高知旅行で高知城まで歩いていたときに救急車が通りました。サイレンの音が近づいてきたとき、一瞬にして昨年の記憶が呼び起されました。

在宅看護で過ごすことに限界を感じた姉が自ら緩和ケアへの入院を希望したので、病院に電話すると救急車で来るように言われて、てっきり介護タクシーで行くと思っていたので驚きました。

母もホスピスに入院したけど、その時は介護タクシーですらなく普通のタクシーを呼んで行ったので、姉の状態を鑑みてそのような指示になったのか理由はよくわかりません。

救急車は突発的な事態の場合に呼ぶものだと思っていたので、119に電話して「どうしましたか?」という質問にどのように説明したら良いのか一瞬とまどったのを覚えています。病院に指示された旨を説明するとすぐに来てくれて、てきぱきと対応してくれてあっという間に乗せてくれました。

緊急搬送というわけではないのにサイレンを鳴らして走ってくれることに申し訳なく思うと同時に、隣に横たわっている姉を見てこの状況が現実のこととは思えず、サイレンの音によって非現実味が一層増すような、夢を見ているようなそんな感覚に陥りました。

病院に行くことはわかっているけど「一体どこに向かっているんだろう」という気持ちに襲われた。

姉が生きて家に戻ってくることはもうない、姉との最後のドライブ。こんな悲しい道程があるのかと思いながら乗っていました。

 


高知で救急車のサイレンを聞いたとき、そのときの気持ちが一瞬にしてよみがえり涙が出ました。1年経った今でもこんな風に泣けてしまう自分に驚きました。

救急車に乗る事情はもちろん人それぞれだと思うけど、何かしら大変なことが起きていることは確かだろうから、どんな悲しい思いを乗せて走っているんだろう。乗っている人が回復しますようにと願いながら走り去る姿を見送りました。