地元栃木で、気になるニュースが入ってきました。
宇都宮の中心地、城址公園で、車2台がほぼ同時に爆破したとのこと。
死亡した人も1人出ているようで、地元民としては、穏やかでない話です。
状況がよくわからず、ニュースでもまだあまり情報が流れていない為、
テロじゃないかとか、スマホの爆発騒ぎかとか、それとも事故なのかとか。
いつも書いている事ですが、こういう時でも、
「情報がない=わからない」
という図式が、不安の元になってしまいます。
昨日今日と、宇都宮ではロードレースのジャパンカップが開催されています。
昨日は、街中を走るクリテリウム、
今日は、郊外を走るロードレースが行われているので、
ネットの話題では、
「もしもテロなら、街中を走っている昨日を狙うはずじゃないか」
という人もいます。
いずれにしろ、「わからないのが、不安の材料である」
ということを身近に感じる出来事です。
願わくば、テロの序章ではない事を祈るばかりです。
こんにちは、スーです。
今回のニュースについて、少しでも情報がないかといろいろ調べているうちに、
気付いたことがありました。
それは、同じような事件でも、
東京と地方では、「報道のされ方」に差があるということです。
簡単に言えば、これも「地方格差」なんでしょうか?
今回の事件が、もし、都内のどこかで起こっていたら、おそらく民法だけでなく、
NHKでも取り上げるようなニュースになっていたかもしれません。
東京と栃木、言い換えれば、都内と地方。
言葉のイメージだけで、感じる重要度が変わってきてしまうのは、
どうしても仕方がないことなのか、地元民である私が聞いても、
なんとなく「東京に比べれば田舎だから」と思ってしまうものです。
ニュースのコメント欄を見ても、心配している人ばかりでなく、
「宇都宮ってどこ?」とか、
「田舎でテロやってもしょうがないだろ」とか、
そもそも、栃木を知らない人や、
勝手に格付けをしているような意見も多々目立ちます。
もっとも、私も他の都道府県について、知らないことが多いものですが、
それでも、「栃木より上か下か」ということは、あまり気にしたことがありません。
「たまたま」その土地に住んでいる人が、何をステータスと感じて、
マウンティングしているのかは、正直理解しかねますが、
格付けしている時点で、「その人の底が知れるもの」というような気がしています。
どの土地にも、立派な人はいますし、どうしようもない人もいます。
結局は、その人自身の内から出てくる気品というか人柄が大切だとは思いますが、
「環境がその人の価値観を作る」という点では、
自分ではどうにもしかたがないことなのかもしれませんね。
ちなみに、「価値観」を構築する上で、重要になってくる、
「普通」あるいは「常識」、もう少し砕いて言うと「あたりまえ」。
日常生活でも、よく出てくる言葉だと思います。
私自身、仕事上において教育をする際、
この「普通」や「常識」「あたりまえ」について、
よく話をする機会がありますが、必ずその話をする前に、
「普通って、なんですか?」
「常識って?」
「あたりまえって、どういうことだと思う?」
と、質問を投げてみます。
面白いもので、普段使っている言葉なのに、
いざ聞かれると答えられないんですよね。
「普通」に使っているのに。
辞書を開けば、もちろん定義は載っていますが、
「普通とは、あたりまえであること」
「あたりまえとは、普通のこと」
「常識とは、一般の社会人が共通に持つべき普通の知識」
こんなのばかりです。
結局、堂々巡りしていて、明確には意味付けされていないんですね。
人に教える立場に立って、そのものの意味を考える。
これ、結構、どの会社でも、やれている人が少ないと感じています。
いくつか会社を転々としましたが、若い頃から疑問に思っていた事なので、
行く先々の会社の人たちにも聞いていました(特に上司に)。
でも、はっきりとした答えが返ってこない。
まぁ、当然と言えば当然です。
今まで、深く考えず、「普通」に使っていたわけですからね。
教わる立場で仕事をすると、言われて嫌なことが、
「普通にやってればいいよ」とか、
「普通に考えればわかるだろ」とか、
「そんな常識もわかんねえのか」とか。
もちろん、私もそんなに特殊な環境で育ったわけでもなく、
それこそ「普通」に高校までは卒業していますし、
勤務した会社では、「普通」に昇進して、そこそこの役職に就いた事もあります。
でも、社会というのは不思議な所で、
社会を形成するコミュニティの多くに「会社」というものがあります。
で、その「会社」は、ほとんど、
というか全てが「特殊な業態」であるということです。
工場の「生産ライン」の仕事は、
サービス業や公務員などの職種の人から見れば、実は意外と専門的な仕事だったり、
一人で荷物を運んだりしている運輸業のドライバーの仕事は、
接客業や屋内で働いている技術者などから見れば、
ルートや出発・到着時間、道路状況の確認や、効率的な荷下ろしの為の段取りなど、
体はもちろん、頭も使う仕事だったりします。
だから、同じような職種でもない限りは、入社したての頃は、本人にとっては、
「非常識」な世界であり、普通ではない「異常」な世界なわけです。
それを理解している上司は、部下の育て方についても、
相手の立場でものを考え、説明できる、教育上手である人が多いのですが、
日本では、昔から「仕事(技術)は盗むものだ」という風潮も強かったせいか、
未だに、昭和の遺産とでもいうべき人たちが残っているのも現実です。
話を戻しますが、「普通」や「常識について」、
長年、ずっと疑問に抱いてきたおかげか、
自分なりに腑に落ちる解釈に気付けたので、
それはそれで良かったのかなと、最近は思えるようになりました。
答えがあるわけではないので、
人によっては、まったく違う意見の人もいるでしょうが、
「価値観」や「解釈」は、人それぞれなので、別にいいかなと思っています。
一応、答え合わせではありませんが、私なりの結論は、
「普通・常識・あたりまえ」とは、
その人が生まれてから今に至るまでに、経験してきた、
知識と体験の積み重ねによって、生まれた価値観である。
詳しくは、話を補足しないとうまく伝わらないのですが、
話を広くすると、
例えば、日本では日本人が日本語を使うことは「あたりまえ」ですよね。
でも、アメリカではアメリカ人が英語を使うことが「あたりまえ」です。
つまり、例え日本人の容姿をしていても、アメリカ生まれでアメリカ育ちであれば、
恐らく、英語を話すのが、彼には「あたりまえ」のことなんです。
逆に話を狭くすると、
同じ親から生まれ育った双子の仲の良い兄弟でも、
小学生、あるいは中学生くらいから、環境がそれぞれ変わってきます。
付き合う友達が違えば、遊びに行く場所も違う。
興味のある部活も違うかもしれないし、得意なゲームも違うかもしれません。
そうしたちょっとした違いから、同じ家庭で育つ仲の良い双子であっても、
いつからか、「あたりまえ」の価値観が変わってくるわけです。
家族内のルールなどは、兄弟にとっての「あたりまえ」かもしれませんが、
一歩外に出れば、友達に通用しない「非常識」になるかもしれないわけです。
結局のところ、親子であれ、兄弟であれ、
「自分」という存在から見れば、それ以外は全て「他人」ということになります。
もちろん、家族として考えるのであれば、いわゆる「赤の他人」ではありませんが。
世界の人口は、現在、73億人を大きく超えています。
日本の人口は、その中の1億2700万人です。
つまり、極論から言えば、世の中には、
73億人分の価値観が存在するということです。
仕事、恋愛、学校生活、趣味、毎日の暮らし。
これらについて、まるっきり同じ価値観を持っている人は、少ないかもしれません。
ただ、人には「同調する力」というのが、多かれ少なかれ備わっているので、
共通点を見つけたり、「なんか似てる」、「話が分かる」など、
錯覚も含めて、近い存在を見つける事は出来ると思います。
ビジネスや恋愛において、「価値観」が似ているというのは、
とても大事なことだと、個人的には感じています。
「価値観」が似ている人同士が出逢うと、
話が盛り上がるだけじゃなく、同じ方向性で追及していくので、
より深み、高みへ、話が進むでしょう。
価値観の違うもの同士による化学変化のようなものは少ないかもしれませんが、
どちらも貴重な出逢いだと思います。
生活における「価値観」というのは、
生きていく上では、重要な「キーワード」になると思います。
身近にある「あたりまえ」を、意識してみると、
それだけでいつもと違う発想が生まれるかもしれませんね。