金八先生 | 子育てというボランティア

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こういう先生、本当はいない。ドラマの中だけにしかいないんだと思う。
思春期の子ども達を我が子に持つと、こういう先生がいたらなとよく思いました。
でも、熱い教師が疎まれた時代があり、今は、少しの触れ合いが、セクハラだ暴力だプライベートに踏み込むなと言われて当たり前。
熱血=暴力ではない。本当の金八先生は、心があったかいんだと思う。
暴力と叱ることは別物です。感情に任せて子供を殴ったり叩くことは許されません。
ただ、手をあげず諭すことはできると思います。
子どもの操縦の指南書の様な事を、保護者会で他学年の先生が言っていたが
見守ることは大事だが、腫物を触るような扱いはどうかと思う。
時には、自分の経験を話し、どうするべきか、親の考えられる選択肢を与え
そしてその選択、もしくは第3の選択肢を本人が導き出せるような会話を
常に子供とできる事が大事だと思う。それには時間が必要で。
でも、今の時代、母親は仕事やパートに忙しくて、
そこをお金にかえてしまっている。
内申の為にいじめをやめる子はいても、本当に友達に招き入れる子はいない。
誰でも面倒事を抱えるのは嫌なのである。
教師でさえ生徒とできるだけ関わらず、無難に流せたらと思う人も多い。
それはそれで、大人の対応だろうけど。
熱血教師は疎ましいかもしれないけど、それは情熱の出し方が
時代にあっているかどうかだけで、本来情熱が無ければ子ども達はついてこない。

 

 

 
 
 
 
 
人として
 
遠くまで見える道で  君の手を握りしめた
手渡す言葉も  何もないけど
思いのままに生きられず
心に石の礫(つぶて)なげて
自分を苦しめた  愚かさに気付く
私は悲しみ繰り返す  そうだ人なんだ

  人として人と出会い  人として人に迷い
  人として人に傷つき  人として人と別れて
  それでも人しか、愛せない

夢を語り合えばいつも  言葉はすぐに途切れてしまう
ひざを抱えて  うつむくことばかり
鳥のように生きたいと
夕空見上げて佇(たたず)むけれど
翼は愚かな  あこがれと気付く
私は大地に影おとし  歩く人なんだ

  人として人と出会い  人として人に迷い
  人として人に傷つき  人として人と別れて
  それでも人しか、愛せない

  それでも人しか  愛せない