今月15日から実家に帰って来ました。
本来は1週間程度の帰省の予定だったのですが、結局2週間に延びて今日東京へと戻って来ました。
もちろん、わざとに延ばしたわけではなく、理由があったのです。
24日に大学の卒業式もあったのですが、とてもそれどころじゃなくて、残念ながら参加できませんでした。
実家にいる間、おそらく今までの人生の中で一番ショックだったことがありました。
15日、昼過ぎに向こうに着いて、父親に駅まで迎えに来てもらいました。
実家に向かう車中、親から一番下の弟が学校に行かずにどこか脱走したと聞かされました。
我が家は知っている人もいるとは思いますが、男4人兄弟で自分は一番上の長男です。
その一番下は高校1年生で、一番下も含め、弟全員が自分と同じ高校に通っています。
その弟がなぜか朝家を出たっきり行方が掴めなくなったというのです。
その日は高校の卒業式の日で、弟も部活の先輩の三送会のために準備していたはずなのに…。
どうせお腹が減れば帰ってくるだろうし、家に帰ってきたら叱っておかなくっちゃなぁなんて話をしながら実家に到着。
とりあえずご飯を食べたり荷物を出したりして少しのんびりしながら弟のケータイにも何度かコール。
電源が切れていてつながらず、あのヤローと思いながら3回目のとき。
今まで電源の入ってなかったケータイがつながりました。
が、声が弟じゃない。
誰だろうと思って話をすると警察でした。
嫌な予感がする…。
「あ、○○君のご家族の方ですか?」
「はい、兄ですが。」
「実はですね、○○君は今△△病院にいます。これから(救急救命センターのある)□□病院に向かうかもしれません。」
「何があったんですか?」
「実は、○○君がマンションから飛び降りまして、今病院で処置を受けているところです。5階から飛んだので、かなりの怪我です。」
「わかりました、とにかくそちらに向かいます。△△病院でいいですか?」
「はい、とりあえずそちらで。」
「わかりました。ありがとうございました。」
え、ちょっと待てよ…。
ちょうどとなりにいた母親に事情を説明しながらも、自分でも心臓がどきどきしていて、胸が苦しいのが分かる。
ちょうど同時に家の方にも警察署から電話がかかってきて、そちらは父親が応対。
自分の電話と父親の電話である程度事情は分かったので、とりあえず自分は母親を乗せて病院まで車で行くことに。父親は警察へ。
車中、母親と大丈夫だよねと話しながらも、5階以上だと命が助かるかどうか瀬戸際のところだと以前聞いたことを思い出し、助かる確率は五分五分だなぁと考えている自分がいました。
それでも、弟のことだから大丈夫だと信じながら。
病院に到着し、看護師さんに処置室へ連れて行かれました。
まず目に入ったのはベッドに横たわる弟と、心電図のモニター。
モニターを横目で見てみると、動きがない。
まさか…。
手遅れでした。
医者が話し始めました。
「先ほど、10分ほど前に蘇生措置を中止させて頂きました。病院に運ばれてから蘇生処置をしましたが、心停止から回復せず、脳圧も下がったままでしたので、先ほど終了させて頂きました。」
「飛び降りたときのショックで心臓の位置がずれて、肺に穴が開いてしまっています。あとは大腿骨の骨折です。」
半目で無言でベッドに横たわる弟。
泣き崩れる母親。
うそだろ…。
しばらく無言で立ち尽くしました。
「親父と上の弟に電話してくる。」
母親を処置室に残し、そう言って一旦病院の外に出てケータイを取り出しました。
手が震えていました。
父親に電話したら警察署を出てちょうど病院に到着したところでした。
駐車場に車を置いてきた父親をエントランスで合流。
「どうだ!?」
と父親。
「さっき医者から説明があって、つい10分ほど前に蘇生措置を終了させてもらった、って。」
「命は助かる程度の怪我じゃなかったのか!?」
「いや、ダメだったみたい。」
そう言った瞬間、父親の顔から血の気が引いたのが分かりました。
そして父親を処置室へと連れて行きました。
泣き崩れる母親。
立ち尽くす父親。
無言の時間が流れました。
「おかん見ていてくれ。上の弟迎えに行ってくる。」
自分と同じく東京にいる次男坊には待機指令を出していたのですが、急いで実家へ向かうように指示し、卒業祝いを中断して待機させていた三男坊(今年度の卒業生)を駅へと迎えに行きました。
三男坊を連れ、病院へと戻りました。
泣いている両親とうなだれる弟。
「あのヤロー、武士の誇りを忘れやがって…。」
と自分。
しばらくは現実から離れていたような気がしました…。
どれぐらい時間が経ったでしょうか。
葬儀会社の車が病院に到着し、家に帰ることになりました。
家に着いてから部屋を空け、亡くなった弟を寝かせ、その他諸々終わらせてひと段落したところで自分は夕飯の買出しに。
騒ぎを聞きつけた町内の親戚が来ていました。
その日は本当に時間の感覚が無かった。
気がつけば、もう夜になっていました。
夜になってから、東京から呼び戻した弟を駅まで迎えに行きました。
車内での会話すら覚えていません。
明かりの落ちた田舎道を家へと向かいます。
家に到着し、家族全員が揃いました。
一番下の弟の死で家族全員が揃うという皮肉。
3月15日。
この日を自分は一生忘れることは出来ないでしょう。