東北で地震が起きた。


それも最大級の地震だ。


その時自分は関西にいて、さらには電車の中だったため気付きもしなかった。


会社に帰ると支店内は大騒ぎだ。


その時、自分は『どうやらすごい地震が起こったらしい。』程度の認識で、あとは自分の仕事に没頭した。

後々になってネットで津波や石油コンビナート火災の映像が流れはじめ、みんなでパソコンの前に張り付いた。


画面から流れて来る映像には現実感がなく、映画のワンシーンのようだった。


そして真っ先に心配したのは『明日、九州に向かう予定があるんだが、山陽新幹線は動くかな?』だった…


自分が嫌になる…



もっと先に考えるべきことは山ほどあるだろうに。



仙台の爆発した製油所には友人が勤務している。



関東方面にも多くの友人、知り合いがいる。



知り合いではないが東北、関東地方では多くの人が亡くなり、多くの人が助けを求めており、免れたとしても多くの非難生活に苦しむ人がいることは容易に想像できただろうに……



それでも結局、自分の第一の感想は、自分の下らない心配事だった。



友人の安否確認よりも先に、電車の運行状況の確認を行った。



やはり自分という人間は自分の事を第一にしか考えられないのだろう。



いくら頭で否定しようが、事実は曲げられない。




自分の本質的な部分がしっかりと見えてしまった瞬間だ。



否定できない。薄っぺらな自分。
パソコンの電源を落として二日。

とりあえず、欲求は抑えられている。

仕事が忙しく、二日で3時間しか寝れないような状態だったのが幸いした(やっぱ幸いではないかな…)。


そんなボロボロの状態でも、とりあえずパソコンの電源を入れいという欲望は沸き上がってくるもんで…


今日は比較的早く帰っているので、欲求との戦いは大変そうだ。


まずは一週間乗り切ることが大切やな。
休養を経て会社に復帰してから一ヶ月が経過した。


未だに、まともに出勤を続けることができない。


復帰を急ぎ過ぎたのか?


違うな。


甘えることに慣れてしまったんだろう。


このままの状態を続けていると、行き着く先はわかりきっている…


ならどうする?


決まっている。


自分に厳しく、欲求を抑えるしかない。


会社を休む間に繋がったネットの世界。



勿論、それまでもネットはやっていたが自分の中では単なる娯楽であり、情報を得るツールに過ぎなかった。


それが、家に閉じこもるようになってからは『自分と繋がった』という表現が一番しっくりくる状態になった…

そして、その世界の繋がりに依存してしまっている自分…

その中にいることが幸福な時間となってしまい、つい長く留まってしまう。

そして現実世界への責任感が疎かになっている。


まずは、これを切り離さなければならない。


本来はバランスを保ちつつ生活するのがいいのだろう。

しかし、今の自分には、そのオン/オフが上手くできない。


ならば、一気にぶった切るしかない。


ネットの繋がりは、全て顔も知らない、本名も知らない、正確な所在地も知らないものばかりだ。


相手からすれば自分が生きているのか死んでいるのかは文字でしか伝わらない。

だから最後に文字だけは残して去ろう。


もしかしたら、いるかもしれない少しでも心配してくれる人の為に…