昨日の午後
体調は問題ないし 術後の経過も順調との事で
16時位には歩行に問題なければ尿管を外せるとの事で
いつでも直ぐに動ける様に
術後問題ない範囲で ベッドの頭部分を起こして
なるべく頭が上にある状態を維持していた。
ずっと寝てると 人間て不思議だけど
多分寝転がっている状態に慣れてしまうんだと思う。
だから もし動けるのなら
私は動いた方が良いと思う。
動くと言っても歩き回るとかではなくて
今の自分ができる範囲でって事
歩行に問題なしとの事で
いよいよ先生からの術後の話
怖すぎる
先生曰く
当初予定したものではないところに
一つ見つかり、それは悪性のガンとの事
それは はっきりとは確定していないけど
卵巣の時のものに似ている
でももしかしたら肺からのものか、
はたまた新しいものかは
数週間しないとわからないとの事
何か質問ありますか
と言われたけど
私には
A
いずれにせよ抗がん剤治療で治るか治らないかは
やってみないとわからない
↓
B
どんどん具合悪くなって親に面倒かけるのは申し訳ないから
だったら治療しないで最後を迎えたい
↓
の場合
C
どんな風に具合が悪くなっていくのかも
きっとその人次第だろうから
仕事を辞める方向でできるとこまでやっていくか?で
でも周りに告知したくないから、
私がこんなに一生懸命やってるのにって
負の感情を持つのには抵抗があるし
残りの人生勿体無い
D
お客様への告知などまたしなくてはいけないし
申し訳ないなって
ここまでで大分凹んで
その後急激な眠気と敗北感?で
ひたすら寝た。
気力が落ちた。
次の日、つまり今日
来なくて良いですと言っていたのに(来たとてする事ないし)母が面会に来た
とりあえず伝えることは伝えた
母は比較的 東洋医学とか代替治療というか 自然を信じるというか民間療法というか
ともすると少し危険な香りの漂う思想をもっているので
までも、こういうので治った人いるしー
とりあえず早くに見つかって良かったじゃないー
とかなりフラットだったのでありがたい。
その後に
ちょっとベテラン風の看護師さんが
昨日の先生の話で何か質問とかある?
と聞いてくれて、
先生にも言ったけど
はっきりとは未だ確定していない状態で言われてもだし、
抗がん剤治療はする方向では考えていないと伝えているし
私からすると
先生の説明を聞いた限りだと
私にとっては
余命宣告とほぼ変わらないから
質問があるとしたら
治療をしなかったらどうやって具合が悪くなっていくのか によって仕事を辞めるとか動いていく必要があるから
でも多分先生も 人によって個人差があるからわからないってなるだろうし。
とにかく私も50を過ぎて両親は80以上で、本来私が面倒見るべきなのに
また2人に面倒かけるのが忍びないというか
申し訳なさすぎで
だったら一生懸命生きてスッと世を去れる選択をしたいと。
ホロリと涙が出てしまい
そっか頑張って溜め込んでたんだね
私達には吐き出していいよ
って言ってくれた
私は美容師で、こういう私には何もしてあげられない話を沢山聞いてきて
でも、何も出来ないし そうだねって聞いてるのも凄く辛くて凹んで
少なくても
やる気に満ちるとは言えないから
だから知ったところでの人にわざわざ嫌なというかマイナスの事を伝えるのを
しない様にしてきてて
それが溜め込んでるって事なのかもだけど
とりあえず
泣いて
話したら大分楽になったのは確かかも。
でその後に考えたのが
↓
E
東出君みたいに山に入っての生活していきたいなって
↓
F
仕事は充分一生懸命やってきた。覚悟しながらやってきた。お客様を出来なくなるのはとても残念だけど
荒井ゆうすけさんのブッシュクラフトの講習会に参加しよう! いよいよ参加出来るじゃん!
とまで考えられる様になった。
人生は100%自分が望んだ通りになってる
ってとある本に書いてあった
鹿の解体を出来るようになるとは思えない
魚さえも捌けないし
でもマタギさんの様な生活には凄い憧れがある。
自然と共の生活
自然を感じれる生活
明日は退院予定
お家に残してきた
メダカと緑達と会える。
両親と看護師さんに感謝の日