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家族をネタに書くブログ

ある日、自作の不思議な曲にあわせて踊る母(60代)と、渾身の変顔を披露している旦那(50代)と、なぜか床で寝ている息子(20代)を見て思った。この人たちはネタになるのかもしれないと。

皆様、こんにちは。

 

 

 

弟ネタをブログに上げたのがY子ちゃんにバレました。

 

 

 

「ドスッ」とはしないそうです。むしろ喜んでくれていたと、弟から連絡がきました。

 

 

 

びっくりチキンの練習はムダになりましたが、怒られなくて良かったです。

 

 

 

本題に行きましょうか。今回はちょっとまじめな話。

 

 

 

今年も8月がやってまいりました。

 

 

 

8月といえば、原爆投下によって、たくさんの人の命が失われ、第2次世界大戦が終戦を迎えた月ですね。

 

 

 

1945(昭和20年)8月6日午前8時に広島に。

同年8月9日午前11時に長崎に原爆が投下されました。

死者の数は合わせて20万人を超えました。

 

 

 

そして、その犠牲の上で戦争は終結しました。

 

 

 

今年(2022年)は、終戦から77年になるのだそうです。

 

 

 

10年ほど前、機会があって、『きけ わだつみのこえ』という書籍を読んだことがあります。

 

 

 

知っている人も多いとは思いますが、この本は、戦争で亡くなった学徒兵(大学在学中の学生)が、家族や大切な人にあてた遺書をまとめたもので、生還の見込みがほぼ無いに等しい特攻の任務に向かう前に書かれたものが多くありました。

 

 

 

私は、苦しくて、その本を最後まで読めなかった。息子だったらと、考えてしまったから。

 

 

 

でも、これから先、絶対に戦争はおこしてはいけないんだと強く思ったし、最後まで読めなかったけど、価値のある経験ができたと思います。

 

 

 

第二次世界大戦当時を知る人は年々少なくなっています。私の母はもう60代半ばですが「戦争を知らない子供たち」の1人です。

 

 

 

私は、ありがたいことに、戦争を経験した人から直接話を聞いたことがあります。しかも3人。

 

 

 

父方の祖父、母方の祖父、義理の父です。

 

 

 

父方の祖父は、志願兵で、なぜか特攻部隊を志願し、自身のチームの特攻が決まった夜、同室にいる人たちが「お母さん…」と声を殺して泣いているのを聞いたときに、本当に逃げたくなったそうです。えらいところにきてしまったと。

 

 

 

特攻に行く前に終戦したので結局は命拾いしたのですが、あの時の死の恐怖は忘れられないと言っていました。

 

 

 

あと、難しすぎて戦闘機の操縦方法が覚えられなかったと…。どうやって特攻するつもりだったんだろう。

 

 

 

母方の祖父は、とても優秀だったお兄さん2人を戦争で亡くし、無事を喜んでくれるだろうと信じて家に帰ったら「なんでお前が生き残ったか」と親に泣かれたそうです。

 

 

 

ちょっと親子の間で埋めるのが難しい溝ができたよねと笑っていました。

 

 

 

祖父2人は、もう他界してしまいましたが、他にも戦争当時の貴重な話をいくつか話してくれました。息子に語り継いでいこうと思います。

 

 

 

義父(旦那氏の父)はまだ存命で、御年87歳(多分)です。戦争当時はまだ子供だったようですが、空襲経験者です。

 

 

 

義父は当時小学生で、ある朝、学校に行ったら、学校が空襲で更地になっていたそうです。学校がなくなっているのに授業ができるのかと聞いたところ「青空教室だ」と笑っていました。

 

 

 

更地とかもうそれ「学校跡地」だよね…。

 

 

 

今、まさに戦争中の国があります。毎日たくさんの尊い命が犠牲になっています。

 

 

 

早い終戦を祈るばかりです。

 

 

 

長々と書いてしまいましたが、戦争のない今に生きていることに感謝しながら生きていこうと、毎年8月が来ると思うのです。