成人向けサイトばっか・・・


もういい加減にしろという感じで


知っている方のブログには氾濫している状態・・・


何か対策は無いものか。


そういうときに


「迷惑TB撲滅のための『署名』BOOK」 というものを見つけました。


いやはや、こういう事を立ち上げてくれる方は凄いです。


ちなみに即署名(参加)しました。


皆さん、よろしゅう頼みます。

組織から成り立つ信頼は安心できるが

信頼から成り立つ組織は細心の注意が必要である

                      nandarou8

ようやく緊急扱いのレポート6つのうち、3つに目処がついた。


今日月曜日は試験が無い。


絶好のレポート日和ではないか(泣)。


よし、人間力を発揮しよう。


以前の咆哮

「My人間力」を発揮する為に必要な物が幾つか分かったので

忘れない為にここに書き記しておこう。


<人間力発揮の為に必要な物>

・公私混同(○○だからしないという甘え、泣き言)を防ぐ為の現状認識

・依頼心の極力の排除

・矜持

・発揮中発狂阻止の為の香(アロマ)

・平井堅の『歌バカ』(ヘッドフォンでループ視聴)


・・・次に、発揮中・後の後遺症を記しておく。


<人間力発揮中・後の後遺症>

・燃え尽き症候群、発狂(発揮後)

・周囲からの白眼視(発揮中・発揮後)

・周囲への敵視(発揮中・発揮後)

・鬱躁の急激な波(発揮中・発揮後)

・日常生活におけるタイムラグの発生(発揮中・発揮後)


・・・


・・・


・・・


もう、こんな諸刃の剣は抜きたくない(笑)。


さて、復路を走り出すか。


それにしても、知り合いの方から戴いたポップコーンは美味しいわい。

感謝、感謝。

を考えてみた。


私にとってはバント

(スイングするのではなく、放たれるボールの軌道に

バットを出して当てるやり方、と言えばご理解いただけるかね?)

である。


この活動ほど難しいものは無い。


何故ならば、

「見た目が一番簡単」だからだ。


ホームランとは違い、意外性ではなく

確実性を求められる。


野球ほど確実性の期待できないスポーツほど無い

(30%ヒットを打てば一流の選手なんですから)


その様な中で、

100%

を期待されるというプレッシャー。


これはきつい。


更に、球に近づいて当てる、という感じが恐怖感を植えつけかねない。


そして、球は変化するということもある。


その状況下で、バントを行うということは、恐ろしく労力のいることだと思う。





子供心に覚えているシーンがある。


当時読売巨人軍に在籍していた川相昌弘選手(現中日ドラゴンズ在籍)


横浜ベイスターズ戦で今シーズン引退した


『大魔神』佐々木主浩投手のフォークボールをバントしたシーンだ。


当時、佐々木選手のフォークボールは打つ、打たないではなく


「当たらない」というのが私の子供ながらの見識だった。


そんな地面スレスレまで落ちるボールを身を崩しながらもバントを成功させる


まあ、こんなこと出来る選手は日本以外にはいないだろうし、

日本でも、現役ではヤクルトスワローズの宮本慎也選手ぐらいだろう。


ホームランや完全試合にも美学があるようにバントにも美学がある。


それは

「どんなボールに対しても平然と

あっそう

といった感じで役目をこなす」

ということである。


そんなバントの成功数の世界記録を樹立した川相選手もまた、

花神なのかもしれない。

花よりは花神でありたい

花は先が短いが

花神はいくつもの花に命を授ける

ああ花神でありたい

                   nandarou8

増えて増えてどうしようもない・・・


・・・こんな一言で終わらせようとした今日一日、

一体何やってんだか・・・

やる気も出ると思ったがおかしい。


どうでもよくなっとる。


早くレポート終わらせんといけんな・・・

風は何事も押す力を持つ。

人を癒し

船を動かし

作物に実りを与える


しかし、風は吹きすぎると害を起こす。

人を傷つけ

船を壊し

作物を荒らす


それでも、風は自ずから吹き止む事は出来ない

吹き続ける事が、風の生きる術であるからだ。


風、それはなんとも難しい生き方である。

nandarou8

今さっき外に出てみると

自分の自転車に雪が積もっていた。


かき集めると握りこぶし一個分の雪球が。


雪球を握り締めると不思議と心が軽くなった。


こんな気分を前に感じたのはいつ位だろうか?


今年は実家に帰ることが出来なかったせいもあって


心のチェンジが出来なかった。


今まで悶々としていた物が

とてつもなく、馬鹿馬鹿しいと思う事が今さっきではあるが、

出来るようになった。まだごく一部だが。


なんだ、結局、なるべくして起こった事が

起こっただけではないか。


何で上等な結果を期待してしまったのだろうか?


思い入れの強さ、コレなのだろうか?

それに加え、最低限の要求量ですら、

許容量から溢れ出た事が、

要因なのだろう。


仕方が無い、なるべくして起こった。

そして、自分の修練不足、コレだ。


よし、今日は、自分の非を認めよう。




それで、いいじゃないか。