湘南モノレールと江ノ電に久しぶりに乗ってきました。
先のゴールデンウイークの江ノ電は最悪の事態で、昭和50年代の痛勤を思わせるような混みよう(もちろん乗るのは止めてます)にパスしたので、今日はリバウンドで少し空いていたようです。
まぁ、それでもニーハオ、シェイシェイの大声集団が大挙している、特に鎌倉高校前駅周辺は避けたい気持ち満々で行ってまいりました。笑
大船~湘南江ノ島を走る湘南モノレール。
しばらく乗らなかったので、リニューアルしたのは気がつきませんで、ずいぶん可愛らしいラッピングになっていました。
座席シートもモノレールの絵が描いてあります。
子供が歓びそうですね。
そして、湘南モノレールは東京モノレールなどの「跨り式」ではなく、めずらしい「懸垂式」のため(上の座席シートの絵もそう描いてありますね)、車両前後の風景は、とてもスリリングです。
下が道路の上を走るときなどは、飛行機に乗ってるような感じになり、反対に車でモノレールの下を走ってるときにモノレールに追い越されるときなどは、スターウォーズ「新たなる希望」のオープニングよろしく、上を大きな車体が通過していくの光景は圧巻ですよ~。
なんて楽しんでいるとあっという間に湘南江ノ島駅について、あらら、駅がものすごくきれいになっておりました。
そうかぁ、オリンピックのヨットレースとかあるから綺麗にしたんですねぇ。
それと、西瓜・・・もとい。Suicaも使えるようになったじゃん!
湘南江ノ島駅を降りて、江ノ電の江の島駅方向へと向かいました。
↑江ノ電の江の島駅にある鳥さん。(ガードバーの上にある鳥なんですが・・・)
商店街の方が季節に合わせていろいろ着替えさせてあげているのです。年末はサンタさんだったなぁ。
そんで、西浜にちょっと用事があって行ったわけですよ。
行くまでの商店街通りは完全に中国化して、もう日本語は聞けません。笑
いっぱいお買い物でもしてお金使ってくれるのならいいですけどね。
西浜でしばし用事を済ませてぼーっとしていたら、これでずいぶん陽に焼けてしまったようです・・・。
上の写真の水平線にある尖り岩がなんなのか最近の若い人は知らないようで、「太陽族」全盛時代にそんなことで湘南海岸に居たら田舎もん使いされたかもです。
え?太陽族知らない??石原慎太郎の「太陽の季節」・・・。1950年代。
まぁ、そういう自分もそのころは生まれておりません。続く加山雄三の父上原兼が茅ケ崎市にパシフィックホテルを建てて世間の注目をあつめていた時代からしか知りません。笑
加山雄三やサザンオールスターズの湘南サウンドに出てくる岩ですから、知っておきましょう。
おっと、話が脱線してしもうた。
で、あとは江ノ電沿いに東進するわけです。
江ノ電が唯一、路面を走る区間がここ、龍口寺前交差点から腰越駅手前までで、夏などの渋滞時には大変なことになるので、警備員が交通整理するほどです。
ちなみに、開業当時のままの路線で営業しているのはこの江ノ電が最古というのもすごいですね~。
↑ほら、前を見ないで交差点に進入した車が軌道上に残って、電車に警笛ならされっぱなしで車の運転手、ものすごく焦ってた。
ちなみにここは遮断機とか無いからね。
地理に疎い他府県ナンバーやサンデードライバーが交差点内でとめちゃうことが多いようで・・・。
交差点近くにある「江ノ電もなか」で有名な扇屋さん。
江ノ電の頭がトレードマークなのですぐにわかります。
ちなみに、ここは藤沢市です。
↑ただでさえ狭い道に・・・江ノ電さん、大変だわ。
鎌倉側の腰越駅手前で路面から専用軌道に戻ります。
江ノ電側に踏切があります。たしかこういうの、世田谷線でもあったような・・・。
↑腰越の満福寺前をすれすれに走る江ノ電。
ここはもう鎌倉市。鎌倉幕府創立の源頼朝に宛てた源義経の書状が残っている満福寺。
鎌倉に入ろうと(帰ろうと)する義経をこの寺で待たせた挙句、結局追い返したという・・・。
そういうことを知って回ると鎌倉はいいものです。
さらに、腰越の先、小動岬(コユルギミサキ)は作家、太宰治が自殺を図ったところでも・・・。
↑歩いて回ると、海の見える踏み切りは沢山あります。ここは中国語ないです・・・潮騒と車音と警報器音・・・そして通過音。
明るい色の海、湘南の雰囲気にはやはり江ノ電が似合います。
鎌倉高校前は競歩状態で通過~。
橋を渡る江ノ電を数か所見られるうちの一つ。
地図を見たが名前が載っていなかった・・・下流の行合橋交差点の少し上流なので、行合橋梁かな・・・?
今日は江ノ電が帰り旅行者で混まないうちに撤収です。
むしろ遅くまで居ればいいのでしょうが、夕日の富士山が見られそうもなかったので帰りました。
鎌倉駅にある蛙さん。
無事に帰るように・・・。