正法---女の人生

正法---女の人生

私自身の経験を交え、人間として、女性として、いかに生きるべきかを考えるとともに、女の立場・観点から正法についてお話します。

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ブログとはずいぶんご無沙汰してしまった。
気がついたらこれが2014年最初のブログではないか。
台湾は旧暦正月を祝うので、年号が変わっても「年が明けた」という感覚に乏しい。
だいたい、25年間も日本の正月は過ごしていないのだから。
帰りたくてもこの時期は帰れません。

日本で除夜の鐘を聞いて、雑煮を食べたいな、と毎年思うのですが、その思いも時の経過と共に薄くなっていきます。

「まあ、どこに住んでいてもいいや」「どこで死んでもいいや」
です、最近は。
10年ぐらい前までは、「せめて骨ぐらいは日本に埋めたい」と思っていたくせに。


ちゃんと住むところがあって生活できるだけで、どんなにか幸せなことか。
それに、死んだ後に自分の使っていた「借り物」の肉体がどうなるかなんて、そんなことまでいちいち気にしなくていいのだと気がついた時の、ふっと気の軽くなるすがすがしさ。
本当はこれが当たり前のことなのですが。


日本は師走の時期、私は毎年文字通り年間最大の多忙シーズンに突入し、それが旧暦正月ごろまで続きます。
下手すると、そのまま一時も休めないまま、冬休みが終わり、大学の後期が始まってしまうことも。
日本や欧米のクライアントはたいてい、長期休暇の前に翻訳案件をどかっとエージェントや翻訳者に渡してから、自分たちは優雅なクリスマス・年末年始のバケーションに入るのです。

それをこちらは毎日学校の授業も気にしながら、一所懸命処理し、「跨年」(「年越し」の中国語)の花火が台北101ビルの頭上で咲く晩も、形ばかりの蕎麦を急いでかき込んで宵っ張りでPCとにらめっこ。

年が明ければ、期末試験、成績計算と今度は学校のイベントが続き、

案件の方も依然として締め切りを睨みつつ、

睡眠時間と案件と授業と

宿題添削をいかに割り振って

(できればジムで鍛える時間もとって)

この時期を無事に乗り切るかを算段しながら毎日生活するわけです。


それにしても、どうしてこんなに忙しいのか?



最近は、長年の無理が祟り、以前のように「意志の力」で体力を補うという技が使えなくなってきました。
身体は生来そんなに丈夫ではないので、体力不足を自信のある意志力・気力でずいぶんまかなっていたのです。


この意志力、実は曲者です。


とんでもなく忙しく、身体までひどく壊した時期がこれまで3回ありました。

1回目は、台湾に来た当初、現状打開には「お金しかない!!」と思い、
ただひたすらに、がめついまでに働いた数年間。

2回目は大学院修士課程で講義を取りながら仕事も続けていた2年間。

3回目は、雑誌社の編集責任者・翻訳の仕事をした約3年半。


1回目は、先に胃がおかしくなり、その次に円形脱毛症。

髪の毛を洗っていると、束になって髪の毛が抜ける。

先日、深澤真紀さんについて若干書きましたが、この方はカツラを着用しているとのことで。
その経緯についてご本人がお書きになった『深澤真紀の女オンチ人生』が、
わたしにとっては結構「ショック」(いい意味で)でした。

詳しくは深澤真紀の女オンチ人生 私がかつらをつけている理由を読んでいただくとして。

私は幸か不幸か彼女のように「女オンチ」ではないので、

頭の、妙につるつるした表皮が手の指に触れたときには、

一瞬頭の中が真っ白になり...

何かの間違いではないかと思うのもつかの間

その後も髪は無常にも抜け続け、

ものの数日で10円玉くらいの真っ白い「広場」が頭の上に出来上がり...

その後立派な機器の揃った皮膚科に行くと、
なんだかわからない銃のような機械でその「白い広場」にバシバシと注射を打たれ...

それでも一向に良くならず、

このまま禿が進んだらどうしよう...

もう「アデランス」しかない!

と一大決心し(実は夫が長年のアデランス愛用者)

「この世の終わり」のような顔をして、夫の「馴染みの店」へ行って、

かつらをつくるための頭の型と髪の毛の見本を取ってもらいました。

でも
アデランスは幻のアデランスとなりました。
(とても良い店長さんだったので、かつらをつくる「ふり」をしてくださったのかもしれません)
「広場」はなくなって、今は髪の毛がちゃんと頭に生えています。
結局、私の場合、ただの過労だったのです。


しかし、

ただの過労だと思っていると、
禿になるだけではすまなくなります。



2回目の時、疲労がとくにひどくかった。
あと半年同じ生活をしていたら、確実に死んでいたと思います。

過労死ですね。

ある日、極度の疲労を少しでも和らげようと昼寝をしていたら、右腕が麻痺して感覚がなくなっているのに気がつき目が覚めました。

正直怖かったです。
自分の体がかなりやばい段階まで来ていると、改めて認識しました。
それでなくても、万年風邪状態で、鼻の中や口の中などが常時痛くて、
本当に「意思の力」でようやく起きて活動しているという有様でした。


3回目は、そこまでひどくはなりませんでしたし、やりたくても(金輪際やるものか、ですが)体力が......

でも、40そこそこで、60歳以上かと思われるほど老化が進んでしまいました。


組織の中に組み込まれての過労死ではなく、
自らの意志で超多忙になって過労死するというのは、
大慈悲の人となって、人々のために、と言うのでない限り
はっきり言って異常です。


今もかなり忙しく、生活も不摂生なことこの上ないのですが、
それでも過去3回の状況から見れば、ずいぶん改善されているのです。


それにしても、何の因果で自分はこんなに忙しいのか。



第一に、自分の性格です。

①頼まれると断れない 
「あ、いいよ、まかしといて」とすぐやす受けあいしてしまい、あとで深く後悔する。

②状況判断が楽観的過ぎる
このくらいなら2、3日で終わる、とか考えるのだけれど、実際には1週間かかる仕事だったりして、結局2日ほど締め切り延ばして4、5日で仕上げる羽目になってしまったりする。

③責任感あり過ぎ、いや、ただのおせっかい、完ぺき主義
原文でも他人の訳文でも、チェックを頼まれているわけではなくても間違いを発見してしまったりすると、修正せずにいられない。「ここ、これこれこういう理由で問題があるから、修正しておいたよ」などと、まったくお金にならないことでも、おせっかいでしてしまう。


第二に、自分のお金に対する「恐怖心」「不安感」です。

まず、「親のお金は自分のお金ではないのだから、親を頼りにしてはいけない」というスタンスが、結構前からありました。
小学校低学年の頃、給食代の袋を親に渡すのも、親に余計な出費を強いるようで何か申し分けない気持ちがして、渡すのが憚られたことがあるのを覚えています。

これは、私の過去世の何かがそうさせるのかもしれません。

他人(親兄弟も含めて)を頼りにしないという姿勢は、「自由」につながります。

私には、経済的に独立はしたくても、金持ちになりたいとか、裕福な生活がしたいという「大志」はほとんどありません。

しかし、困窮した生活は願わくば避けたいですし、なによりも「自由」は失いたくない。


ある程度お金がないと、この世界は自由に行動できない。

本当はそうであってはいけないし、そうではないはずなのですが、
物質世界に毒されていると、そういう考えに簡単にはまってしまいます。


生活上の物理的な事柄だけでなく、精神もお金でがんじがらめにされてしまう。

お金がないと、何もできないと思い込んでしまう。


その毒に最も犯されていたのが、1回目に身体を壊した時です。

以前もブログでちょっと触れたと思いますが、当時は貧窮のど真ん中にいて。
夫は、来台して1年後には、私に外で働くよう奨励しました。
夫の25000万元(10万日本円弱)の給与で家族6人が暮らすのは、いくら物価の安い台湾でも無謀です。
当時私に唯一できることは日本語を教えることです。塾で、企業で、個人で、教えられるだけ教え、そのうち私ひとりでひと月10万元稼ぐようになりました。
家族一の稼ぎ頭です。
妹夫婦も一緒に住むようになり、11人家族の長男の嫁としてもいろいろ不自由なこと多く(私が勝手に感じていた不自由です)。

10万元の稼ぎもほとんどそのまま夫に渡し、

こんな生活いやだ! 夫と子供と3人だけで外に住みたい!

の一念、つまり「意志の力」で、仕事を取っていました。

料理以外の家事と育児をやりながら、睡眠時間は一日4、5時間となり、
「こんな生活、いやだ!」の暗い想念が、食事もひどく不規則なものにし、
体重が減って体つきが棒のようになりました。

とにかく速くお金を貯めて、週と姑、小姑などとは別々に暮らしたい。
そのためにはもっと働かなくては。
一日48時間あればいいのに。
一日24時間働いても疲れない薬があればいいのに。
戦時中にそういう恐ろしい、ヒロポンという薬が使われていたとも言われますが、
そんなことまで考えていたのです。

その頃の私は、まったくどうしよーもない、馬鹿の上に「超」がつく代物でした。


でも、お金は思うように貯まりません。


その後も結局、そうしてつくったお金は1銭も手元に残りませんでした。


で、円形脱毛症です。


毛が抜けたおかげで、生活の仕方を多少改善する必要に気がつけたわけですが、
旺盛な「意志力」は消えません。


意志力 = 自分のやりたいことを実現し、欲望を満たしたいと思う強い想念、です。


もちろん、プラスに働く意志力もこの世にはたくさんあります。
慈悲の心と結びついた意志力は、人々を救うために偉大な力を発揮します。


しかし、同じ意志力でも、自分のエゴと結びついた意志力は、たとえそれが結果的に他の人々も助けたとしても、その中身は色も光も匂いも音も感触も、慈悲と結びついた意志力とはまったく違うものです。


この世は玉石混淆ですし、良いものと悪いもの、善と悪が複雑に入り混じっていますから、うわべだけではその真相は判断できませんし、たとえ真相がわかったとしても、善悪の白黒をつけるのは難しいものです。



当時私の心を支配していたのは、大きなマイナスの意志力でした。


下手すると、自分の肉体をも滅ぼしかねない、負の力です。



もちろん、家族のためにも私は働く必要がありましたし、
私には諸々の辛い事情もあったかもしれません。
事実、当時の私はとんでもない被害者意識がありました。

まるで、お金をつくる機械+無償の家政婦+夫の性的相手をするために、
日本からわざわざこの家に自分は来たのではないかと感じたこともあったくらいです。


まったく、馬鹿の上に「超」が10個ぐらいつくシロモノです。


これはもはや、悪魔の考えです。
このとき、私の心には、悪魔が棲みついていたと思います。


ちなみに、自分を「犠牲」にして自分以外の人のために何かをする場合、
それは本当に「慈悲の心」から行っているのか、自問自答してみる
必要があります。

佛陀やイエスキリスト、モーゼ、如来など、自我の非常に小さな方々なら、
時には自分の身体を投げ打って、衆生を助けようとなさいます。
しかし、そのような方々でも自我はゼロではありません。
自我がまったくなくなったら、この世では自分の身体を維持して行くことができなくなってしまいます。


何かの目標、夢、野望の実現、
義務、自分の信条、面子、体裁への固辞、
または、現状からの逸脱、変動に対する恐怖から、
自分の身体を極度に痛めるほど、
何かに頑張って、努力して、しがみついて、へばりついて
こだわっているとしたら、
「自分に対する慈悲」が足りない可能性があります。


自分に対して慈悲が足りない人は、他人に対しても慈悲が足りません。



自分の身体すら慈悲を持ってケアできない者は、他人に慈悲を持って接する余裕もありません。


ですから、当時の私も、自分のことばかり考えていて、
周囲の人の事情を汲み取ろうという心がまったくなかった。

健全な身体に健全な心が宿る、と言います。

自分の体を大切に使い、過度の欲望を持たず、
足ることを知って、規則正しい生活をすること。

あたりまえのことですが、でそれがきないことがある。

特に、強い欲望に心が捉えられると、生活が乱れてくる。

目がぎらぎらと光って、ピロポンを飲んだみたいになる。
(飲んだことありませんが、たぶん)

慈悲心に突き動かされて頑張るのとはまったく違う、
自分を見失った精神状態です。

正しい思考が健康な心身を維持し、
健康な心身が正しい思考や言動を促すのだと思います。

正しい思考とは、まずはブレない思考です。

中道にあって、物事を正しく判断できる思考です。

欲望が沸いても、悪い考えが心をよぎっても、
すぐに針が中心に戻ってくるような、
押さえの利く「正気」の頭です。

自分のやりたいことで頭がいっぱいになって、

前後も左右も見えなくなったら、

針もばねが伸びて中心に戻らなくなり、

周囲の人の心もおもんぱかって、智慧と心を総動員して

できうる限り最適な言動を行おうとすることは、まず無理です。

以前の私がそうでした。

それは、何かおかしな薬を心に飲んでしまったような感じになるのです。


今は多少は正気に戻ったと思うのですが。


それにしてもです。

どうして自分はこんなに忙しいのか?



今忙しいのは、まあ、
やはり収入を得ることで「自由」を維持したいとの気持ちが依然としてあります。
(それよりも、今の生活だけでなく、老後の蓄えを用意しなければならないという現実的な必要性もありますが。)

でも、それだけではありません。

その、それだけではない「何か」を、

私は今、つかみかけているのだと思います。


なぜ仕事をするのか

自分のため、家族のためだけの仕事じゃないでしょう?


なぜ忙しくするのか


忙しくても忘れてはならないものは?


そもそも仕事ってなに?


思いやり

責任

不要な物欲からの離脱

智慧の取得(ちょっとだけだけど)

変動に動じない勇気

自分の限界を認める勇気

感謝の心

そういったものを、学ぶ機会をもらっているのだと思います




(ああ、まだ仕事が!!)
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