それでも目指す世界

それでも目指す世界

「昔は良かった」とまでは言いませんが、
最近は何をするにも「窮屈」な世の中になってる気がします。
ライフスタイルはそれぞれ。
でも、みんなが毎日楽しく生きていけたら・・・。
仕事のこと、お金のこと、人生のこと、いろいろ考えますよね。

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先日、いよいよ「アラフィフ」と呼ばれるステージに上がりました。

今は平均寿命が80歳を超えていますから、

人生の終焉までは、まだまだ時間がありますが、

「もうそんな年になったんだなあ」

と時の流れを感じるものですね。

 

こんばんは、スーです。

 

何のサプライズもなく、淡々と誕生日を迎えました。

あ、家ではケーキとお寿司が出ましたね。

誕生日の我が家の定番です。

四十も半ばに差し掛かり、なんとなくいろいろ考えました。

18歳の頃、高校卒業後は大学に行く気などなく、

最短で夢を叶える為に、建築の世界に飛び込みました。

学校で勉強するよりも、働きながら世界を知る方が早いと思ったから。

まぁ、4年後にその夢は崩れましたが。

働き始めて25年以上、四半世紀が過ぎています。

改めて考えると、すごいですね。

その間、いろいろありました。

高卒当時描いていた方向とは全然違う方向、

むしろ反対側にいるような感覚です。

でも、不思議と「後悔」はしていないんですよね。

たくさん「失敗」はしましたが(^^;

そんな中、ふと思ったこと。

 

「思えばあれは転機だったな」

 

そういう事が、場面場面で起きていました。

 

「人との出逢い」

「モノとの出逢い」

「状況との出逢い」

それから、

「挫折との出逢い」

 

今となっては、ココまでの全てが、

自分を形成する「出逢い」ですが、

当時はそう思えなかったんですよね。

特に「挫折」の時は・・・。

 

あまり適当に何かを出来る方はないので、

いろいろ一生懸命やりました。

元来、「頭が固い」というか、

柔軟性や楽天的な面が少なかったので、

「挫折」に出逢う度に、

 

「なんで俺が」とか、

「なんで俺ばっかり」とか、

 

被害妄想やネガティブ思考は、

人一倍強かったような気がします。

でも、振り返れば、そういう時の方が、

その後、確実に「何か」が変わっていました。

もちろん、塞ぎ込んだままの時もあったし、

ずるずると引きずり続けたこともあります。

・・・が、不思議なもので、

そういうのは時間が解決してくれるんですね。

 

人間て、「忘れる」んです。

そして、もう一つ。

過去を「美化」するんです。

過去は「トラウマ」に変わる場合もあります。

「トラウマ」になると、なかなか忘れられませんが、

それが単発の「トラウマ」なら、「薄れて」いきます。

 

「エビングハウスの忘却曲線」というのを知っていますか?

人はどれぐらいで忘れていくのかということを

グラフにして表したものですが、

驚くことに、1時間後には半分、1日後には7割、

1か月後には8割の事を忘れていくそうです。

 

人の記憶は忘れるように出来ているんですね。

 

それでも、25年間の間、覚えていることがあります。

それは、「人生の節目」です。

冠婚葬祭にまつわるものが多いでしょうか。

他には、仕事のコト、趣味のコト、恋愛のコト。

ずっと仕事をしてきたからか、

転職や仕事に関わった時に気付いたコト、

自分のやりたいコトなどは、不思議と覚えているものです。

 

そして、予知能力のような特殊能力を持っていないので、

その時はわかりませんが、ある日、ふと気付きます。

「あ!あれはターニングポイントだったんだな」と。

 

「転機の瞬間」は、いきなり訪れます。

しかしそれは、実はいろいろな状況が積み重なって、

時間をかけて、「その瞬間」にスイッチが入るだけのこと。

 

「転機の瞬間」は、準備されたところに舞い降りる。

 

残念なのは、それが良い事ばかりではないということ。

その時は、最悪に思えることもよくある話です。

 

人間には「心」があります。

見えませんが、確実にあります。

「転機の瞬間」のあと、どう生きるか、考えるか。

 

簡単に「ポジティブ思考」にはなれない人もいます。

それでも、何年か後に、嫌な事は忘れて、あるいは薄れて、

そして、ふと考えた時、
「あの時のは、必要な時間、必要なことだったんだ」

と気付く。

 

気付くのが早い人、遅い人、それには差があるでしょう。

ですが、生きていると、過去を振り返る時が必ずあります。

 

「あなたにとってのターニングポイントとは?」

 

それに気付く時は、心に余裕がある証拠。

過去を振り返り、また前を向く。

人生は「挑戦と失敗、そして成功へ」の繰り返しですから。

ブラック企業問題がメディアを賑わすようになって、何年経つでしょうか?
私の記憶では、この問題の引き金は「ワタミ」からだったように思いますが、
記憶が曖昧です(^-^;)
本当かウソかはわかりませんが、清水富美加さんの問題も、
所属事務所の労働環境が噂になっていますよね。
コチラに関しては、お互いの言い分がまるっきり正反対なので、
何とも言えませんが、火のない所に煙は立たぬと言いますから、
何かしらの原因にはなっているのかもしれません。
 
こんにちは、スーです。
 
ほんの20年前。
まだバブルがはじけて数年後の頃は、不況が始まっていたとはいえ、
ここまで労働環境が取りざたされることもなかったように思います。
30代以上の人は、覚えているかもしれませんが、
「24時間戦えますか」のキャッチコピーで、リゲインが売れていた頃の時代です。
 
今、あんなCM出したら、間違いなく会社の死活問題になるでしょう。
似たようなものとしては、「風邪でも絶対休めないあなたに」という、
風邪薬のCMなんかは、今でもありますが、
正直、その休めない環境がどうなのかと疑問もありますね。
個人経営の方は、確かに休めないというのも、事実ではあると思いますが。
 
少なくとも、大なり小なり企業であれば、労働環境の改善は、
必須マネジメントの一つででしょう。
「ライフワークバランス」という言葉が当たり前に叫ばれる昨今、
「仕事だけではない生き方」というのが、
人生を豊かにする選択肢でもありますね。
 
 
さて、学生時代を経て社会に出ると、いわゆる「世間の荒波」に揉まれます。
学生時代は身の回りの大人は、せいぜい先生と親ぐらいで、
アルバイトしている人でもない限り、
第三者の大人と接する機会はなかなかありません。
そういう背景も手伝ってか、就職してから意外と早い段階で、
洗礼を受けることが多いです。
 
「世の中はキレイごとだけじゃやっていけない」
 
私も何度も聞かされました。
本当にもう嫌になるくらい。
それを言われれば言われるほど、
反抗の芽が育っていましたね。
実は今でも言われます。
会社の上司や、残念なことに友人にも。
 
理解しておくことは大切だと思います。
でも、なぜ「キレイごと」を望んではいけないんでしょうか?
「キレイごと」というのは、言い換えれば、「理想」であり、「夢」であったりします。
起業家だろうと会社員だろうと、立場は関係なく、
「夢」や「理想」を描くことは大切です。
「こうありたい」と思う自分が居て、今はそうではないから、
それを目指す自分が居て、その過程が成長という事です。
そうであれば、向かうべき指針のない会社や上司は、
無難な毎日を生活することが目的になっていて、
仕事のクオリティを上げる事や、
生活水準のレベルアップなど、おそらく遠い昔に、
どこかへ忘れてしまっているのが実情でしょう。
 
もちろん、それが悪いわけではありません。
ですが、現状維持は衰退と同じだと考えると、やはり、
少しでも理想掲げて邁進出来る環境の方が、
毎日の生活に、少しの刺激と達成感を与えてくれそうな気がしませんか?
 
今は、人生90年の時代。
人生50年と詠っていた信長の時代よりも、遥かに長い人生を送っています。
日々平穏な暮らしものんびりしていて、私は好きですが、
それでも「キレイごと」を言い続けることにこだわる。
 
いつか過ごした時間を振り返った時、
「自分の人生は後悔の少ない道のりだった」と、
笑えるような人生も、素敵だと思うから。
 
出る杭になっても、打たれ強く、
風当たりが強くても、びくともしない壁になる。
それぐらい強い信念のもとに、「キレイごと」を語り続ける。
 
強い意志の言葉には、「言霊」が宿ると言われています。
 
気持ちの奥の奥にある、「声に出していない言葉」。
自分で自分を受け入れた時、素直に言葉に出来るかもしれませんね。
朝、窓を開けたら、辺り一面真っ白でした。
2月が1番寒いとはいえ、雪が降るとそれを実感させられますね。
子供の頃やウィンタースポーツを楽しみにしていた時代は、
降雪予報やスキー場のチェックにアンテナが立ち、
実際、雪が降ると妙にテンションが上がっていたことを思いまします。
 
こんばんは、スーです。
 
スキー場から遠ざかること、早10年が経ちました。
当時は、10年後は結婚して子供が出来ても、
家族で毎年スキー場に行きたいと思っていましたが、
なかなか予定通りに事は進まないものです。
結婚や家庭というのは、自分の人生においても特別な事で、
まず、人生を共に歩んでくれるパートナーの存在が重要です。
生活を共にする相手ですから、まず「縁」があることが大前提。
その上で、お互いに協力して2つの人生を1つの人生に重ねる。
自分一人ではないから、予定通りにいかないことも多くなります。
 
一方、仕事やキャリアに伴う未来には、
パートナーの理解と協力がある程度必要ですが、
やりたいこと、なりたい自分を創造するのは、
「自分自身」であるという絶対的な背景があります。
つまり、
 
「自分の未来は、自分で決められる」。
 
このことは、一人の人間である以上、間違いのない事実です。
いろいろ、現実的な縛りがあることもわかった上で、あえて考えて欲しいこと。
今日は、そんな話です。
 
 
もし、今のあなたが会社員だったら。

正社員であるかないかにこだわらず、少し考えてみてください。
会社経営者、あるいは個人事業主、もしくは投資家。
それらの職業ではなく、何らかの形で、
会社に勤めているなら、未来を見る方法があります。
 
それは、自分の周りの人たちをよく見る事。
 
大抵の場合、職場には先輩や上司がいます。
あなたが、その会社での5年後を知りたければ、
自分より5年先に勤め始まった先輩の話を聞いて下さい。
見ているだけでも5年後、どんな風になるか、なんとなく想像がつきます。
先輩や上司といっても、いろいろな人がいます。
 
順風満帆に昇進している先輩を見て話を聞けば、そのレールに乗ればいい。
いつも愚痴ばかりで平社員のような先輩なら、そうなる理由を知っておけばいい。
 
あなたは、どういうタイプの社員になりたいのか。
どういう経験を積めばなりたい5年後に近付けるのか。
周りにいる先輩を見ていれば、なんとなく知ることが出来ます。
もちろん、同じ人は2人といませんので、あくまでも参考にしかなりませんが、
その会社で5年勤めた結果が、なんとなくわかることには間違いありません。
 
会社員以外の人は、5年前を思い出してください。
5年前の自分が何を考えて、どうなりたかったのか。
5年前のあなたの未来が、「今」という結果かもしれません。
 
で、あれば、「今」、5年後にどうなりたいかを鮮明に描き、
それを忘れずに考え行動し、毎日を過ごしていけば、
いずれ辿り着く5年後は、「今」描いた通りに進むかもしれません。
 
一つ、大事な事として、
 
「夢見るだけでは、何も変わらない」
 
という事実も、ちゃんと胸に置いておいてください。
難しすぎる課題や高すぎるハードル、
気持ちの何処かで「無理だ」と思ってしまうような夢や目標では、
人はやる気が起きません。
 
ちょっと頑張れば、届きそうな目標。
それを階段のように一つずつクリアしていけば、いずれ振り返った時、
 
「知らないうちに高い所まで登ってたんだ」
 
という事に気付きます。
それを心の根の部分にしっかり育て、5年後を見ると、
なりたい5年後にいつのまにか近付いているかもしれません。
明日、会社に行ったら、5年先の先輩や上司に、5年前のこと、
この5年間の事、いろいろ話を聞いてみてください。
 
自分の未来が少しだけ見えるかもしれませんよ。
暖かい日が顔を出すようになり、
たまに冬であることを忘れそうな時がありますが、
まだまだ気を抜けない、そんな時期です。
 
こんにちは、スーです。
 
いろいろ思うところもあって、
今日は、少し先の未来について書いてみます。
 
 
世の中には、「変化」を嫌う人がいます。
それも、極端に。
 
「人生は一度きり」
 
よく聞く言葉です。
 
そして、そんなことは、たぶん誰でもわかってる。
わかってるはず。
でも、多くの人は、ホントはわかってないかもしれない。
 
朝起きて、身支度を整えて、仕事に出掛ける。
少し憂鬱なまま、あるいは何の疑問も持たないまま、仕事場へ向かう。
「いつも通り」仕事して、少しのトラブルやハッピーを味わって、
そしてまた、「いつも通り」帰路に着く。
別に悪いことではないんです。
ただ、それでいいのかなって。
そんなのは、他人がどうこう言うことじゃないし、
本人が何も疑問を持たなければ、周りが気にすることでもない。
それに、ほっといても、ちゃんと波風は立ってくる。
 
本人の意思とは関係なく。
 
人生の意味なんて、考えだしたらキリがない。
でも、予定調和の毎日なんて、どこまでも平坦な、
地平線の先までなんとなく道が見えてるような、そんな感じがしてしまう。
 
変化に富んだ人生は、スリルがあって面白いかもしれない。
楽しめる人にはより楽しく、そうでない人もそれなりには楽しめる。
変化が怖い人は、無理に変わろうとしなくてもいいと思います。
変「化」ではなく、変「進」。
「化」けるのではなく、「進」む。
化けるには、大きな動きや予想外の動きが付き物。
思わぬところから、突き飛ばされるような感覚なんかも同じこと。
でも、進むには、自分の意思でちょっと前に足を出せばいい。
毎日1歩踏み出せば、一年後には365歩分、前にいる。
半歩でも、182歩分は、前に進める。
その場所の景色は、そこに行かなければ見られない。
仕事でも家庭でも同じこと。
もちろん、それが人生でも。
必要なアイテムは「知識」と「経験(体験)」。

少し先の未来、「5年後の自分」、見えてますか?

今年のクリスマスは、楽しみにしている人にとって、嬉しい3連休ですね。

 

一方で、早く終わってほしいと願っている人にとっては、

 

辛い3日間かもしれませんが、いずれにせよ、今年もあと少しで終わりです。

 

 

こんにちは、スーです。

 

今年もいろいろなニュースがありましたよね。

 

毎年思う事ですが、一年を通して振り返ると、

 

世の中の事、特に話題になるニュースというのは、

 

goodとbadが平等に訪れている気がします。

 

ですが、不思議な事に、印象に残っているのは、 なぜか、badの方が、

 

出来事として強く残っているような気がしませんか?

 

恐らく、「ネガティブな事象の方が、強烈に心に突き刺さるから」というのが、

 

その原因ではないのかなと、個人的には思っています。

 

幸せなこと、嬉しいことは、感情と記憶が長く続かないのかもしれません。

 

それだけ、「負の力」というのは、強烈だということでしょう。

 

一つの例ですが、

 

「自分の良いとこと悪いとこを10個ずつ上げてください。」 という質問をすると、

 

多くの人が、悪いとこはスラスラ出て来るのに、

 

良いとこは、なかなか見つけられないということが多いんだそうです。

 

自己肯定感が高い人は、逆の結果になるそうですが、

 

日本人は、圧倒的に自己否定感が強い人が多いらしいです。

 

ちなみに、アメリカ人は日本人とは反対らしいですよ。

 

一年の締めくくりに、今年を振り返るなら、 良かったことを思い出して、

 

気持ちよく新年を迎えたいものですね。

 

 

私事ですが、今年は勉強・成長の年に位置付けて、一年を過ごして来ました。

 

久しぶりに頭と心に、知識と栄養、それからやる気を詰め込んだ年でした。

 

昨年はリセットの年でしたから、かなり精神的にも厳しかった記憶がありますが、

 

今年は来年以降、飛躍するための土壌づくりに徹しました。

 

活動的には、かなり地味だったような印象です。

 

いろいろなセミナー、講演会、スクールに参加しました。

 

いくつかの仕事を経験し、やりたいことも明確になりました。

 

良い意味で精神的にかなり追い込みました。

 

「自分の内側と向き合うことで、自分が何を望んでいるのか?」

 

「自分の存在意義は?」

 

「本当にしたいことは何なのか?」

 

いろいろ勉強し、情報を吸収し、自分の内側にインプットして、

 

そしてそれを再構築して出てきたものが、

 

今、自分の脳内スクリーンに明確に映し出されているものです。

 

自分のやりたいこと、やるべきこと、大袈裟にいうなら「使命」。

 

来年は、それをやります。

 

来年前半で世に出すための準備。

 

形にするための準備というべきでしょうか。

 

後半は、それをブラッシュアップして、もっと良いものに作り替えていく。

 

「自分にしか伝えられないこと」

 

「自分だから、伝えられること」

 

それが見つかりました。

 

 

昨年、ラーメン店を廃業した時から、どこか後ろめたさも感じていました。

 

人生を賭けた勝負(起業)に負けたわけですからね。

 

従業員や業者さん、お客さんに迷惑をかけました。

 

もちろん、家族にも。

 

 

身に覚えのある人はわかるかもしれませんが、経営者は孤独です。

 

なんとかなっているうちは、まだいいです。

 

必死に明日への希望を見出す為、か細いチャンスの糸にすがるように、

 

その糸が切れないように、そっとそっと、でも拳をギュッとしめ、

 

糸を手放さないように手繰り寄せるように握りしめるんです。

 

それが、ある時、気付いてしまうんです。

 

 

「あ、糸の先がない」って。

 

 

その瞬間、頭が真っ白になってしまう。

 

高く積み上げられた砂の塔が一瞬で崩れるように、

 

すべての希望が、目の前から消えるんです。

 

冗談ではなく、「人生が終わる」瞬間を体験するんです。

 

その瞬間は。

 

脱力感なんて、軽いものではないんです。

 

明日どころか、次の瞬間のことすら考えられない。

 

「茫然自失」という言葉が正しいのかもしれませんが、

 

言葉がどうこうではないんです。

 

それから少しして、現実の不安が一気に押し寄せてきます。

 

「明日からもう営業できない」

 

「従業員に連絡しないと」

 

「業者さんの納品もストップしなくちゃ」

 

「お客さんには、なんて説明したらいいんだろう」

 

そして、営業を止める事によって、 その瞬間から収入がなくなるわけですから、

 

支払が一気に滞る。

 

あちこちの会社から、督促の電話が来る。

 

FAXや郵便で督促状が来る。

 

担当者が直接やって来る。

 

 

線路に飛び込みたくなる人の気持ちが、痛いほどよくわかります。

 

 

今まで、経営者という立場で仕事していた現実から、

 

給与の支払が出来ない上に、働く場所を奪ってしまったことを詫びて、

 

雇っていた従業員に頭を下げる。

 

プライドなんて、そんなに持っていないつもりでしたが、

 

それでも、情けないのと、申し訳ないのとで、

 

頭の整理が付かないまま、出てくる言葉は謝罪ばかり。

 

生きた心地がしないというのは、本当です。

 

当時は本当に、「自分の人生はココまでだな」と本気で思いました。

 

ですが、今、生きてます。

 

 

お店を潰して、たくさんの人に迷惑をかけましたが、

 

自分で命を絶たない限りは、死ぬことはないんですね。

 

 

その代償に、自分の背中に重い十字架を背負いました。

 

今では、自分を責める人は誰も周りにいません。

 

ある人は、 「起業するってこと自体がすごい勇気のいること。

 

結果は残念だけど、胸を張っていいと思う」

 

そう言ってくれる人もいました。

 

でも、自分は自分の歴史を知っています。

 

だから、記憶から消える事はありません。

 

他人の目を気にすることもあるのか、勝手に自分に「レッテル」を貼りました。

 

「自己破産者」

 

「人生の落伍者」

 

何か新しい事を始めたくても、自分で貼ったレッテルが気になって、

 

後ろめたさを感じていました。

 

もしかしたら、今年、精力的に動いたのは、 そういう気持ちを払拭したくて、

 

行動していた結果だったのかもしれません。

 

ただ、不思議なもので、どこに出逢いがあるのか、

 

人生の転機があるのかわからないもので、

 

動いてた中で、自分のやりたいことに気付くことが出来ました。

 

 

お店をやっていて、ずっと思っていたこと。

 

 

「なんで、こんなに頑張っても、報われないんだ」

 

「頑張っても、幸せになれないじゃないか」

 

これなんですね。

 

経験から言える事でもありますが、個人経営者の人は、

 

どういう会社か、どういうお店かなどに関わらず、みんな頑張っているんです。

 

自分のお店を遊びでやっている人は、おそらくほとんどいないと思います。

 

お金に余裕がある人が、道楽で起業しているような人や、

 

軽い気持ちで始めて、失敗したら辞めればいいやという考えの人は、 もちろん例外です。

 

子供の頃からの夢や、何かのきっかけで、起業することを決意した人は、

 

希望を持って、起業に漕ぎつけている人が多いでしょう。

 

だから、生みの苦しみというか、軌道に乗るまで、一生懸命頑張るんです。

 

本当に、一生懸命頑張るんです。

 

人に相談できない辛さを抱えながら。

 

 

「そんな人の手助けを出来ないか?」

 

そう思うようになっていきました。

 

 

「自分の失敗した経験が、まだ手遅れになっていない人たちの為に、

 

 何か役に立つかもしれない。」

 

 

成功している人は、成功哲学を説きます。

 

でも、それは成功している人だから言えることで、

 

崖っぷちにいる人たちは、それを「すごい」と思う事はあっても、

 

そう思う反面、「自分には無理だ」と、 絶望への後押しにしかならないこともあります。

 

 

テレビでは、「しくじり先生」という番組をやっています。

 

「失敗学」という本も出ています。

 

 

他人の失敗から学ぶことは、実は結構多いんですね。

 

お店を辞める事になったからといって、全てがNOではありません。

 

反面教師になる部分もあれば、成功事例も持っていたりするわけです。

 

 

なぜ、失敗したのか?

 

それを紐解いて、さらにはそこから様々な知識と方法を身に付けることもあります。

 

「頑張っている人は、幸せにならなければいけない」

 

「頑張っても報われないかもしれないけど、幸せにならなければならない」

 

「もし、頑張り方が間違っていたら、それを教えてあげればいい」

 

「ならば、それを自分の出来る事へと昇華していけばいい」

 

そして、それが自分のやりたいことだと気付いた。

 

「じゃあ、その為には何から始めればいい?」

 

こんな感じで、この一年が進んで行きました。

 

 

来年は、セミナーをやります。

 

その為に、今、セミナーを構築中です。

 

概ねイメージは出来ていますが、やるならちゃんと伝わるものにしたい。

 

個人経営者だけでなく、今後の人生の糧として、

 

興味ある人にも、気兼ねなく参加してもらって、

 

何か持ち帰ってもらえるようなセミナーにしたいと思っています。

 

 

自分の今までの経験、四半世紀、社会人として生きてきた経験、

 

そこにインプットした知識を融合し、さらにクリエイティビティも加えて、

 

誰かの人生にしおりを挟めるような、そんなセミナーにする。

 

誰かの背中を後押しできるような、有意義な時間を創り出す。

 

来年の目標に、良いフラッグが立ちました。

 

準備が出来たら、このブログでも告知させてもらうかもしれません。

 

新しくセミナー用のブログを立ち上げる計画もあります。

 

どこかで、誰かの役に立つことを願いつつ、来年は精力的に動きます。

地元栃木で、気になるニュースが入ってきました。

 

宇都宮の中心地、城址公園で、車2台がほぼ同時に爆破したとのこと。

 

死亡した人も1人出ているようで、地元民としては、穏やかでない話です。

 

状況がよくわからず、ニュースでもまだあまり情報が流れていない為、

 

テロじゃないかとか、スマホの爆発騒ぎかとか、それとも事故なのかとか。

 

いつも書いている事ですが、こういう時でも、

 

「情報がない=わからない」

 

という図式が、不安の元になってしまいます。

 

昨日今日と、宇都宮ではロードレースのジャパンカップが開催されています。

 

昨日は、街中を走るクリテリウム、

 

今日は、郊外を走るロードレースが行われているので、

 

ネットの話題では、

 

「もしもテロなら、街中を走っている昨日を狙うはずじゃないか」

 

という人もいます。

 

いずれにしろ、「わからないのが、不安の材料である」

 

ということを身近に感じる出来事です。

 

願わくば、テロの序章ではない事を祈るばかりです。

 

 

こんにちは、スーです。

 

 

今回のニュースについて、少しでも情報がないかといろいろ調べているうちに、

 

気付いたことがありました。

 

それは、同じような事件でも、

 

東京と地方では、「報道のされ方」に差があるということです。

 

簡単に言えば、これも「地方格差」なんでしょうか?

 

今回の事件が、もし、都内のどこかで起こっていたら、おそらく民法だけでなく、

 

NHKでも取り上げるようなニュースになっていたかもしれません。

 

東京と栃木、言い換えれば、都内と地方。

 

言葉のイメージだけで、感じる重要度が変わってきてしまうのは、

 

どうしても仕方がないことなのか、地元民である私が聞いても、

 

なんとなく「東京に比べれば田舎だから」と思ってしまうものです。

 

 

ニュースのコメント欄を見ても、心配している人ばかりでなく、

 

「宇都宮ってどこ?」とか、

 

「田舎でテロやってもしょうがないだろ」とか、

 

そもそも、栃木を知らない人や、

 

勝手に格付けをしているような意見も多々目立ちます。

 

もっとも、私も他の都道府県について、知らないことが多いものですが、

 

それでも、「栃木より上か下か」ということは、あまり気にしたことがありません。

 

「たまたま」その土地に住んでいる人が、何をステータスと感じて、

 

マウンティングしているのかは、正直理解しかねますが、

 

格付けしている時点で、「その人の底が知れるもの」というような気がしています。

 

 

どの土地にも、立派な人はいますし、どうしようもない人もいます。

 

結局は、その人自身の内から出てくる気品というか人柄が大切だとは思いますが、

 

「環境がその人の価値観を作る」という点では、

 

自分ではどうにもしかたがないことなのかもしれませんね。

 

 

ちなみに、「価値観」を構築する上で、重要になってくる、

 

「普通」あるいは「常識」、もう少し砕いて言うと「あたりまえ」。

 

日常生活でも、よく出てくる言葉だと思います。

 

 

私自身、仕事上において教育をする際、

 

この「普通」や「常識」「あたりまえ」について、

 

よく話をする機会がありますが、必ずその話をする前に、

 

「普通って、なんですか?」

 

「常識って?」

 

「あたりまえって、どういうことだと思う?」

 

と、質問を投げてみます。

 

面白いもので、普段使っている言葉なのに、

 

いざ聞かれると答えられないんですよね。

 

「普通」に使っているのに。

 

 

辞書を開けば、もちろん定義は載っていますが、

 

「普通とは、あたりまえであること」

 

「あたりまえとは、普通のこと」

 

「常識とは、一般の社会人が共通に持つべき普通の知識」

 

こんなのばかりです。

 

結局、堂々巡りしていて、明確には意味付けされていないんですね。

 

人に教える立場に立って、そのものの意味を考える。

 

これ、結構、どの会社でも、やれている人が少ないと感じています。

 

いくつか会社を転々としましたが、若い頃から疑問に思っていた事なので、

 

行く先々の会社の人たちにも聞いていました(特に上司に)。

 

でも、はっきりとした答えが返ってこない。

 

まぁ、当然と言えば当然です。

 

今まで、深く考えず、「普通」に使っていたわけですからね。

 

 

教わる立場で仕事をすると、言われて嫌なことが、

 

「普通にやってればいいよ」とか、

 

「普通に考えればわかるだろ」とか、

 

「そんな常識もわかんねえのか」とか。

 

もちろん、私もそんなに特殊な環境で育ったわけでもなく、

 

それこそ「普通」に高校までは卒業していますし、

 

勤務した会社では、「普通」に昇進して、そこそこの役職に就いた事もあります。

 

でも、社会というのは不思議な所で、

 

社会を形成するコミュニティの多くに「会社」というものがあります。

 

で、その「会社」は、ほとんど、

 

というか全てが「特殊な業態」であるということです。

 

工場の「生産ライン」の仕事は、

 

サービス業や公務員などの職種の人から見れば、実は意外と専門的な仕事だったり、

 

一人で荷物を運んだりしている運輸業のドライバーの仕事は、

 

接客業や屋内で働いている技術者などから見れば、

 

ルートや出発・到着時間、道路状況の確認や、効率的な荷下ろしの為の段取りなど、

 

体はもちろん、頭も使う仕事だったりします。

 

だから、同じような職種でもない限りは、入社したての頃は、本人にとっては、

 

「非常識」な世界であり、普通ではない「異常」な世界なわけです。

 

それを理解している上司は、部下の育て方についても、

 

相手の立場でものを考え、説明できる、教育上手である人が多いのですが、

 

日本では、昔から「仕事(技術)は盗むものだ」という風潮も強かったせいか、

 

未だに、昭和の遺産とでもいうべき人たちが残っているのも現実です。

 

 

話を戻しますが、「普通」や「常識について」、

 

長年、ずっと疑問に抱いてきたおかげか、

 

自分なりに腑に落ちる解釈に気付けたので、

 

それはそれで良かったのかなと、最近は思えるようになりました。

 

答えがあるわけではないので、

 

人によっては、まったく違う意見の人もいるでしょうが、

 

「価値観」や「解釈」は、人それぞれなので、別にいいかなと思っています。

 

 

一応、答え合わせではありませんが、私なりの結論は、

 

 

「普通・常識・あたりまえ」とは、

 

その人が生まれてから今に至るまでに、経験してきた、

 

知識と体験の積み重ねによって、生まれた価値観である。

 

 

詳しくは、話を補足しないとうまく伝わらないのですが、

 

話を広くすると、

 

例えば、日本では日本人が日本語を使うことは「あたりまえ」ですよね。

 

でも、アメリカではアメリカ人が英語を使うことが「あたりまえ」です。

 

つまり、例え日本人の容姿をしていても、アメリカ生まれでアメリカ育ちであれば、

 

恐らく、英語を話すのが、彼には「あたりまえ」のことなんです。

 

 

逆に話を狭くすると、

 

同じ親から生まれ育った双子の仲の良い兄弟でも、

 

小学生、あるいは中学生くらいから、環境がそれぞれ変わってきます。

 

付き合う友達が違えば、遊びに行く場所も違う。

 

興味のある部活も違うかもしれないし、得意なゲームも違うかもしれません。

 

そうしたちょっとした違いから、同じ家庭で育つ仲の良い双子であっても、

 

いつからか、「あたりまえ」の価値観が変わってくるわけです。

 

家族内のルールなどは、兄弟にとっての「あたりまえ」かもしれませんが、

 

一歩外に出れば、友達に通用しない「非常識」になるかもしれないわけです。

 

 

結局のところ、親子であれ、兄弟であれ、

 

「自分」という存在から見れば、それ以外は全て「他人」ということになります。

 

もちろん、家族として考えるのであれば、いわゆる「赤の他人」ではありませんが。

 

 

世界の人口は、現在、73億人を大きく超えています。

 

日本の人口は、その中の1億2700万人です。

 

つまり、極論から言えば、世の中には、

 

73億人分の価値観が存在するということです。

 

 

仕事、恋愛、学校生活、趣味、毎日の暮らし。

 

これらについて、まるっきり同じ価値観を持っている人は、少ないかもしれません。

 

ただ、人には「同調する力」というのが、多かれ少なかれ備わっているので、

 

共通点を見つけたり、「なんか似てる」、「話が分かる」など、

 

錯覚も含めて、近い存在を見つける事は出来ると思います。

 

ビジネスや恋愛において、「価値観」が似ているというのは、

 

とても大事なことだと、個人的には感じています。

 

 

「価値観」が似ている人同士が出逢うと、

 

話が盛り上がるだけじゃなく、同じ方向性で追及していくので、

 

より深み、高みへ、話が進むでしょう。

 

価値観の違うもの同士による化学変化のようなものは少ないかもしれませんが、

 

どちらも貴重な出逢いだと思います。

 

 

生活における「価値観」というのは、

 

生きていく上では、重要な「キーワード」になると思います。

 

身近にある「あたりまえ」を、意識してみると、

 

それだけでいつもと違う発想が生まれるかもしれませんね。

熊本に続き、また大きな地震が発生してしまいました。

 

地震が起こるたびに、日本は地震大国なんだと、

 

つくづく現実を突きつけられる感じです。

 

東日本大震災、あるいはそれよりも前、もしかしたら阪神淡路大震災の頃から、

 

震度4ぐらいでの地震には、驚かなくなってしまいました。

 

震度7という破壊力を目の当たりにした「あの日」から、

 

私たち日本人の地震に対する「基準」が、大きく書き換えられました。

 

今回の鳥取地震の発生で、過去のデータなども、あまり意味をなさなくなりました。

 

余震が続く中、寒くなって来た被災地の方には、

 

一日でも早く、安心して暮らせる日が戻る事をお祈りいたします。

 

 

こんばんは、スーです。

 

 

毎回、こういった災害が起きると、その日から、

 

ボランティア活動があちこちで始まりますよね。

 

そのボランティアと同時に、日本中で起こるのが「募金活動」です。

 

いつも多額の義援金が集まり、困っている被災地の方に届いている「はず」です。

 

「はず」というのは、各団体によって、集まった義援金の行き先が違うこと。

 

テレビで報道されるような場所には、義援金が集まるものの、

 

メディアで取り上げられない、大惨事にあった被災地の近くの市町村には、

 

意外と援助が行き届いていなかったりします。

 

それから、許されないのが、義援金詐欺。

 

本当に必要な人、スポットの当たらない被災地には、

 

十分な支援が行き届かないこと。

 

SNSで、救援物資を呼びかければ、「それ」のみが集中し、

 

逆に被災者の方が休むスペースなどを物資が奪ってしまい、

 

まともに休める場所を減らしてしまうような、

 

「善意による迷惑」が起きてることも事実で、

 

なんだかもどかしい気持ちになってしまいます。

 

 

話は変わりますが、昨年の話だったでしょうか?

 

海外で「ある行動」を起こした男性の元に、多額の寄付が集まりました。

 

 

その「ある行動」とは、

 

自身のFacebookに、「公開鍵」と言われるQRコード、

 

それとメッセージを載せただけです。

 

 

知っている人には、理解の早い話ですが、おそらく今後、大いに役に立つ話なので、

 

知らない人にも是非知っておいて頂きたいことです。

 

 

この「公開鍵」というもの。

 

実は、何かと話題になる、「ビットコイン」のQRコードなんです。

 

でも、ビットコインのQRコードが何の役に立つのか?

 

それは、ビットコインが世界では早くから「お金」としての価値を認められ、

 

しかも、早く正確に、必要としている人に寄付が出来ることになったからです。

 

 

日本では、「日本円(=日本)」への信頼度が高く、

 

銀行にお金を預けていても、そうそう価値が下がりません。

 

しかし、海外、特に比較的後進国に近付けば近づくほど、

 

自国の通貨が信用されておらず、国のお金を持っていても、

 

いつ紙切れになるかわからない不安が付きまとっています。

 

そんな中、世界中で価値の上がってきたビットコインに希望を見出し、

 

通貨が安定しない国ほど、ビットコインを買い求めるようになっています。

 

まだ記憶に新しい、キプロスの預金封鎖、

 

ハイパーインフレによって、自国通貨が紙くずと化したジンバブエ。

 

少し前には、中国国民が人民元に不安を覚え、

 

一斉にビットコインを買い求めた結果、

 

中国でのビットコイン購入を国が禁止する事態になるなど、

 

ビットコインに価値を見出し、求める人が増えているというのが、今の現状です。

 

 

国が発行する通貨と違い、価値は世界共通なので、

 

ビットコインを持っていれば、他国でも、

 

その国のビットコイン利用可能店舗などで、

 

両替など関係なく、買い物などが出来る。

 

これは、すごい革新的で便利な事です。

 

海外旅行をした方ならば、その利便性は、簡単に想像出来ると思います。

 

そして、インターネットを利用した通貨であるからこその特徴として、

 

海外送金の便利さが、よく話に上がることの一つです。

 

通常は、海外に送金するとなると、送金の手数料が結構かかるものです。

 

少額の送金であっても、1000円や3000円、

 

銀行や送る場所によっても違いはありますが、

 

高いところだと5000円や8000円ほどの手数料かかるところもあります。

 

そういう理由もあって、募金など、個人での少額の海外送金や、

 

海外留学している子供に親がお金を送る場合など、

 

手数料がバカにならない金額になってくることもよくある話です。

 

 

ビットコインは、そういう今までの概念を見事に壊してくれました。

 

なぜなら、送金手数料がほぼ「無い」に等しいからです。

 

しかも、送金手段もメールを送る感覚で、

 

数秒もかからず送れてしまうわけですから、

 

これを知った人たちが使わない手はないワケです。

 

そして、最初に話した、外国人の彼は、

 

自分のFacebookに自分用の「公開鍵」と言われる、

 

Rコードを貼り付け、個人的に寄付を募ったところ、

 

それを見たビットコインユーザーが次々と送金し、かなりの金額が、

 

彼の「ウォレット(ビットコイン用の財布)」に集まったという話です。

 

 

もし、熊本地震の時、被災地の方の中でビットコインユーザーがいたら。

 

そして、自身のFacebookなど、SNSに寄付を募っていたとしたら。

 

それを見た、国内のユーザー、あるいは海外のユーザーにシェアされたら。

 

本当に必要なお金がビットコインで次々と送金されていたかもしれません。

 

 

日本にもビットコインの波が、届き始めています。

 

大手の銀行が、ビットコインに対抗する為、自社の仮想通貨を発行したり、

 

楽天やDMMなど、耳にしたことのある企業も参入しているのが現状です。

 

これから、大手コンビニやスーパーなども、

 

決済店舗としてどんどん増えていくでしょう。

 

最近では、公共料金の支払いにビットコインの導入を始めた企業も出てきて、

 

ニュースや雑誌で話題になりました。

 

 

業界では、今年は、仮想通貨元年と言われています。

 

その中心にあるのが、仮想通貨の中でも、

 

シェア率がダントツでNo.1のビットコインです。

 

 

災害は、これからも起こるでしょうが、日本でも通貨革命が本格化し、

 

ビットコインの普及率がこのまま伸びていけば、

 

将来、災害時における寄付の仕方も、

 

本当に必要な人に届くよう変わるかもしれません。

 

まだまだ日本では、扱いが小さいビットコインですが、視野を広げ、

 

世界の動きを見てみれば、時代が変化する時期に来ているのがわかります。

 

ニュースやテレビなどで、「ビットコイン」の文字が目に入ったら、

 

ぜひ、一度意識を向けてみてください。

村上春樹さんの受賞が待望された、先日発表のノーベル文学賞。

 

周囲の予想とは大きく違った展開を見せましたね。

 

ボブ・ディランさんの受賞を決めた理由については、

 

これまでとは違った選考内容だったようにも感じられますが、

 

一般的には名誉なことである賞でも、もしかしたら、当の本人にとっては、

 

さほど意味のないことなのかもしれませんね。

 

ボブ・ディランさん本人が、メッセージを発信しない限り、

 

彼の胸の内はわからないままですが。

 

 

こんばんは、スーです。

 

 

物事について、価値の有る無しは、人それぞれ違うものです。

 

世の中には、そういうものが溢れていますよね。

 

例えば、お金の価値なんかもその一つです。

 

日本で言えば、「円」の信頼性が高く、それは日銀、

 

しいては日本という国への信頼の現れになります。

 

一方、海外に目を向けると、

 

記憶に新しい、キプロスの預金封鎖、ジンバブエドルの廃止。

 

そして、民間の銀行ですが、ドイツ銀行の経営破綻危機。

 

ドイツに関しては、今のところ、ギリギリのところで踏み留まっているようですが、

 

この先、予断を許さない状況のようです。

 

(余談ですが、日本の日銀に当たる銀行は、

 

 ドイツではドイツ連邦銀行という銀行です)

 

もし、ドイツ銀行が経営破たんした場合、

 

リーマンショックの再来になるのではないかとも言われているぐらいでなので、

 

そうなったら、日本にとっても、他人事ではありません。

 

 

何が言いたいのかと言うと、生活に密着しているお金でさえ、

 

状況によっては、紙くず同然の価値になる場合があるということです。

 

日本人なら周知の事ですが、日本は地震大国です。

 

阪神大震災や東日本大震災の時など、日本円への不安が株価に現れています。

 

そういう時に割安と感じ、買う人もいるので、実際は乱高下がかなり激しくなり、

 

復興に伴い、信頼=株価が戻ってくるという状態ではありますが。

 

つまり、日本も、何が原因で「円」の信用が落ちるかわからないということです。

 

もちろん、今すぐどうこうなるわけではありませんが、

 

物の価値というものは、状況やそれを扱う人々によって、様々だということです。

 

 

ネットオークションなんかをやっている方は、

 

そういった「価値の動き」には敏感かもしれませんね。

 

私は興味がないので、価値を見出せませんが、

 

好きな人にとっては、多少高くてもポケモンGO+(プラス)が、

 

欲しかったかもしれません。

 

古くは、遊戯王のレアカードや妖怪ウォッチのメダルなども高値が付いていました。

 

最近では、発売されたばかりのPSVRでしょうか?

 

それぞれ、時代によって、また、それを扱う人たちの中で、

 

モノの価値が高められていった現実の話です。

 

 

価値というのは、何もモノに限らず、技術や情報などにも同じことが言えますね。

 

有名な話では、「ピカソの絵」なんかがそうでしょうか。

 

 

ある女性ファンから、絵を描いてほしいと頼まれたピカソが、

 

30秒ほどで、さらさらと簡単に1枚の絵を描き上げ、

 

それを女性に渡し、「100万ドル(1億円)です」と告げました。

 

女性は、とても驚いて「30秒で描いた絵なのに?」と言ったところ、

 

ピカソは笑いながら、「30年と30秒ですよ」と言った話です。

 

 

話自体は有名な話なので、知っている人は、すでに知っているでしょう。

 

女性から見れば、たった30秒で描いた、

 

それこそ、もしかしたら落書き程度の感覚だったかもしれません。

 

しかし、それを描くに至っては、ピカソが30年を費やしてきた過去があり、

 

そこに価値がある事を知っているからこそ、「100万ドル」と言ったのでしょう。

 

 

こういった話は、私たちの身近でもよくある事です。

 

例えば、これからの時期、車に乗っている方は、

 

タイヤをスタッドレスタイヤに交換するかもしれません。

 

自分で出来る器用な方は、カーショップや整備工場などに頼まず、

 

自分の時間と技術で交換するでしょう。

 

しかし、それが出来ない人は、お店に頼むか知人に頼むことになります。

 

お店であれば、多少の違いはあれど、

 

 

作業の手間賃が相場として決まっていたりします。

 

しかし、お金をかけたくない人は、安く、

 

あるいはタダでやってくれる人を探すかもしれません。

 

親切な人であれば、文句も言わずやってくれるでしょうが、

 

半ば無理矢理、頼まれた人にとっては、面白くない話です。

 

交換にどれぐらいの手間と労力がかかるか?

 

その作業にいくらの価値があるのか?

 

お店で頼んだ人には、その作業にいくらの価値があるのかわかるはずですが、

 

中にはそれを知った上で、知人を安く使う人がいます。

 

タイヤ交換に限らず、私も以前、価値がわからずに、

 

他人に迷惑をかけたことがあるので、大きな顔は出来ませんが、

 

少なくとも、これまでの経験から、今はモノの価値を考えるようになりました。

 

 

最近では、いろいろ講義を受けたり、イベントに参加したりしているので、

 

人と会い、情報を得るために動いていると、

 

その情報にいくらの価値があるのか考えるようになります。

 

そして、必要な情報やスキルは、

 

絶対にタダでは手に入らないということに気付きます。

 

 

世の中には、「無料」で「良い情報」を手に入れようとする人がたくさんいます。

 

私も少し前までは、そっち側でした。

 

 

「苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、

 

「良い情報は、買ってでも手に入れろ」というのが、最近、肝に銘じている事です。

 

もちろん、あまり高額なものは、二の足を踏んでしまいますが、

 

背伸びしない程度に、手に入れられるものであれば、

 

身銭を切る価値が、十分あるように思います。

 

 

自分に必要なモノ、情報、スキル。

 

 もし、全てをタダで手に入れようと、考えている人がいたら、

 

一度、その「モノの価値」を考えてみて欲しいと思います。

以前はこの時期になると、クリスマスの話題がちらほら出始めたものですが、

ここ数年、それよりも先に、ハロウィンの話題が出るようになってきましたね。

クリスマスも、ハロウィンも、海外での風習というものが、

最近では、日本用に解釈が変換されて、

経済効果の期待できる商業用イベントになってしまっているのが現状です。

それ自体は、悪いものではありませんが、ハロウィンに関しては、

マナーの悪さが、群を抜いて目立つ、イメージの悪いイベントになってしまいました。

せっかく定着しかけているイベントが、根付くかどうかは、

何らかの形で、ハロウィンに参加している人たちのモラルとマナーにかかっていますね。


こんばんは、スーです。

かなり、久しぶりの更新になってしまいました。

毎度のことながら、日々更新しているブロガーの方は、

ホントにすごいものだなと感心してしまいます。


ブログを書こう書こうと思いながらも、更新を後回しにしてしまったこの期間、

自己向上に努めるべく、いろいろなセミナーに参加したり、

本を読む機会を多くしたり、知識を増やすためにと、

いろいろと忙しい時間を過ごしていました。

来年以降、コンサルティングやセミナー講師を仕事の一環とする為、

そちらの勉強もしている真っ只中ではありますが、

全てが、自分のやりたいことに向けて繋がっている感が強く、

これから数か月の間も、密度の濃い時間が流れていきそうです。


さて、

最近、気付いた日本の現状・・・というと大袈裟ですが、

少し気になることがあったので、そのことを書いてみようかなと思います。


日本人の生活が欧米化して、かなりの月日が経ちますよね。

食やファッション、ビジネススタイルなど、様々な分野で変化を目にしますが、

今でも根強く変わらないのが、「お金について」の考え方ではないかということです。


私たちは、日本は資本主義社会と教えられて育ちました。

でも、その実は、社会主義的なことがベースにある上での資本主義ではないかと、

個人的には思っています。

戦後、友好関係にあるアメリカは、完全なる資本主義社会ですが、

一つの例として、保険に関することがあります。

アメリカには国民皆保険制度がないので、無保険者も15%以上存在するという話。

医療保険加入者は、その逆、つまり85%ほど存在するということです。

日本のように、国民保険や社会保険のような制度が国にない為、

多くの国民が自発的に医療保険に加入しているのが事実です。

ちなみに、アメリカでは、日本で重要視される死亡保険の加入は、

日本が70%というのに対して、アメリカでは約20%程度と、

かなり低くなっているようです。

死んだ後の事より、生きているうちへの保険の関心が高いというところでしょうか?

つまり、同じ資本主義を謳っても、そういう違いが、随所にあるということです。

日本では、国民保険や社会保険のような、ある一定の国民に対して、

国として強制的に加入する保険などがあることから、

社会主義的な面が見られるのではないかという考え方です。


話は変わりますが、いつからでしょうか?

最近、テレビCMなどで、よく耳にすることがあって気になっていました。

「NISA」

ご存知の方も多いでしょうか?

正式には「少額投資非課税制度」言われるものです。

簡単に言うと、

「銀行の口座を利用して、取引をすると、税金面でいろいろメリットがありますよ」

ということですね。

詳しい内容は、各銀行のサイトなどで説明が載っているので、

そちらを見てもらえばわかるとして、注目すべきなのが、

「銀行がCMをやっていることに、非常に大きな意味がある」

ということです。


銀行は、もともと、預金(=預かったお金)を運用し、

その利回りで、利息を付けたりしていたわけですが、ご存知の通り、今は超低金利時代。

日銀に至っては、マイナス金利を導入せざるを得ない状況まで追い込まれました。

今の超低金利は、何も今に始まったわけではなく、

過去のバブル崩壊に始まり、サブプライムローン問題やリーマンショックなど、

度重なる経済ショックが招いた、段階的な出来事として時代背景に基づいたものです。


対外的な理由もあるので、「国が全て悪い」と一概に言い切る事も出来ませんが、

残念ながら今の日本は、そういう現状であることを知っておく必要があります。

その上で、国からの指示で、銀行が動いたのが、「NISA」のススメです。


銀行が「NISA」を薦める理由にはいくつかありますが、

まず、そもそもの理由として、「国の施策である」ということです。

銀行が発表していることもありますが、この施策には金融庁(=国)が絡んでいます。

内情は、関係者しかわかりませんが、上からの通達ということでしょう。

銀行としても、口座を通じて投資を行うということは、

単純に考えて、取引が増える=決済手数料が取れるので、悪い話でありません。

で、それに加えて、口座が増えるということは、

継続して銀行を利用する人が増えるということでもあります。

ついでに言えば、上からの命令で、NISA利用者を増やせば、

上(=金融庁=国)にも、面目が立つので、

何かの折にいろいろと役に立つというとこでしょうか。


とはいえ、利用者にとっては実際どういったものなのかわかりにくいので、

ちょっと、言い方を変えるとすれば、

「銀行ではお金が上手く増やせなくなったので、

 自分で投資をやって、自分の責任でお金を増やしてくださいね。
 
 そのかわり、銀行口座を通じて増やした分の税金については、
 
 ちょっとサービスいたしますよ。」


ということです。

正直、銀行自体が、預金者から預かった資金を上手く運用出来ず、

利益を生めなくて苦労してるのに、その銀行が進めて来る投資が上手くいくのか、

個人的にはかなり疑問ですが、日本人の中にある、

「投資=危ないもの・怪しいもの」

というイメージが変わるだけでも、今回のNISAの取り組みは、

まあ施策としてはいいのかなとも思ったりします。


ただ、このNISAで上手くいかなかった場合、逆に投資に対しての、

日本人の「反投資感情」を逆なでするようなことにならなければいいのですが、

こればかりは、やってみないとわかりませんからね。


今後の日本に住む人が生き残る術の重要課題として、

「投資」への転換に舵を切った事だけは、賛同できるといったとこでしょう。


いずれにせよ、資本主義社会として、日本よりも遥か先を行っている、

「アメリカ」を追いかけるのならば、

投資を食わず嫌いしているような時期ではないでしょう。


それをしなければ、

「収入を守れない=生活を守れない」

という状況が近付いているならば、やるしかない時代になっていくわけです。

もちろん、投資が全てではありませんが、

収入を得る手段として、大いに有効な方法であると同時に、

何の知識もなしに、手を出していいものではないというのもまた事実です。


長々と書いてきましたが、まずは、投資どうこうの話をする前に、

自分の現在の収入、貯蓄額、それに今後稼ぐであろうお金の計算をして、

その上で、自分が、あるいは家族がこれから何十年生きるのか?

そして、そのためにいくら必要なのか?

簡単な計算をしてから、事の重大さに自分で気付くところから始める必要があります。


意外と大変な状況になる現実を、各自が知るところから、

気付いた人は何かしらの行動を起こすでしょう。


他の誰でもない自分の人生です。

行動するその責任は、全て自分にあります。

「知らないということが一番のリスク」

情報社会における、新しい常識です。

ここ2、3日、築地市場の移転について、ニュースが取り上げられています。

小池知事が延期を決めたのが、その原因でしょう。

以前から、進められてきた事業なのに、引っ越し間近のこの時期に、

なぜこんなに問題になるのか、かなり疑問です。


こんばんは、スーです。


ニュース(主にフジテレビ)などで、

小池知事がかなり責められているようにも見えましたが、

個人的に、大きな違和感を感じながら見ていました。

もともと、豊洲の話は、青島知事の時には、そんな話が合って、

石原知事の時に決定したようです。

言いかえれば、今回問題になっている、土壌汚染や設計の問題など、

当時の内に、解決しておけばよかった問題を、一部の既得権益の亡者たちが、

内々に都合のいいようにしてきた結果ではないんでしょうか?

あまり詳しくないので、専門的な事は言えませんが、

土壌汚染の件に関して言えば、子供でもわかりそうなぐらい大変な事で、

もっとしっかりとしたシュミレーションと対策を講じる必要があったように思います。


今まで、「なあなあ」にしてきた部分に、小池知事がアクションを起こしたので、

「ベルトコンベア」に乗っている人たちから、「ふざけんな」と言われている感じですよね。


使い勝手や設計の問題も大事な事ですが、

それよりも重要な土壌汚染の件について、ないがしろにし過ぎて、

「食材を扱ってる自覚、あるんですか?」

と、移転推進派の人たち、特に現場で働いている人たちに言いたいものです。


私も、飲食の世界で仕事をしていた人間なので、

衛生管理には、日頃から、かなり気を付けていました。


「衛生」とは「生(命)を衛る(守る)」と書きます。


お金の問題ももちろん大切ですが、その為に、衛生環境を2番目にする。

「食」に携わる者としては、絶対にしてはならない事です。


築地、あるいは豊洲は、魚が美味しい所です。

魚は、食品としての性質上、生で扱う事が多い食材です。

築地も老朽化が進み、決して衛生上、良いとは言えない状況です。

しかし、豊洲市場は、以前、東京ガスのあった跡地で、

長年の環境汚染にさらされた場所でもあります。

そんな場所だからこそ、しっかりとした対策を講じて、

安全であるデータ(確証)がないと、都知事としては、

移転にGOサインが出せないと言っているわけです。


本来ならばそんなことは、小池知事になる前に、

15年以上も時間があったわけですから、その時にやっておけばよかったことです。


当時の責任者や、開発担当者、設計者、

それ以外に事業を推し進めて「オイシイ」思いをしていた人間を根こそぎ洗い出し、

責任取らせれば、多少世論も納得するような気がします。


今後、何十年と、先を見据えた判断で、今回の決断をした小池知事だけが、

吊るし上げられるのは、何か違う気がするんですね。


やり方が、良いかどうかは別として、物事の一部を切取って、

「一は全」と言わんばかりに、全てを悪とする、三流新聞社のようなやり方が、

どうにも納得いかない感じです。


日本では昔、教科書にも載るような環境汚染で苦しんだ歴史があるのに、

そんなことも忘れてしまっているんでしょうか?


確かに補償費など莫大な金額ではあるけれど、目先のお金に大切な事が見えなくなって、

この先の人々の健康や命を、危険に晒す可能性を考えないのはどうなんでしょう?


大事な事を、きちんと見極め、適正な判断をして、

世界に誇れる「TOKYO」にしていってもらいたいものですね。