私は親が厳しかったので、学校の方が楽しくて登校して、疑問も持たず卒業したけど、
学校という組織に疑問を持ちながらも、頑張って登校している人たちが結構いるようです、、、、
私もようやく、この歳になって、娘が登校出来ないという経験をして、
「これは、学校へ行きたくないのも解るかも、、、」
と、思うようになりました、、、、
「私は学校の何が楽しかったのだろう?」
「何を信じてきたんだろう?」
「アホだったな、自分」
そう思うようになりました。
でも、学校が楽しかった過去の自分が間違えている訳でなく、
学校という組織に馴染んでいた。
ただそれだけの話しです。
私みたいに学校生活に馴染む子もいるけど、
学校という組織に疑問があって、登校せず家で勉強したり、何か選択肢があるなら、
それは、それでOK。
などという、選択肢が増えて、無理に登校しなくても良いという認知度が上がれば、
「不登校」という言葉に惑わされずに済むのにね、、、、、
私が疑問なのは、大人は子供より選択肢があるけど、子供の選択肢の少なさに驚き、
選択肢が無いにもかかわらず、そのひとつしかない道に合わなかったら、
マイノリティとなり、子供の頃から、色んなモノを背負うという事でした。
小学生なのに、先を見て選択しなければならないのです。
自分でね。
そこに支援なんて、ありませんよ。(スクールソーシャルワーカー、教育委員会なんて何も出来ない)
私が、何も学んでいなかったら、どうなっていたのかなぁ?と思います、、、、
不登校で、はじめにした事は情報収集でした。
娘の事、学校の組織、教育委員会の組織、不登校の特徴、今後の方針などなど、
そして、学校について、何も知らなかったという事にきづきました。
学校を知らずにいたんです。
学校にお世話になっていたのに何も知らなかった、、、、、
情けない話しです。
いつかの動画で
「学校は行けるなら行ったほうが良い所だ」
と伝えていたのを見て、意味不明でしたが、今は心から心から納得です。
「登校出来るなら、登校した方が良いかな?」
そんな感じだと思っています。
「無理してまで乗り越えなくて良い」
「別な選択肢を探そう」
これがサイコーだと思っています😊