック21は月曜1部の奥居香(※現・岸谷香)が良かったかな。詳しいコーナー名は忘れちゃったけど、みんなで同じ時間にコーヒーを飲もうってのが毎週あって、私も一緒に飲みたかったもんだから、消灯後にこそ~っと病室を出て、こそ~っとナースセンターの窓の下を忍び足で抜け、エレベーターで1階まで降りて売店の自販機でコーヒー牛乳とかカフェオレ買ってまたこそ~っと病室に帰って飲んでたなぁ。懐かしー。(※私はコーヒー飲めないので、どうしてもカフェオレとかコーヒー牛乳になります…)

 

 

 でまぁ、退院後も聞いてはいたが、92年の年末で水曜1部が江口洋介から辻仁成に変わったのだが、辻仁成は何を思ったのか、リスナーからもらったハガキを「これから僕はハガキのことをカードと呼ぶことにしたから」などとのたまい、その他にもキザな設定がそこかしこに出ててパーフェクトキラキラ番組を目指してたのかどうか知らんが、ごくごく平凡な上にむしろ野暮ったい側の人間である私にはどうにもついていけなくて水曜は聞くの辞めたっけか。てかあの世界観ってどれだけの人がついていけたんやろw

 

 

 あ、93年2月末まで3か月以上も自宅療養ってハッピーやんって思ってる方います?実は全然ハッピーじゃなかったです。事故の際に後頭部を強打したのが原因で軽い半身麻痺になっていて、朝起きた時点では顔の右半分がもの凄い動きにくい状態で、口も半分がまともに動かないから何言ってるか聞き取りづらい。右の鼻孔は鼻水がすすれない上にかみづらいとかなり不便な状態に。さすがにちょっと歩く分には問題ないが、手とか指は結構影響うけてて、右手とその指は細かい作業とか全然出来んかったな。ゲームも真女神転生Ⅰ三国志Ⅲとかはまだ大丈夫なんだけど、マリオカートとかもうまともにカート動かないw脳で動けと命令しても右手やその指の反応は目に見えて遅かった。その症状は夕方くらいにはマシになって夜とかは割と問題なく動いてたのだが、寝て起きるとまたリセット。それが2月中旬くらいまで続いた。2月下旬にはその症状が朝でもなくなり、病院の先生によるGOサインも出て3月から出社したというお話。まぁでも勤務中の事故ってのが不幸中の幸いだったな。給料とかボーナスとか普通に支給してくれたからなぁ。あれはありがたかった。あのお金で免許も取りに行けたし。

 

 

 そういや京急のドレミファインバーターも今年の夏で終わるし、昨日も書いたけど、アタック25も終わるんだよねぇ。まぁアタックはここ数年見てなかったとは言え、子供のころからずっと見てたし、ガキの頃の野望の1つに「新婚さんいらっしゃいとアタック25の連続出場」があったくらいだ。まぁ両方とも無理になってしまったのだが、大変だねぇ。新型コロナがなければこんな事態にもなってなかったろうに。あとドレミファインバーターもなぁ。鉄道系の番組とか動画では聞いたことあるけど、生で聞いたことないんだよね。これも聞けないまま終わるっぽいな…。残念じゃ…。

 

 

 まぁ、今回はこんな感じで。(-_-)ノ