体外受精 乳がん 大腸がん腹膜播種 に纏わる覚書

体外受精 乳がん 大腸がん腹膜播種 に纏わる覚書

大腸がんリンパ節転移 腹膜播種の親の介護中
体外受精(ショート法)による不妊治療
そのさなかに乳がん(疑)が発覚
アメブロでは多くの情報をいただき助けられました。
自分の記録も誰かのお役に立つ日が来ると嬉しいです。

ご訪問、いいねなど、いつも ありがとうございますラブラブ
あまり更新頻度が高くないにもかかわらず、忘れずいてくださって、とても嬉しく、ありがたいです照れラブラブ
 

 

さて

 

ブログタイトルがアレですが、怪しい訪問販売でも、宗教勧誘の記事でもございませんニヤニヤキラキラ ←名付けセンスない

 

 

私が通っているブログの主様がたの中には、抗がん剤治療をしておられるかた、緩和を受けておられるかた、緩和のみで過ごされているかた、術後経過観察のかた、寛解されたかた、それを支えるご家族のかたなど、闘っておられる方々がたくさんおられます。

うち、私たち介助者は、相手のつらさを、話を聞き、その様子を目の当たりに感じ取り、分からないことを補完するために調べたり、少しでも辛さが軽減されるよう準備したり…というところまではできるのですが、どれだけ寄り添いたいと努力しても、実際がんになったことがないと分からないつらさが、山ほどあるのだと思います。

そんな中、生きたい、必ず治す、という意志と気力を救いや糧にしていた母に対して、私にできることのひとつが、必ず良くなる、と共に信じ、変わらず伝え続けることでした。

その中の話に、私がよく母にしていた、かかりつけの先生のお話があります。



私は、30代前半で、片手両足に大きなけがをして後遺症が残り、担当医から、社会復帰困難を言い渡されたことがありました。

当時、仕事が人生であった私にとって、その宣告は社会的に抹殺されたも同然のもので、一人暮らしであった2Fのアパートから自力で外出することもできず、床を這いながら、まともに家事や自分の面倒をみることすらできず、部屋に一人こもり、やや高齢に差し掛かった母に通いで介護してもらう日々は、ただただ情けなく、申し訳なく、毎日母に泣いて謝り、一人の時は、無言で泣き、怒り、絶望し、将来の不安に押しつぶされそうになりながら日々を過ごしていました。

原因が、DVの仲裁に入ったことによる父親からの暴力であったため、相手に謝罪や代償を求めることも裁くこともできず、行き場のない怒りと、なぜこの親のもとに生まれてきたのかという世の理不尽さに耐えきれず、でも、どうすることもできないまま、気を病みそうにもなりました。

 


せめて、自分の人生の心の支えであった仕事だけでも取り戻したいと願い、セカンドオピニオンを受けまくりました。

でも、どの医師も治るとは言ってくれませんでした。


そんな中、持病の通院で足を運んだ、怪我とは全く関係のない科のかかりつけのクリニックの先生が、予想外のタイミングで、何のこともないような口調で、ある日ひょろりと言ってくださったのです。

「必ず治るよ」

と。


専門外の先生がおっしゃることです。
気休めかと思いながらも、「治る」という言葉を言ってもらえたことにビックリした私は、つい、本当ですか? なぜ? と聞きました。


先生のお話はこうでした。

「人間の体の細胞には、それぞれ、生まれ変わる周期があってね、その周期を迎えると、それらの組織は、残らず全て新しいものに変わるんだよ。
大げさに言うと、その頃、僕たちは、まったくの別人になるかんじかな。
骨は~か月、筋肉は~か月、皮膚は~か月…全部新しいものに交換されるんだよ。
あなたの身体も、その頃には全部新しくなる。
だから、必ず良くなってるよ」


また、さらに続けて、


「ただね、免疫力が落ちると、治るものも治らなかったりするんだよ。

人の身体や免疫力って、すごいんだよ。

免疫が強ければ、どんな症状だって必ず良くなるし、逆に、免疫が弱まれば身体も弱る。

この世に、体力と免疫力をもって治せない怪我や病気はひとつもないんだよ。

だから、免疫力を落とさないように、いつもニコニコを心がけて、なるべく、くよくよ、イライラせずに過ごすんだよ」


最近は、訴訟問題になることを恐れ、医学的に完治が不明な症状に対し、「治るよ」「良くなるよ」「一緒に治そう」、などと声をかけてくれる医師は ほぼいなくなりました。

現代の このご職業に似つかわしくないこれらの言葉が、療養中の私にとって、希望の光となり、先生のお気持ちが、どれだけ励みになったか分かりません。


ただ、専門の先生方からは絶対に治らないと言われ続け、何か月経っても夜眠れないほどの痛みが続いていて、自力で立つことすらできないのに、これが本当に治るのだろうかという気持ちもありました。

さらに、その かかりつけの先生というのがとても人の良いかただったので、半分励ましだったのだろうなーと思いながら…

でも、気持ち的には、とても救われ、母のサポートと、職場の上司からの励ましやご支援をいただきながら、

 

 

絶対治すメラメラムキー炎

 

意地でも治すメラメラムキー炎

 

社会復帰するメラメラムキー炎

 

もう一度

この人(職場の上司)のもとに戻るメラメラムキー炎

 

でもって、私は、

自分の力で幸せな家庭を作るメラメラムキー炎

 


と、日々強く念じながらリハビリに励みました走る人炎

 

 


そして

半年経った頃でしょうか。


専門医からは

痛みは残るだろう。
緩和のために病院に通うことになるだろう。
一生車いすの可能性も高い。

と言われていた激痛が、かかりつけの先生がおっしゃっていた時期に、徐々に引いていったのです。

5年ぐらいは、リハビリをしては悪化し、痛みが薄れては悪化しの繰り返しではありましたが、徐々に痛み止めが要らなくなり、夜眠れるようになり、杖を使って自力で歩けるようになり、日常生活ができるようになり、普通のパンプスが履けるようになり、仕事にも完全復帰でき、夫と出会い、結婚し、今は、杖を使わない日も多くなりました。

私の場合、骨や靭帯があちこち完全に断裂してくっついていないので、身体構造までもが「元通りになる」わけではありませんが、周囲の他の組織が補完していってくれるので、日常生活に支障はありません。

後遺症は残るので動作の制限などはありますが、激痛で緩和に通うこともありませんでした。
これからの努力次第では、いずれ元通りになるのではと思っています。


こうして、社会復帰が難しいと言われていた私は、社会に完全復帰し、専門医たちから「一生治らない」と言われていた症状が、治ったのです。


当時、いろいろな人から言われましたが、人間の身体って、すごい、と思いました。
どんな状態でも、こちらが頼まなくても、バックグラウンドでせっせと修復し、傷ついた身体を元に戻そうとしてくれているのです。

倫理的な、とか、承認が、とか、人間にできうる技術的な問題とか…種々の事情で、医療には限界のある場合がありますが、人間の身体に限界はありません。
世界中の名医ですらできないことでも、身体は、24時間365日、日々休まず、当たり前のようにやってのけてくれているのです。

どんな怪我も病気も、病院で治せない部分だって、免疫力を鍛えることで、必ず良くなるのだと思います。

 

(念のため、変な通信販売や宗教の宣伝ではございません。
また、現在、がんにおいては、抗がん剤治療は重要な要素で、無治療を推奨するわけではありません)


うちの母も、無治療になってから、

 

体力と免疫力を落とさないよう気をつけてるよ爆  笑びっくりマーク

絶対良くなって退院するチューびっくりマーク

 

と言って、頑張っていました。

転院前の病院の医師からは、もう助からない、治らない、あなたはこんな風に死んでいくだろう、緩和しかない、などと さんざん言われ、看護師からは、ベッドから起き上がらなくていい、オムツをすればいい、寝たままでいい、と、ため息交じりに諦めの言葉だけをかけられ続け、誰も闘おうとはしてくれませんでした。

コロナで面会制限があり、私とも会えず、日々呪いの言葉を吐き続ける医療関係者に囲まれ孤立無援の中、それでも母は毎日ベッドから起き上がり、リハビリ代わりに歩き回り、毎日電話で、絶対に生きる! 諦めないよ! と話していました。

転院先の医師からも、手を尽くすが、なかなか難しい状況ではあると言われました。

でも、生きているのが奇跡だと言われていた母は、それでも、自らリハビリを申し込み、日々生きるために手を尽くし続けました。

入院から数か月の間、かなり悪性度が高いと言われていたがんは、無治療でも医師が驚くほどにおとなしく身を潜め、ここまでになるともう治らない、余命3週間程度だろう、と言われていた合併症も、自己治癒で奇跡的に改善せしめました。

先生がたも、ありえないことだと、驚愕の嵐でした。


そして、その数週間後。
奇跡的に回復、安定しているので、抗がん剤治療に戻りましょうか? とのご提案を先生からいただくまでになりました。

治療に戻ることは不可能だと言われ、緩和のみで過ごしてきた母は、病院の方々のお力を借りながら、自分の意志と努力と自己治癒力で、ついには、治療に復帰できることになったのです。


残念ながら、治療にいく直前、病気とは関係ないこと(突発的な出来事が起き、強い心理的ストレスがかかったことが原因)で倒れ、寝たきりになってからは体力が落ち、ストレスからがんの進行が突然進んでしまいましたが、それさえなければ、まだまだがんとの共存を続け、いずれは新しい治療法に出会い、完治していたのではないかなと思います。

転院先の先生方のお力添えあってのことでしたが、母を見ていて、やはり、体力と免疫力で治せない病気はない、と言われた先生の言葉は本当なのではと思いました。

 

がんを抑え込むことも可能だし、中には、ステージ4から無治療で寛解されたかたもいらっしゃいます。

 

命を懸けた治療の中、落ち込まず、不安にならず、日々楽しく過ごすことこそ難題であるとは思うのですが、こんな先生や患者もいるんだなと知っていただけたらと思って書いてみました。


注意くどいようですが、現在、がんにおける抗がん剤などの標準治療を経ることは重要で、はなからの無治療を推奨するわけではありません。

また、免疫の力で治すといっても、がんにおける高額な自由診療は全てインチキです。

病状を悪化させかねないのでご注意ください。

 


ちなみに、私の住む、この田舎の医療では、1次治療から順に薬を使っていき、大腸がんは4次治療が終了したら緩和に行くのみという流れ作業らしいのですが(地元の介護経験者に聞きました)、いろいろなかたのブログを見ていると、元の薬に戻ってみたり、がんを驚かせるために投与時期を変えてみたり、薬の組み合わせもかなり多彩で、いろいろな戦略を練り、粘り強く治療を続けてくださるドクターがたがいることを知りました。

きっと、どんな病気でも、探せば、どこかしらに、患者が生きることを願い、寄り添い、一緒に闘ってくださる先生がいらっしゃるのだと思います。

どんなに困難な状況であっても、必ず道はあると思います。

絶望的な状況に陥っても、そこから復帰することは不可能ではありません。

 

今治療をされている方々が、今と変わらず過ごされ、いずれ新しい治療法や薬と出会い、完治されますように、日々、心から願っています。