愚か者、中国を行く 星野博美 | So-Hot-Books (So-Hotな読書記録)

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書評と読書感想文の中間の読書日記。最近は中国で仕事をしているので、中国関連本とビジネス関連本が主体。

<My Opinion>


友人に勧められて読んだ本。著者の星野博美氏はフリーの写真家・作家。1987年に著者がアメリカ人の友人マイケルと中国を旅行した際の旅行記である。小さな物事の背景にある中国の姿を読み解く彼女の観察眼には敬服させられる。私も著者のように「ありのままの中国を、この目で見たい」と思い来中した身として、著者の視点は大いに勉強になる。又、旅先におけるトラブルは中国を旅したことのある日本人なら大いに共感できることが満載で、勝手に「中国仲間」を1人得たかのような錯覚をさせてくれる。


これまで私は紀行文(旅行記)というジャンルに一切興味がなく、一冊も読んだことがなかった。バックパッカーの間ではバイブルとされているらしい沢木耕太郎の「深夜特急」ですら名前を聞いたことがある程度だった。最近中国を旅してみて、あらためて旅というものの、怖さを含めた面白さの虜になった。それと同時に、紀行文というジャンルが自らの読書領域に入り込んできた。これは歓迎すべきことだろう。


紀行文というジャンルについては比較対象が自分の中にない為、読後感としては「可もなく不可もなく、紀行文ってこういうノリか」というのが正直なところだが、Amazonカスタマーレビュー(11件)では5つ星中 4.5の高評価だ。紀行文の読了数が増えれば、この本は旅行記として実はかなりの良書だと再認識するのかもしれない。今後、気付いたことがあれば、適宜書き足す予定だ。


<Memo>


・なぜバックパッカーは、何日も並んで安い座席をとり、ホテルはあまたあるのにドーミトリーのある安宿を目指し、なるべく速度の遅い乗り物に乗り、ホテルやレストランではなく路上の屋台で食事をしたがるのだろう?


金がないからだ、という答えは旅行者の間では通じても、現地の人には通用しない。旅行者がどんな理屈を並べようと、生きるために絶対不可欠とはいえない旅に金と時間を費やす。これはまぎれもなく贅沢な消費活動である。それなのに彼らは必死の形相で倹約に走る。それは旅という非日常の中では、金がないことで冒険が買えるからだと私は思う。金はかけなければかけないほど、旅は刺激に満ちたものになる。(P57)



・なぜ、中国にはヨーグルトがあって牛乳がないのか。他の土地にはなかった牛乳が、なぜ吐魯番(トルフアン)にはあるのか。そしてなぜ牛乳がやかんに入っているのか。


たどり着いたのはとても単純な答えで、つまり牛乳がすぐに腐るからだった。---中略----


東京で暮らす幼い私が毎日新鮮な牛乳を飲めたのは、生産や流通が確立され、一般家庭にまで冷蔵庫という文明の力が届いた結果なのであり、極めて幸せな状況だったのだ。そしてそれは世界全般では当たり前ではないということだった。だいたい牛乳が好きだと宣言することは、牛乳を選択できる状況を前提としている。飲む機会がなければ、好きになることすらできない。まったく贅沢な話なのだ。


中国の子供は、いまもまだ、当たり前のように牛乳を飲めるわけではない。小力も小芳も、牛乳の味を知らない。そう思った途端涙があふれてきた。異なる文化を背負った世界中の地域に唯一平等なのは、現在という時間だ。どこの経済が遅れ、どこが進んでいる、どこは平和でどこは戦争で国土が荒廃している、などの違いはあるけれど、現在が現在であることだけは共通している。しかし同じ時代を生きているのは事実なのだが、なんというか、属している時代が違うということを、この時私は初めて実感した。(P250)



・一つの国の中に二つの時代を生きる人たちがいて、一人の人間の中にも、二つの時代が共存している、一つの国の中で、一人の人間の中で、文明の衝突が起きている、それが今の中国の姿なのである。(P313)




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