写真では何度も見てはいましたが、実際の
匂いや土埃などは想像していた以上でした。
地震の2日後に工場へ行った父親は
「だいぶ綺麗になってきている」と言っていましたが
まだまだ瓦礫や家、車が残っている状態でした。
母親の友人の方が
「どこまで逃げればいいのかわからない、と泣きながら
山道を上がった。海が電線を切るバチバチという音が忘れられない」
と言っていたのが印象に残っています。
また、伯父は「最初の2日間は瓦礫の中から沢山の人の
泣き声が聞こえたけど、夜になると真っ暗で探してあげる事も出来なかった。
あの泣き声が耳から離れない」と悲しそうに言っていました。
沢山の方が亡くなり、私どもの工場も、2つが全壊に近い被害を受けましたが
それでも諦めずに、また宮城県に工場を再建すると言う父親を
改めて尊敬し、私もS.obligeをさらに頑張っていかなきゃと決心させられました。
Remu.
S.oblige
火葬場へ行くと・・・。
↓ユニセフから届いていた
↓伯父は、携帯のソーラー充電器で携帯を充電しているとの事。
これは、避難所でいただいたのだそうです。
次に、役場へ行きました。(工場の近く)
↓役場前の海。
小さくて見えませんが、真ん中に家が浮いていました。
役場に貼ってあった、地元(雄勝町)の新聞のようなもの。
Remu.
S.oblige








