「子どもたちが笑顔でいられる社会」と「子どもたちが足を引っ張ってでも自分が優位に立とうとする社会」
「子どもたちがストレスを抱える社会」と「子どもたちがノビノビと育つ社会」
「子どもたちが夢や未来を描くことができる社会」と「子どもたちが夢や未来に希望を持てない社会」
「子どもたちの純粋な疑問に大人が純粋に応えられる社会」と「子どもたちの純粋な疑問に大人が屁理屈で言いくるめ真実を捻じ曲げないと応えられない社会」
「子どもたちの安全が守られる社会」と「子どもたちの安全が守られない社会」
「子どもたちの健康が維持できる社会」と「子どもたちの健康が維持できない社会」
「子どもたちが困っている友達に考えるより先に自然と手を差し伸べる社会」と「こどもたちが困っている友達に損得を考えて得な場合だけ手を差し伸べる社会」
「子どもたちが早く大人になりたいと思う社会」と「子どもたちが大人は汚いから嫌い、大人になんかなりたくないと思う社会」
「子どもたちが幼いながらも分別をわきまえられる社会」と「子どもたちが分別をわきまえるどころか幼いのに表裏がある社会」
「子どもたちが元気に外で遊び、自然や社会から学び取る事ができる社会」と「子どもたちがゲームに夢中で家に閉じこもり、親との会話もなく、閉塞感漂う社会」
「子どもたちが自然と優しい気持ちになれる社会」と「子どもたちがいつの間にか姑息になってしまう社会」
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挙げればキリがないけど、現代は全てにおいて後者の社会。
どうしてこうなってしまったのかを考えるのは、カイゼンするのは、行動するのは大人の責任。何もしないのは無責任、冷酷冷血人間。
でも、現代の未成年の子どもを持つ親が、これまたそれを考えられない、考えてもろくな考えに至らない人が多い。
なぜなら、そういう親が多いから、前述の比較で現代が後者になってしまうのだから。
そういう現代に染まっている大人が多いのだから。
でも、そこで諦めてしまってはどうしようもない。
こんな親ばかりでないとしても両親ともに忙しく、子どもにかまっていられない社会も要因になっている。
それを許容するとしたら、子どもたちのそばに誰か代わりの人が必要だ。
ベビーシッター!24時間保育!保育園!学校!お手伝いさん!とか思った人はブブー!失格。
核家族だから起きるのであって大家族なら親の代わりになる親族がいる。
高齢者の割合が高くなっている今こそ、大家族として生活する必要がある。
子育て終わったのに冗談じゃない!といっている中高年、高齢者の方がいるとしたら、ブブー!失格。
ただ、そうは言っても、中高年、高齢者の親たちとその子どもたちである現代の未成年の子を持つ親たちとの間で譲り合い、思いやる心が大切になる。
その前提には、中高年、高齢者にとっては、孫、未成年の子を持つ親にとっては子どもへの愛情が必要だ。
これがないのならその家族は崩壊している。
子どもに孫に愛情を持って育てるから、何も言わず深く考えることなく愛情を持って介護してくれるんだから。
現代は、この関係が双方ともに崩壊している人が多いと思う。
だから高齢の単身者や高齢夫婦世帯が増加する。
つまり、社会全体に愛が希薄なんじゃないかな?
だから、年齢問わず、心から感謝ができない、気づくことができない、いたわれない、愛を注ぐことができない、愛がわからない。
年齢問わず無法者が多いから社会が不安定になっている。
人同士でそうなんだから、他の生命体や自然の恩恵に感謝できるはずもない。
だから、地球環境回復にも打算的になり利益を追求するのが当たり前になる。
そんな社会だから子どもたちが前述の比較で後者になってしまう。
だから、悪質な犯罪も低年齢化し、人の死というものの重みも理解できない。
だから、若者の自殺が後を絶たない。
純粋に素直にまっすぐに生きられない世の中だから夢を描くことができない。
華やかに見えるテレビにでる芸能人たち。目指してもなれるのはほんの一握りだけど、
たとえばシンガーソングライターでも心豊かに沸き立つ情熱を思いつくままに表現して創造する曲や歌詞を書きたくても、締切に追われて売れる曲を書かなくてはいけない事も多い現実。
そしてヒットしたあと多くの収入を得てようやく自分の人生を描くことができる人も出てくる。でもこんな人は更に一握り。
画家にしても、漫画家にしても、俳優にしても女優にしても、映画監督にしても同じこと。
また、昔は、俳優や女優は恋愛、結婚、出産はタブーだった。
あっても事実は隠された。これも情報操作だ。
この情報操作が行われた理由は、ファンが離れる原因になるからだ。
今はある程度堂々と公表するようになった。
でも、現実に公表前後で長く人気を博す人は少ない。
ところが、よく考えてみるとこれだって純粋にやりたいことをするというよりは、結果的に1度でもヒットしたら一生食っていけるという感覚で目指してしまう人も多いんじゃないのかな?
それって純粋な純真な夢?希望?
公営でも民営でもギャンブルで一攫千金を狙う人々。
それは純粋な純真な夢?希望?
その考え方がどうのこうのっていうよりも、そういう状況にあるものを純粋な夢や希望だと思ってしまう社会が不幸なのかもしれない。
それらは経済的に生きる手段でもあるわけで、職業を選ぶことが、のし上がることが、大金をつかむことが夢なのではなくて、夢ってその先にあるものなんじゃないのかな。
お花屋さんになりたいとか、CAになりたいとか、弁護士になりたいっていうのも夢じゃないとはいわないけど、夢ってそんなに身近な状況を想うものなのかな?
それって職業選択上の希望でしかないんじゃないかな?
じゃあ、その職業選択という名の夢が叶ったとして、その次に描くのはなんだろう?
その先にあるものがお金を稼ぎまくることだとしたら、それが目的になってしまうことがあるとしたら社会として寂しいよね。
でも、現代はそうなってるよね。既に。
私利私欲ばかりが目につく社会だよね?政界も財界も。
スポーツもビジネス、エンターテイメントもビジネス、夢もビジネス・・・
いつの時代もそうだよという人がいるとしたら、ホントにホントにそう思う?
子どもが純真で純粋で無邪気だった時代もあったはずだよね?その時もそうだったと思う?
「経済成長というおもちゃを動かすのに重要な位置を占める便利な通貨」これが凝縮されたのが「人生ゲーム」かもしれない。
そんなリアルなおもちゃ、ゲームに夢中になったばっかりにお金に目がくらんで私利私欲に夢中になって他人のことなんて構っていられない世の中になったんだよね?
特に戦後の高度成長期時代っていうのは、ひどい時代を改善するのに夢中になれた時代。
でも、その後は、苦しくもないのに、この玩具がおもしろくてずっと遊んでいたくて仕方なかったんだよね?
誰もが頑張ってたはずの高度成長期時代に、労もせずこりゃ美味しい!と味をしめちゃった人がいるんだよね?
こんな利権があるならやめられないね!このゲーム!
もっとやろ、もっとやろ!
ほらもっともっと!
こうして現代があるんだよね?
そんな調子で、このゲームは美味し過ぎて楽しくて仕方なかった利権にまみれた私利私欲最優先の人々によって形成された嘘偽りで造られた現代。
でも、その現代しか実体験として知らない人は、それが当たり前だと思っている。
でも、矛盾にぶつかると、はて?と思うけど、それが当たり前かと何故か受け入れてしまう。
しまいには、それが大人の行動だと肯定してしまう。
それを繰り返すうち、矛盾が矛盾を生み、ことごとく筋が通らなくなってきた。
そこは、正論が通じる社会ではなくなってしまった。
でも、その中を生きるのが当たり前だと子供のころから刷り込まれる。
より小さい頃から上を上を目指してとにかく学校として有名な優秀なところを目指すことに力を注ぐ親たち。
それに引っ張られ、それが当たり前だと思ってしまう子どもたち。
だから現代では純粋で純真で素直なはずの子どもたちでさえ、冒頭の比較で後者になってしまう。
でも、現代社会は、結果的に幼少期からそういう競争を勝ち抜いてきた人を厚遇する体質になっている。
人間性を一切見ることなく。
そんな子どもが成長して親となり、子を育てる。これが繰り返される。
しょっちゅう海外旅行には行っても、高級外車を乗り回しても給食費は払わないとか、理不尽なことをのたまう保護者やクレーマー。
保護者って言葉も不似合いな自己保身者、利己自己中心者。
街を歩けば、タバコやゴミを平気で捨てる大人たち。
自分の子どもを虐待する大人たち。
考えもなく子どもを生み、考えもなく結婚し、考えもなくすぐに離婚し、色ボケして連れ子の子どもより新しい彼氏や奥さんに入れ込んだり、果ては虐待、殺害してしまう大人たち。
政界や財界では理不尽なことを言っている多くの大人たちが上に立ち、現状に疑問を感じれば非社会人、非国民扱いされる社会。
常識はずれも甚だしい大人たちが、一応、大人として成人として認められてしまっている社会。
そしてよりにもよってそんな大人たちが牛耳る社会。
それが若者だけではなく、中年や中高年や老齢者の中にも当てはまる。
「本当に成人と呼べる人」は1億3千万人弱の中に何人いるんだろう?
どこに夢や希望があるのだろう?
今の現代をぶち壊すことが夢や希望?
全ての人が、人と比べて卑下することなく、夢や希望をおっかけないまでも見られる社会じゃないと続かないと思うんだけどね。
地球も自然も猛威をふるって、わかりやすい警告っていうサイン出してくれてるんだから、いい加減気づこうよ。
現代がおかしいって事に。
現代が異常だって事に。
現代が非常識だって事に。
現代が当然で他にないと思ってた自分の心に。
このままでは、いけないって事に。
悠長なことは言っていられないって事に。
でも、だからと言って悲観的になる必要なんて欠片もないよ。
だって地球の回復に夢を見ればいいんだから。
だって生態系や食物連鎖の回復に希望を持てばいいんだから。
だって回復したら自然の恩恵がどれだけ素晴らしいかを味わうことができることに喜びを感じればいいんだから。
そんな風にできたなら、冒頭の比較は、気づけば、どれもことごとく前者になってるんだから。