なんだろうこの気持ちは。普通こういうのに負けたときは「なんであいつなんだ」というジェラシーから入るものだが、このなんともいえない悲壮感というかむなしさは言葉では言い表せない。これまでの大きな敗北としては、記憶の限りでは、中学三年学級委員副委員長選と、局長選、そして主将選の三つだが、記憶が鮮明であるため局長選とややかぶるところがある気もしなくもないが、また違う。かけてきたものが違う。覚悟が違う。お互いの共通点としては、負け戦を仕向けられていること、それに気づけなかったこと、というより気づいたけど手遅れだったこと。一人ひとりがゆるーく生きていく大学生活において内面だけ生真面目なこの性格は適応しないことは十分承知だったが、なんだろう、ここまでしっかり考えているんだけどなぁ、自分の中の評価軸と周りの人の評価軸が明らかに違う。これだ、これだ。だから気づけない。ただ身近に自分の評価軸と近い組織はあるのである。やはり最初のびびっときた感性には狂いはないのだと。これは今後の人生選択に生かしていきたいと思う。この二年がかりの過ちを繰り返してはいけない。というより、最近までも自分は他の野球部だと思われていたように、世間がそう認知するくらいまで意思は固まっていたのである。行動にも表れていた。正直、素直に別の野球部にFAしていればこんなことにはならなかったのである。一年の最初の選択はさすがに否定できない。元凶といえば元凶だが、得たものも多かった。元主将に関しても、彼一人がいなければ、今日という今日には至らなかったが、不信感はあるものの否めきれない。ただ、当時から思っていたことが的中してしまった。一年冬がターニングポイントだと。これじゃ一年前となんら変わらない。結局昨冬ふらふらしていたことが、今期の役職なしにつながり、結果にもつながった。スノボ帰りに彼をおだてすぎたのが今年トップクラスの後悔である。あんだけ言われりゃその気になるさ。終始彼はポストを狙っていたに違いない。一年に媚を売り始めたのもそれだろう。気づいたときには手遅れだった。まず財力で勝てない。そこは自分が悪い。彼は意外と奥深い男である。やはり私の人を見る目に狂いはない。ただ、それとリーダーシップは別物である。確かに僕の部活での醜態は見てられないものである。十分承知だ。もちろんそこも評価に関与していたが、どうもおかしい。明らかに過大評価だ。こういうときほどキャラを恨むことはない。ただこれが仕向けられたものだとしたら?会議の進め方がすべてを悟っていただろう。なんどこのデッキレースは。おっと過去にも同じような経験がある。何だろう、自分はこういうのに巻き込まれる運命なのか。こういう決戦の前にポイントだだ下げ運動が絶えず行われていた。やはり自分の性格は敵を作ってしまうのか。環境が適応していないときは出る方向を間違えた杭だが、わかる人には土の中での緻密な計算と立派に成長している中身(中身だけ)がわかるのである。こんな負け方では悔しさのかけらもない自分のやりきれない無力感と組織に対する不信感のみが残る。正々堂々した戦いなんて中学二年後期学級委員選挙が最後ではないか。そういえば東進のチューターが言っていた、大学入試が最後の平等なふるいにかけられるチャンスだと。なるほどそういうことか。そのチャンスに敗れた人間には勝ち目がないと。すぐ大学受験が出てくる。だめだ。ただ、あなたの全盛期は中学で終わったの説得力がどんどん増していく。こんなこと書いているとますます自分にメンタルサイクルには驚かされる。しばらくしたら気にならなくなるのだろう。話がそれてきたところで今回はここまでとしよう。また話す機会はあるだろう。