こんにちは。

今回は、所有の概念について語ります。

御守り、アクセサリー、鞄や衣服、家や車。

何もかも、物によっては、身に着けておかなければならないと、誤解しておられる方が、世の中には、ほとんどの方がそうだと思います。

さてはて、所有とは?

いわゆる、所持品ですね。

天然石ブレスレットや御守り。

それ以外のあらゆる「もの」です。

ブレスレットだから、腕にはめなくてはならないとか、ほとんどの方がそのように思い、そのようにしている状態ですよね。

そもそも、所有とは、身に着けなくとも所有している状態の事、全ては、自ずと繋がっている。

家に保管していても、所有している。

わざわざ、身に着ける必要は無い。

身に着けなくとも、所有しているのだから。

所有、それは、存在として、その「もの」を所有している。

つまり、身に着けているも同じである。

「もの」に縛らる事無く、所有する。

身に着け続けるは、その「もの」縛られ続けている状態。

存在として、「もの」に縛られ所持されるより、所有者として、「もの」を所持することを認知しておけばよいだけなのですよ。

「もの」に所持されてませんか?

「もの」は所持するもの。

全ては、自由なんです。

身に着けたいときだけ身に着ける自由。

「もの」に縛られ束縛されては、「もの」の本来の効果効能を自身のひとつとすることは、できるのでしょうか?

いかなる「もの」も、全てにおいて、陰と陽があるものです。

「もの」は、欲する「もの」の前に必然と「もの」のほうより、歩みよって訪れます。

欲するとは?

世界(=全て)において、状況、状態、環境、など、さまざまな事象の中で「もの」の方から所有者を選び、そこへ訪れて来ます。

「もの」は物でも無く、者でも無く、さまざまな事象も含め、物で有り、者でも有り、事象もまた、「もの」なんです。

追い求める行為を欲するならば、また、果てしなく追い求めるだけを「もの」として、世界は判断する。

努力するだけを「もの」と判断されてる方も多いです。

所有する「もの」は、保持者であれば良いのです。

保持することで、所有者であることで、全て繋がっている。

繋がっておれば、持っている事になる。

という事です。

身に着ける行為は悪いことではない、けれど、わざわざ、身に着ける行為は、無理して行う必要性は何処にも無いのです。

「もの」は所有しているだけで、全て大丈夫なのですよ。

人間関係もまた、「もの」

ペットもまた、「もの」

自身もまた、「もの」

「もの」が欲する「もの」のもとへ赴く「もの」なんですよ。

身に着けても良い。

身に着けなくとも良い。

所有であれば、常に繋がっているのだから。

自由なのですからね。

「もの」を縛らず、縛られず。

自由であれ。

それでこそ、主人公なのです。