今こうして
パソコンで言葉を生み出しているこの瞬間にも
地球は回っていて
遠くの国の人たちは朝を迎えて
日本は沈む夜にバイバイしている。
子どもは1年1年成長するし、大人だって年を取る。
そんな
「あたりまえ」があふれる世界で、
「あたりまえ」が消えることなんて、
誰も想像はしないだろう。
と思う。
もちろん、自分だって想像していない。
考えても分からない。
生まれてからの20年で過ごしたことは、
「あたりまえ」の中で過ごしてきたから
それが正しいし、
それ以上でも以下でもない。
もちろん、疑い方も知らない。
「こういうもんだ」って思っている。
それが怖い。
ときどき、”自分とは何か”が分からなくなることがある。
大学生で、
北海道に住んでて、
甘いものが大好きで…という事ではなくて、
その先のことが分からなくなる。
例えば、
「大学生で…うん、なんで?それで?」
「北海道に住んでて…どうしてそこにいるの?」
「甘いものが…ふーん」というように。
一言だけでは片づけられない自分を、ずっと昔から探していた。
ずっとずっと昔から。
でも、今も分かっていない。
自分の事なのに自分が一番分からない。
人と同じことをするのは、似合わなかった。
高校は、行っていた。
でも、やりたいことがあったわけじゃない。
「校則」という、
何に対して
畏敬を払わなければいけないのかわからないものの中で、
私は、何かに対して畏敬を払い校則を守っていた。
自分の見ている世界は、狭いんだと知っていた。
だから卒業したら、
誰も知らない土地に行って、
誰も知らないことをやろうと思った。
まず始めに「校則」だらけの日々で培ってきた
「まじめ」にメリハリをつけようと、金髪にした。
今となってはなぜ
「まじめじゃない=金髪」
になったのかは分からない。
でも、良い思い出だ。
ちなみに、今も金髪。
なんでだ。
校則がなくなっても、
金髪になっても、
世界は変わらない。
変わったのは、ほんのちょっとの見える世界だけ。
何百と人に会い、何百とサヨナラをしてきた。
人間は、いつか死ぬ。
それが今日かもしれない。
明日かも50年後かもしれない。
死ぬのは怖い。
でも、人間は、いつか死ぬ。
それは、疑いもしない「あたりまえ」だ。
ときどき、”自分とは何か”が分からなくなることがある。
すでに、
「こういうもんだ」というほうが少なくなってきた。
この世界で生きるのは楽しい。
見ているものだけが真実ではないし、
聞こえているものだけが本当ではない。
革命はいたるところで起こるだろう。






