鎌倉アルプス・ハイク
お天気は曇天。でも心地よい風の吹く一日です。
さて、本日のコースは上郷森の家から自然観察センターを通って天園(六国峠)から瑞泉寺や永福寺跡、釈迦堂切通を行ってみました。
↑コース地図ではこんな感じです。
上郷・森の家の日帰り温泉「カワセミの湯」でまずはひと風呂浴びて・・・笑。
500円なので銭湯と同じですね。
ちなみに今日は誰もいなくてうれしい貸し切り状態でした。
さて、一路鎌倉を目指しましょう。
横浜霊園には自分にとって大切な人が眠っています。忘れてはいけない素敵な人。
ハイキングコースは相武隧道の上を通ります。
磯子区の円海山から続く尾根道はむかしの相模の国と武蔵の国の境なのです。
※地理的には多摩丘陵がほぼ国境だったようです。
市境広場からみた丹沢。
山並みの黄色の左が塔ノ岳、右が大山。
ズームアップすると、塔ノ岳の尊仏山荘や、大山山頂横のアンテナ群が見えますナ。
すみません、山バカなもんで・・・。
しばらく歩くと・・・。
あら~。日本三大毒草のトリカブトがこんなところに。
過去、南アルプス、箱根と西沢渓谷で見たことがありますが、里山では初めてです。
ひとの致死量は0.2グラム程度とか・・・。葉っぱ10枚くらい食べたら心おきなく極楽浄土へ行けるのでしょうか。
でも、(南アルプスのとある小屋番さん曰く)鹿さんは平気で花とか食べちゃうらしいです。
平坦な尾根道は残念ながらあまり見通しは良くないです。
でも、むかし、鎌倉時代、江戸時代などはきっと見晴らしよかったんだろうなぁ。
そう思うのは余談ですが、このコースの磯子区と港南区境のいっしんどう広場から、むかしは富士山も江の島も相模平野が一望できたのですが、今では木々が生い茂って何も見えません。
いずれそのコースをまた歩くことがあったらむかしの写真と合わせて載せてみましょう。
おっ、ここには「オオスカシバ」がアザミの蜜を吸っていました。
※ガの仲間なんですが、とっても可愛い姿しています。蜂ではないので刺されないですよ。
今年の台風25号の時の倒木でしょうか。道をふさいでいました。
さあ、この倒木、乗ったり触らないで通れるでしょうか・・・。
自分の短いコンパスでも何とかハイジャンプで通れました。まだ若いモンには負けないぜ。笑
枯れ葉よ~~。
落下中の枯れ葉・・・ではありません。蜘蛛の糸にかかっていたものです。
のんびり歩いても1時間。天園(六国峠)付近に到着です。
そういえば、峠の茶屋はむかし、2件あって見晴らしの良い方とそうでない方がありました。
久しぶりに来た峠に、いつの間にか見晴らしの良い方の茶屋が消滅しておりました。
なんだか聞くところによると、見晴らしの良い方の茶屋は横浜市のハイキングコース上(いわゆる道路上)を不法占拠使用していたために退去されたらしい、とのこと。
評判も良く、見晴らしも良かったのにちょっと残念ですね。
上の写真の分かれ道を左に進むと竹林を抜けて茶屋に着きます。
↑こちらが唯一残る峠の茶屋。
通り過ぎて振り返ると、岩が置いてあり「日源荘」と書いてあります。
むかし、ここには東郷平八郎の別荘があったらしいとかいわれています。
ここのお茶屋さん、残念ながら「注文してもかなり時間がかかっちゃいますよ」とかいつも言われてしまうんです。
おひとりで経営してるからなのだそうですが・・・・。
「日源荘」と書かれた岩の左にちょっとした岩稜帯があって、よじ登っていくと絶景が見られます。(保証はしませんよ。雨の日とか登って見えなかったじゃん、とか言われても困りますので)
↑この岩、40数年前、自分が小学生の遠足で行った時からあるのです。
ここは「六国峠」とも呼ばれ、武蔵、相模、安房、伊豆、上総、下総の風景が見られた(今は千葉側が樹木で見えません)ことが呼び名のもとだそうです。富士山入れたら駿河と甲斐もね。八国峠!笑
↑この日も曇っていたのですが、遠く箱根の山並みも見えました。
写真中央やや左の密集地帯が「鎌倉」の市街地です。
こうしてみると、ちっちゃい街ですね。
鎌倉時代、ここに4万から10万人住んでいたらしい・・・という話。
今はH30年9月統計で17万2千人!(これもすごい!)
↑だから、いまも谷間の奥まで人家があります。これ、家に帰るの年取ったらきついだろうなぁ。
ちなみに鎌倉時代の平均寿命は24歳ぐらいらしい。早死にですね。
死んだら一般庶民はそのまま野ざらしされたようで、町中死臭が漂っていたのではないかなぁ。
高貴なお方たちだけが次なる「やぐら」に火葬安置されたわけですもの。
さて、天園を瑞泉寺方向へ進みましょう。今回は獅子舞は行きませんでした。
鎌倉は入り組んだ谷と丘陵からなっている地形なので、丘陵尾根にいくつものハイキングコースがあります。
結局、出るところ一緒なんですけれどね。
↑新田軍に攻められて落ち伸びる北条軍が東勝寺裏の腹切りやぐらで自害した北条高時の首を渡すまいと敗走するのを、ホラ貝を吹き鳴らして散らばった北条軍を集めて首を隠したというお地蔵様。
↑原型が保ったままの瑞泉寺裏のやぐら。
どんな方の墓地かは分かりません。北条氏の一門かもしれません。どれかが北条首やぐらかも。
↑中央に階段が見えるので左右振袖型になっていたのでしょうか。
↑なんだかカンボジアの遺跡のように木の根が張りついてる遺構が多いですね。
この辺りは下の写真の北条家の方々のようです。
↑右、北条家御一門・・・と読めます。
↑文政一二年・・・江戸時代、(1829年)江戸大火のあった年ですね。
おおよそ、この時代に鎌倉はすでに観光地化されていたことがうかがえる一つの証しかもしれません。
たくさんのやぐら遺構を見ながら瑞泉寺登山口へ出ました。
左奥が瑞泉寺入口。このお寺は建長寺のような大きな山門はありません。
右上の崖上明るいところがハイキングコースです。
久しぶりの瑞泉寺です。
↑境内に「冬桜」が咲いていました。
↑こちらが有名な「瑞泉寺庭園」
広角18ミリでも全部写りませんでした。手前に池があり、左手には岩棚(滝?)もあってなかなかです。
んで、ファインダーの中に(写真の黄色いところ)何やらまーるいもの発見。
本能的に危ないものだと・・・。
大きなスズメバチの巣です。
そういや、山門へ上がってくるところに大きなスズメバチが飛んでいたもの。
瑞泉寺を出て、ここから左へ向かいました。
「永福寺」と書いて「YOFUJI 」と読みます。
↑狭い鎌倉なのに、どーするとこんなに大きな建築物ができるのか?と思うほどの広い敷地です。
頼朝が1192年、岩手の中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院といわれています。
※二階大堂・・・この辺が二階堂とよばれる由縁だそうです。
池の魚を釣るために南北2か所に池に張り出した釣殿もあったといいます。池は復元されています。
もしかしたら宇治の平等院(10円玉に書いてある寺院)より大きかったかも!
残念ながら室町時代の1405年に焼失したままになったようです。残っていたら間違いなく国宝ですね。
さて、ここから二階堂の大きなお屋敷町を通り抜けて、一度鎌倉宮へ立ち寄りました。
護良親王に忠実だった村上義光公の身代わり地蔵。(木像)
自分の体の悪い(よくない)ところと同じところを撫でると良くなるってことです。ぜひお試しあれ。
自分は?だって兜かぶってるもの・・・笑
鎌倉宮から道は金沢街道へ進みます。
新田軍に鎌倉攻めされたとき、こっち方面には敵軍いなかったようなので朝比奈へ逃げなかったのはなんでかなぁ。
金沢街道を金沢八景に向かって歩き、バイク屋さんの前の杉本寺が見えたら、先の横断歩道のあるところを右に折れます。
今回は杉本寺へは寄りません。またの機会に!
横断歩道のあるところが犬懸橋。
由来はむかし、狩りの時に犬が駆け登ったり降りたりしたからだそうです。
↑釈迦堂切通の方向。静かなたたずまいのある小道ですね。
女性の一人旅だとちょっと寂しく不安になるかも・・・。
ふつう浄妙寺側からは隧道に近づけません(見ることもできません。ドローン飛ばせは別です)
↑釈迦堂切通(隧道)
通行止めって書いてあったけれど、通ってくださいと言わんばかりに道があったので・・・くれぐれも自己責任で。
いろんな人が通った跡が沢山あったので、冒険家がいるのでしょうね。
むしろ、人の出入りがある方が保存状態が保たれるようです。
無人の家がすぐ廃墟化するのと同じですね。
なぜ保存しようとしないのかな。金沢区の鼻欠け地蔵も雨ざらしだし。
今年は大型台風が何度も来ましたが、どうやら無事なようです。
↑大町側から。すぐ近まで民家があります。夜な夜な行ってキャーキャー騒がないように。
これと同じ、腹切りやぐらもすぐ近くに民家があります。
よく心霊オタク(テレビ局まで)が騒いでるのですが、引いたアングルで撮らないから行ったことない人がすごい山の中と思っちゃうんですね。
だいたい、鎌倉中が戦場だったところですからね。骨の上に民家が建ってるし、海水浴してる・・・。
(自分は霊なるものは信じていますよ。死んでも思いは残りますからね。でも、鎌倉武士が何の用で怖がらせるのでしょうか。自分のルーツをたどって敵味方だったとかいうのでしょうかね)
あ・・また話がそれてしまった・・・。
↑鎌倉の道は狭いです。けして車なんかで来ないでください。使うならレンタ自転車ですよ!
住民の方ですら大変なようです。釈迦堂から大町への道もせまく、写真のように車同士がすれ違えないので、どちらかがバックして譲り合う必要があるくらいです。
ちなみに鎌倉で見かける住宅立地事情は川を渡ってとか、電車(江ノ電ね)の線路渡ってから家の玄関にたどり着くのが多いです。
↑ここのはすごい。まるで山のバンガローみたいなところに家が建ってます。
↑鎌倉駅へ向かう途中、駐車場の中にぽつんと木造の蔵を見つけました。
蔵って、耐火用に土塀で創るものですが、ここのは木製・・・。もしかして土壁がはがれちゃって、こうなったのかしらん。
大町の通りに出て、安養院からここ八雲神社前を通って、牡丹餅寺(常栄寺)、妙本寺(下写真)と進みます。
↑あら、帝釈天さまがこんなところに。そういえば寅さんも鎌倉でマドンナ役のいしだあゆみさんと来たことがありましたね。
と言っても当時、大船(鎌倉市)に松竹撮影所がありましたしね。
鎌倉ってたくさん神社仏閣があって、この歳になると、風景を別の見方が出来て楽しいです。
え?わたしは宗教家ではありませんよ。
今日はここまで。
また鎌倉へ行ったら書きますね。