もうすぐ春ですねぇ
近所のモクレンのつぼみも大きくなってきました。
日本海軍 航空母艦 鳳翔完成しました。
フジミ社製1/700 1944年延長甲板エッチングモデルです。
セットにはスチール甲板と甲板下トラス、スポンソン、着陸信号燈支柱などのエッチングと舷外電路の3枚が入っています。
で、前回からの続きで、船体は組みあげましたので、延長甲板のくみ上げに入りました。
↑甲板は磁石にもくっつくスチール材でちょっと硬い!
艦尾側の反りを作るのに曲げすぎたり、曲げ足りなかったりと、調整がちょっと面倒です。
トラス材の接着時に消しゴムで倒れないように押さえます。
これの繰り返しで甲板下を製作しつづけること3日・・・。
↑ほぼ出来上がった甲板下側エッチング化。
たぶん、ここのトラス製作作業のことが「上級者向き]とのことでしょうね。
根気のいる作業でしたし・・・・視力の落ちた「高齢者」にもキツイ作業かと・・・(笑)
ちなみに着色は組みあげてからメタルプライマーをふいて行いました。
さて、甲板の方は・・・。
飛行甲板に貼るデカールシールもついていますが、これが曲者で、組み立て説明書のシールNoとシールNoと相違する箇所があるので、素直に張りつけるととんでもないことになります。まぁ、すぐに「おかしい!」と気付くはずですが・・・。
デカールシールの6、7番は旭日旗なのですが、説明書では左右の甲板端部ラインです・・・。
番号がずれているのはご愛敬か、もしくはシールの印刷がKoreaだから嫌がらせかのぉ(笑)
説明書には「デカールの貼り付け図はあくまで一参考例です。ご自由にお楽しみください」とありますから、ご自由にさせていただきます!(笑)
↑で、出来あがり。
模型はリアルに作って楽しむ部分と、想像の部分で作る楽しさがあるのでやめられません。
ちなみに、この鳳翔の飛行甲板について、終戦まじかな時期には迷彩塗装がされていたようだ・・・と言うことですが明確な写真が手元にないので、どんな飛行甲板だったかはわかりません。自分もまだ乗ったことが無いので。(笑)
で、甲板色は短甲板時代の木甲板部分もナシにして、空母加賀などと同じ甲板色にしました。空母らしくてなかなかいいです。
↑艦橋(アイランド)が無い空母は当工廠初の艦船です。
さっぱりした甲板の空母、いいですねぇ。
搭載機数は20機ぐらいだったとか。
もちろん1944年末期には載せる飛行機もなかったでしょう。
後部の着艦信号燈支柱など、なかなか良いです。
(空母として建造した)世界初の空母鳳翔は小さいので可愛いです。
空母鳳翔がその昔、真珠湾攻撃時に第一艦隊の三航戦で対潜哨戒の命を受け、小笠原諸島沖で艦載機全部を使って対潜哨戒中のこと。スコールに会い、艦載機収容に手間取ってしまい、迷走しながらなんとか夕方に収容を終えたその夜、舷側のアンテナが全部波に持っていかれて、翌朝、自分の位置さえ分からなくなる始末に・・・。
駆逐艦3隻を引きつれて行方不明状態になってしまった。
小笠原父島からの無線で、もう本体は作戦終了し、とっくに引き返しているとわかって二昼夜遅れてなんとか瀬戸内海に戻ったが、「鳳翔が沈没した」と噂されるまでになっており、梅谷艦長が山本五十六長官から「水戦司令官となった気分はどうだ」と笑って迎えられたという逸話がある艦です。
↑空母瑞鶴と比べると、そのコンパクトさが分かります。
鳳翔はミッドウエー海戦でも活躍しており、主力部隊護衛の軽巡川内と駆逐艦磯波が行方不明になったのを鳳翔の艦載機が連れ戻したり、最後まで奮闘した空母飛龍の漂流中の姿を撮影したのも空母鳳翔艦載機と言うのも感慨無量ですね。
華々しい戦歴は無くても、艦隊の後方支援で活躍した艦です。
個人的には終戦前に長門と一緒に三笠の横にコンクリートで囲んで並べてとっておいてほしかった艦ですね。
昭和19年末に飛行甲板を前後とも伸ばして180.8メートルにしたが、前部飛行甲板のせいで視認性が著しく低下(復元性の低下も要因)してしまったため外洋に出ることもできず、瀬戸内の海で、航空機の離着艦などの練習空母となって、ほぼ無傷で終戦を迎え、そのご復員輸送艦として活躍したとのこと。
※艦載機はウォーターラインの日本航空母艦艦載機・後期セットを使いました。