3月11日は『憶う』日。


今年は元日に能登で震災があったので、今までとはまた違った思いがします。

もちろん2017年からは熊本で被災された方々を、2019年からは熊本と北海道の胆振東部地震で被災された方々も思い、追悼の気持ちを新たにしていますが。

能登の光景はあまりにも2011年と酷似していて。

改めて防災を考えねば、と痛感しています。



今日はたまたま外出の予定がありました。

風はまだ冷たいけれど、陽の光には僅かに暖かさを含んでいて。

春が待ち遠しく感じられる日でした。


歩いてて、ふと思い出しました。

震災の翌日もお天気だったなぁ…と。

ライフラインが全て途絶えて。

何が起きたのか、これからどうなるのか分からない中で、近隣の状況把握のため1日中歩き周りました。

不安な気持ちに潰されそうになりながら、黙々と歩いたあの日。

思い起こせば、車もあまり通ってなかったように思います。

聞こえる音といえば、風の音、鳥の声。

どこかの御婦人方がお互いに無事を確認し合う声。

人工の音はほぼなく。

前日にあんな災害が起きたなんて信じられないほどに、麗らかな春の日。

歩きながら、涙が出ました。



3月11日は震災に関連するTV番組がありますが、いつも不満なのは取り上げる場所が偏っていること。

我が祖父母の家は宮城県南部の沿岸部にあり、津波で跡形も無くなってしまいました。

親戚も亡くなりました。

大きな被害があったのですが、TVで映像を見たことはあまりなく。

なぜ同じ場所しか取り上げられないのかな、とずっと疑問に思っています。

「南三陸とか石巻とか、北の方しか取り上げられないのは、それだけ被害が甚大だったんだよ。

祖父ちゃんち一帯の被害も大変なものだけど、きっと北の方に比べればマシだったのかもしれないよ。」

と家族で話していますが、何の慰めにもならず。

各メディアが同じ場所に押し寄せる現状は変えてほしいです。



あの日から年齢も経て、体調も崩して。

また来るであろう災害にどう備えるか。

きっと想定を超える事態になる。

自分で考えつく備えなんて何の役にも立たないかもしれないけれど、せめて想定できる範囲は備えておきたい。


災害は、必ず来る。

いつか必ず来る。

そう肝に銘じて。



2024年3月11日