souyou*koto
日常の些細なことから モヤモヤしてることまで
気持ちの吐き出しに使ってます。
見ていただけた方に何かしら反応いただけた時は
本当に嬉しく思います。

宜しくお願い致します。
Amebaでブログを始めよう!

娘がいなかったら、と考えてしまう

止まらない止まらない
どうしよう

離れたい

可愛いの感情より
自由が欲しい


こんなのはみんな誰もが
思うことなんじゃないのと思うけど、
なぜか私の周りには子供と旦那第一!
みたいな人が多くて…

子供が負担、ってそんな異質かな?

また書こうと思ったのは

やっぱり吐き出したいものが
容量オーバーしてきたからです…

元々明るい幼少期を過ごしてきた、とは
とても言えない幼少期から、
今もそう変わらずぐるぐるしていますね…

真面目に一生懸命、
これが私にはピッタリと言えるかと(笑)
よくある真面目で損するタイプ。
人と関わることが極端に苦手で
小学校では陰湿ないじめもありました。
父も厳しく、母は父の言いなり、
まぁよくある一昔前の家庭でした。

あるあるですが いじめも、
人を信頼する気持ちをなくすくらいには
色々ありました。


将来も父が認める仕事以外は仕事じゃない、
学校もしかり。
テストも80点を見せた場合は
「はぁ…え?これは良いの?」でした。
 
結婚も、
しないなんて選択肢は許されませんでした。
父が納得するような人を基準に決めた。
子供を産まないという選択肢も大批判。
これは主人からもですが。

産まれたら産まれたで協力しない主人。
俺は仕事で疲れてるから、とまぁ典型的かな。


一生懸命育てました。
真面目に、一生懸命。
しばらくすると、仕事はしないの?というので
週末だけ私の実家に子供をお願いして
仕事に出始めました。

当時、新築を目指して
私の実家に間借りしていたので、
そのまま実家にお願いできましたが、
主人から両親には何のお礼もないままです。


まだ1才だった子供を週末だけ預け、
まだ本当は全然余裕のない中、
少し仕事にもなれてきた矢先。


子供は亡くなりました。


当時、新築計画を既に進めていたため
あれよあれよと いう間に家が建ちました。

子供と過ごした実家を離れ、
周りに誰も知り合いのいない土地へ。
主人は夜勤もあり一軒家で一人過ごす夜は
月の半分ほど。
生きていたら子供と暮らすつもりで建てた家。


それでも新たにパートを見つけ、
一生懸命、必死で、過ごしていました。

法事や日常で会う多くの人から、
「まだ若いんだから次がある」
「また子供ができたらさ」

義母からは会う度に
「子供がなくなったのは)仕方ない…」
「仕方ない、うん、仕方ないものね!」
「もう涙が出てきちゃう」
「写真見てるのも辛いわぁ」

そんな言葉が行き交う2年がありました。


ある何気ない主人との会話の中、
主人も何度となくこう言いました。
「俺は、俺はやけど、
    やっぱり子供は欲しい。
     このままおらんのは、ちょっと…」




子供は私の運転する車での事故で
亡くなりました。
当時、車の周辺には実母が。
子供と主人が一緒に食事をとっていました。

私は仕事の都合で荷物を乗せて家を出ようと
したその時。


その敬意を経ての、
その2年でした。

私は私を、
自分を罪を償うための子供生産機、と
感じるようになりました。
側で見ていた実母と、
一緒にいたはずの主人を責めたことは
7年経った今も一度もありません。
代わりに
主人とは一緒に暮らせなくなりました。
実母とは喧嘩が耐えません。


そんな中、ご要望通り二人目が生まれ
今、育てていますが、
似すぎていて
一年間は寝顔が死体に見えていました。

可愛い、と心から思えたのは
2才を過ぎてからでした。

別居を始めて2年半。
子供はもうすぐ5才。
今もなお、月3回程度会いに来る主人は
子供のやりたいことに誘っても
「俺は待ってるよ。花粉ひどいし。」

子供は
「えー!行かないの?
    一緒に行きたかったのに」と言ってました。


離婚も考えますが、
亡くなった子供のことがあるので
これを決めていくのがまぁなかなか難しい。

考えすぎて逃げ出したい。




はじめまして。

以前書いていたblogを消して、
心機一転、
でもマイペースに行きたいと思います。

たまたまでも見ていただいた方、
ありがとうございます!

基本頭の中を整理するためのものですので
暗い話、重い話、脈略のない話のことも
多いかと思いますが、
どなたかに見ていただいたり
何か伝わるものがあったりしたら、
非常に嬉しく思います!