とうとう非常事態宣言が出て3週間経ってしまった。5月6日以降もそれが続くのかどうかも微妙な感じだ。本来ならTOKYO2020として諸問題を抱えつつも盛り上がっているはずがどうしてこうなった。東京五輪に向けてひよっこ(※3年前の朝ドラで、物語の開始が東京五輪があった1964年であり、東京五輪も少し絡む)もいだてん(※去年の大河。エンディングは1964東京五輪)も再放送されてるが、本来は今年の夏に向けての放送のはずが最低でも1年延びてしまった。オリンピックって40年周期で大きい問題にブチ当たるのな…。東京ビッグサイトも最低でも2021年11月まで使用不可だって。このままだと印刷所等がバタバタ倒れるのは目に見えてるから、その時はスクラム組んで東京都を訴えたりとかあるかもしれない。ブエノスアイレスでの決選投票で外れれば良かったのに。
それはそうと、ブログをこれ以上放っておくのもどうかと思うし、待ってくれてる数少ない読者もいるだろうからなんか適当に書こうかと思ったが、特段ネタもないんだよね。競技クイズ界隈や小池に対する過去数年分の被害状況やその愚痴とかなら10万字でも余裕で埋められる自信あるけどwまぁその話は発作が起きた時にやるとして、たまご(かけ)ごはんの話でもしますかねぇ。
日本人なら大体の人が知ってるであろうたまご(かけ)ごはん。ラモス瑠偉も21世紀に入って以降は「日本人なら卵(かけ)ご飯やろー!」と叫んでいるに違いない。そんな卵(かけ)ご飯だが、こないだの再編集版月曜から夜ふかしでも卵(かけ)ご飯の作り方についてマツコと村上が触れていて、小皿で卵と調味料(※味の素とか醤油とか)を混ぜた後でそのままごはんに掛けるのか、ごはんを少しヘコませて卵の受け皿を作ってそこに垂らすかで対立していたが、ウチの作り方はそのどっちでもないのである。そのやり方はこちら!ドン!
普段ご飯をよそうお椀に卵をダイレクト投入
味の素と醤油を適量入れてかきまぜる。
その上にご飯をよそう。
Let’s shake T(K)G!
こんな感じである。私が小さい頃からウチじゃそうだった。なんでタイトルとかここまでの文章で卵(かけ)ご飯と無駄に丸括弧を付けていたかと言うと、ウチじゃ「たまごご飯」と呼んでいたのだ。そりゃそうだ。卵を掛けていないんだから「卵かけ」ではないのだ。味はともかく洗い物が確実に1つ減るお得な方法だとは思うが、じゃあと思って真似する人は少なそうだ。
ちなみにこの方法、父方の家の風習なのか、母方の家の風習なのか、オトンかオカンの思い付きなのかは不明。聞いとけば良かったと思うものの、今となってはわからんなコレ。オトンは私が小6の時に病死したし、オカンはもう何年も連絡してない。向こうからも来てないし、来てもその電話を取って会話するつもりもない。絶対メンドクサイことにしかならないからだ。例えそのメンドクサイ事案が無かったとしても、ウチのオカンは以前ニコ動ブロマガにも書いた「今まで権力を持つことなく鬱屈した人生の中で、初めて掴んだ権力欲を病弱な長男相手に全力発散させる毒親」で、次男は自由奔放に育て金も注ぎ込んだが、長男(私)相手には抑圧&制圧が趣味というエグい子育てをしまくったクセによそ様相手には「もーあの長男には困り果てたものでねー。言っても言っても全然聞かないし勉強もしないから成績も最悪で言動もヤバくてねー。」という賢いけれど不幸な母親と何もかもがおかしい長男が不幸の原因な可哀そうな家庭というイメージを吹聴を全力でし放題だったし、それを聞いた人(※主に親戚筋)も強健にビルドアップされた情報リテラシーがある方じゃなかったので見事に信じてしまう地獄が日常的に発生してる、そんな代理ミュンヒハウゼン症候群を地で行く展開なんか当たり前だったし、その発言に一貫性はなくその場その場で自分に都合のいいことを言うだけの脳内物質が倒錯しまくった人なので、聞いた所で信憑性は薄い。
まぁたまごごはんがどんな経路でウチに出てきたのかは不明だが、小さい頃からこれを食べて育ったので今に至るまで作り方もこんな感じだ。これで別に不便はないし、味に関しても個人的には満足してるから変える必要もないのよな。
ただ、1回だけ困ったことがあってね。20代前半の頃に当時正社員として働いていた会社の研修で川崎の研修センターで3泊4日とか5泊6日で学んだりする際に研修センターで寝泊まりするのだが、広い食堂で食べる朝食に出てきた小皿の上に卵が乗ってるんだ。最初見た時は「あ、ゆで卵かな?で、この小皿に殻を捨てるんや」と思ったくらいだ。そう思った瞬間、食堂の周りの人達が小皿にその生卵を落として調味料と一緒に混ぜてご飯に上から掛けたのを見て「あ、ゆで卵じゃなくて生卵だったのか!勢い余ってゆで卵のつもりで割ろうとしなくて良かった。関東はたまごごはんの食べ方も違うんやな~」などと呑気な感想が出るくらいの軽いピンチがあった。当時私の行動範囲に吉野家も松屋もなかったので、世間一般の卵かけご飯の食べ方を知らなくてそこで初めて知ったのだ。てかあの研修センターって全国各地からいろんな人が来てるけど、みんな普通にやってたから関東とか関西じゃなくてウチが独特なだけだったなw
そういや話はズレるが、あの川崎での研修は良かったな~。そんなギスギスした研修じゃないし(※だからと言ってユルい訳でもない)、9時から17時の研修で17時にはカッチリ終わる。そして初日以外は17時以降は自由時間。よそのディーラーがどうかは聞いてないが、ウチは研修の新幹線チケットを総務にもらいに行ったときに総務のオバちゃんに「せっかく東京行くんだから遊んできなさいよ。経費で周遊券も付けておいたから。」と言ってくれて別に頼んでもないのに経費で周遊券付けてくれたし、実際遊んだ。17時に終わったら速攻着替えてバスに乗って川崎駅に行って乗り換えレッツラゴー!!って感じだった。研修初日も17時までの研修が終わった後にその研修室単位で焼き肉やしゃぶしゃぶでの宴会があったのだ。費用は研修センター持ち。タダで肉食いまくったなーw(※さすがに初日の焼き肉宴会は99年あたりで廃止になったっぽいが。)
あと頼めば前泊・後泊も可能で、ある時の研修の時なんか水木金の研修が終わって、金曜の夜も後泊して(※しかもたまたま普段のシングルルームが満杯だからという理由で結構広めな和室を1人で使わせてもらったw)、土曜日は朝から東京観光して、昼3時には東京駅から歩いて有楽町線有楽町駅に行ってそこから地下鉄で麴町駅に行き日テレ方面出口の階段を昇ってまず感動。ズームイン朝でよく見る景色が目の前に広がってるの。あれは本当に感動したなぁ。そして事前に「TVおじゃマンボウ」の観覧希望を出して通っていたので指定された場所に行って待って、普段は家のテレビでしか見たことない「TVおじゃマンボウ」の生放送の様子をジカに見れたし、その時のゲストがユーラシア大陸横断ヒッチハイクで一躍有名になって日も浅い猿岩石の2人だったこともあって「これがあの猿岩石かー」と眺めていたものだ。そしておじゃマンボウの観覧も終わって再び東京で遊びまくって岡山に帰ったのだが、会社の金で東京に行って、宿泊費もゼロ、そんな環境下で研修もマジメにしていたが、それ以外の部分で遊びまくった。あれは最高だったなーw
あ、そうだ。1つ言い忘れた。卵かけご飯専用の醤油ってたくさんの種類かあるけど、あれは使ってません。過去には数種類試してみたものの、個人的に合わないなーって思ってキッコーマンの普通の醤油使用です。1周回ってこれが一番美味しかった。もちろんチマタに出回る専用醤油のほぼ全てを試した訳じゃないが、別に専門家になりたいんじゃないのでもういいやってことでキッコーマンに戻りました。
まぁ、今回はこんな感じで。(-_-)ノ