私の周りには富士登山🗻をした事ある人か結構います。
でも、私は、富士登山には縁がないなぁと思っていました。
人が富士山に登った話を聞くと自分も登ってみたいと思ったりするもので、
ある時、友人に
私「私も、富士山に登ってみたい」と言ったところ、
友人A「でも、普段、あまり登山しない人がいきなり富士山に登るのは危険かもしれないから、まずは、体力作りした方がいいよ」
友人A「まずは、高尾山からだね!」
友人B「高尾山は山じゃないけどね!」
とそんな会話した思い出がありますが、それ以来、高尾山にも行ってないし、富士山にも登ってません。
時が経って私が、富士登山に縁がない理由がわかりました。私は、富士山に登る人ではなかった。
富士山は聖山、聖なる山、聖なる場所、神様のいる所、だから、人が土足で足を踏み入れる場所ではないという事がわかりました。
でも人によっては許されてる人もいる…..だけど、本来は登る山ではないのだと思います。
日本人にとって富士山は特別な山なのです。
山を登るという事はその山を征服という意味合いもあると思います。富士山は征服する山ではないと思います。
富士山を征服するなんて以ての外だと思います。
富士山の美しさは登ってしまってはわからない。富士山の美しさは遠くから観てわかるもの。
私にとって富士山は、遠くから崇める山なんです。
天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を
天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず
白雲も い行きはばかり 時じくそ
雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ 行かむ 不尽の高嶺は
反 歌
田子の浦ゆ うち出て見れば 真白にこそ 不尽の高嶺に 雪は降りける
山部赤人