はい、ものすごくお久しぶりです…。

放置し過ぎです!


ここのところ、かなりハードスケジュールでブログにまで手が回りませんでした。(言い訳)


まぁ今日は久しぶりの更新なので、近況報告でも。

今春から社会人としてスタートを切り、某IT系企業で働いています。

業務改善に携わるソフトとそれに付随するコンサルティングサービスを提供している会社です。


で、僕の業務はコンサルティングとアフターサポート。

ソフトの導入から顧客のファン化に至るまでのプロセスを担当します。

まだまだ経験が浅く、たいしたことは出来ていないのですが…。


それでも、任される業務は多岐に亘り、普通の企業に勤めている新人の人たちよりも充実しているのかな。

その代わり、ものすごいスピードで成長していくことが求めれています。

実際、頭では分かっているんだけれど、なかなか実力が追いつかないのが、悩みのタネですね。



まぁ、そんなんで元気にやっています。


弟の件は、やっぱりショックだったし、今後も背負って生きていかなくちゃならないんだろうけれど、絶対に後ろは向きません。

常にポジティブに突き進んでいきます。

ここのところ、仕事が忙しくてなかなか更新できませんでした。

今日は夕方から雨。

帰宅途中に傘を持っていなかった僕は、雨に打たれながら歩いて帰りました。


ふと、なんとも言えない気持ちに。



今日の昼間講演を聞いたときに、オリエンタルランドの話が出ました。

ある夫婦はやっとの思いで授かったお子さんを流産で亡くされたそうです。


そして、数年後、その子の命日にディズニーランドに行かれたそうです。

もし、お子さんが生まれていて、育っていたならば一緒に行ったであろうディズニーランドに。


夫婦二人でアトラクションをまわり、昼食時にあるレストランに入りました。

そこのメニューにはお子様ランチがあったそうです。

メニューには「5歳以下のお子様限定」と書いてありました。

その夫婦は子供と一緒だったら食べさせていたのになと思い、自分たちもどんな味がするのか食べてみたくなりました。

が、メニューには「5歳以下のお子様限定」と書いてあります。

思い悩んだ末に、レストランの店員に全ての事情を話しました。

その話を聞いた店員は店の奥へと消えていきました。

しばらくした後、「お客様、3名様ですね。奥のお席へどうぞ。」

夫婦は奥の席へと通されました。


奥の席にはテーブルにイスが2つ、子供用のイスが1つ、3名分の席が用意されていました。

そしてお子様ランチが運ばれてきて、店のスタッフからハッピーバースデーの唄のプレゼントが。

夫婦は大いに感動したそうです。

これは、お客様へのサービスというテーマでの講演の中で取り上げられた話です。

ですが、僕自身、ちょっと目が潤んでいました。

もし、弟が死んでいなければ、もっといろいろなところへ連れて行ってあげたし、入学祝いとかもあげられたのにな、って。



家族の死から早や1ヶ月が過ぎました。

やっぱり残念ですね。

でももう、気持ちは切り替えて、前に向かってひたむきに仕事に取り組んでいます。

つらいことがあっても、あのときに比べれば、たいしたことじゃあない。


我が茨の道をひた進みます。

今日は東京も良い天気!

いいですねー。

桜も咲いて、春って感じで。

ちょっと寒いけれど、スプリングコートを羽織って出かけるのが気持ちいい!

明日も良い天気みたいですね。



先日の日記は真実です。

紛れもなく、現実に起こったことです。

3月15日から翌日。

その日は朝からお参りに来てくださる人が多くて、何かと大変でした。

みんな泣いているんですよね、やっぱり。

自分は弟が亡くなったことよりも、身近な人が泣いているのを見ることが辛かった。

自分自身は弟が亡くなってから一度も泣いていません。

5年ほど前、うちの父親が交通事故を起こし重症を負ったことがありました。

その頃からでしょうか。

悲しみという感情は、自分の中で捨ててしまいました。

もちろん完全に捨て去ったわけではありませんが…。

自分は四人兄弟の長男です。

そして実家では商売をしてます。

家で何かトラブルがあったときは、まず自分が一番冷静でいなくてはなりません。

仕事は絶対に止められません。

田舎は未だに家社会、男社会なので、長男は出るとこ出なくてはなりません。

悲しんでいる間にも、しなければいけないことは次から次へとやってきます。

こういうときに感情なんて邪魔なだけ。

そんなわけで、自分の中に「悲しみ」なんてわずかしかないのです。

お寺や葬儀場の都合で、お通夜が19日、葬儀が20日になりました。

19日のお通夜は総勢340名もの方々が参列して下さいました。

まさかこんなにたくさんの人が見送りに来て下さるなんて、身内の人間は誰も思っていませんでした。

生きた証、とでもいうのでしょうか。

ああ、これだけたくさんの人に支えられて生きていたんだなと。

幸せ者だったな、弟よ。

なんで生きているうちに気づかなかったのかな。

たくさんの人が泣いていました。

たくさんの人が衝撃を受けていました。

たくさんの人が手を合わせてくれました。

これがお前への最後の手向けだよ。

通夜、葬儀も無事に終わってもなお、お参りに来てくれる人が後を絶ちませんでした。

あの日から2週間。

生活もだいぶ平穏を取り戻してきました。

けれども、今でも、あの日のことが蘇ります。

電話を受けたときの胸騒ぎ。

病院での光景。

棺桶に収まった姿。

火葬場での最後の別れ。

さようなら、我が愛する弟よ。

今月15日から実家に帰って来ました。

本来は1週間程度の帰省の予定だったのですが、結局2週間に延びて今日東京へと戻って来ました。

もちろん、わざとに延ばしたわけではなく、理由があったのです。

24日に大学の卒業式もあったのですが、とてもそれどころじゃなくて、残念ながら参加できませんでした。



実家にいる間、おそらく今までの人生の中で一番ショックだったことがありました。

15日、昼過ぎに向こうに着いて、父親に駅まで迎えに来てもらいました。

実家に向かう車中、親から一番下の弟が学校に行かずにどこか脱走したと聞かされました。

我が家は知っている人もいるとは思いますが、男4人兄弟で自分は一番上の長男です。

その一番下は高校1年生で、一番下も含め、弟全員が自分と同じ高校に通っています。

その弟がなぜか朝家を出たっきり行方が掴めなくなったというのです。

その日は高校の卒業式の日で、弟も部活の先輩の三送会のために準備していたはずなのに…。

どうせお腹が減れば帰ってくるだろうし、家に帰ってきたら叱っておかなくっちゃなぁなんて話をしながら実家に到着。

とりあえずご飯を食べたり荷物を出したりして少しのんびりしながら弟のケータイにも何度かコール。

電源が切れていてつながらず、あのヤローと思いながら3回目のとき。

今まで電源の入ってなかったケータイがつながりました。

が、声が弟じゃない。

誰だろうと思って話をすると警察でした。

嫌な予感がする…。

「あ、○○君のご家族の方ですか?」

「はい、兄ですが。」

「実はですね、○○君は今△△病院にいます。これから(救急救命センターのある)□□病院に向かうかもしれません。」

「何があったんですか?」

「実は、○○君がマンションから飛び降りまして、今病院で処置を受けているところです。5階から飛んだので、かなりの怪我です。」

「わかりました、とにかくそちらに向かいます。△△病院でいいですか?」

「はい、とりあえずそちらで。」

「わかりました。ありがとうございました。」

え、ちょっと待てよ…。

ちょうどとなりにいた母親に事情を説明しながらも、自分でも心臓がどきどきしていて、胸が苦しいのが分かる。

ちょうど同時に家の方にも警察署から電話がかかってきて、そちらは父親が応対。

自分の電話と父親の電話である程度事情は分かったので、とりあえず自分は母親を乗せて病院まで車で行くことに。父親は警察へ。

車中、母親と大丈夫だよねと話しながらも、5階以上だと命が助かるかどうか瀬戸際のところだと以前聞いたことを思い出し、助かる確率は五分五分だなぁと考えている自分がいました。

それでも、弟のことだから大丈夫だと信じながら。

病院に到着し、看護師さんに処置室へ連れて行かれました。

まず目に入ったのはベッドに横たわる弟と、心電図のモニター。

モニターを横目で見てみると、動きがない。

まさか…。

手遅れでした。

医者が話し始めました。

「先ほど、10分ほど前に蘇生措置を中止させて頂きました。病院に運ばれてから蘇生処置をしましたが、心停止から回復せず、脳圧も下がったままでしたので、先ほど終了させて頂きました。」

「飛び降りたときのショックで心臓の位置がずれて、肺に穴が開いてしまっています。あとは大腿骨の骨折です。」

半目で無言でベッドに横たわる弟。

泣き崩れる母親。

うそだろ…。

しばらく無言で立ち尽くしました。

「親父と上の弟に電話してくる。」

母親を処置室に残し、そう言って一旦病院の外に出てケータイを取り出しました。

手が震えていました。

父親に電話したら警察署を出てちょうど病院に到着したところでした。

駐車場に車を置いてきた父親をエントランスで合流。

「どうだ!?」

と父親。

「さっき医者から説明があって、つい10分ほど前に蘇生措置を終了させてもらった、って。」

「命は助かる程度の怪我じゃなかったのか!?」

「いや、ダメだったみたい。」

そう言った瞬間、父親の顔から血の気が引いたのが分かりました。

そして父親を処置室へと連れて行きました。

泣き崩れる母親。

立ち尽くす父親。

無言の時間が流れました。

「おかん見ていてくれ。上の弟迎えに行ってくる。」

自分と同じく東京にいる次男坊には待機指令を出していたのですが、急いで実家へ向かうように指示し、卒業祝いを中断して待機させていた三男坊(今年度の卒業生)を駅へと迎えに行きました。

三男坊を連れ、病院へと戻りました。

泣いている両親とうなだれる弟。

「あのヤロー、武士の誇りを忘れやがって…。」

と自分。

しばらくは現実から離れていたような気がしました…。

どれぐらい時間が経ったでしょうか。

葬儀会社の車が病院に到着し、家に帰ることになりました。

家に着いてから部屋を空け、亡くなった弟を寝かせ、その他諸々終わらせてひと段落したところで自分は夕飯の買出しに。

騒ぎを聞きつけた町内の親戚が来ていました。

その日は本当に時間の感覚が無かった。

気がつけば、もう夜になっていました。

夜になってから、東京から呼び戻した弟を駅まで迎えに行きました。

車内での会話すら覚えていません。

明かりの落ちた田舎道を家へと向かいます。

家に到着し、家族全員が揃いました。

一番下の弟の死で家族全員が揃うという皮肉。

3月15日。

この日を自分は一生忘れることは出来ないでしょう。

今日は少々肌寒かったものの、季節はもう春ですね。

先日は陽気に誘われて近所をお散歩。



椿が咲いていました。

ちなみに雪椿は新潟県の県の花。

ちょっと懐かしいですね。



先日のブログにも書きましたが、相方とピリオドを打つことにしました。

あちらはまだ未練が残っているみたいですが…。

先週、東京にも押しかけてきました。

家に帰ると相方がいて、まぁいろいろありましたが。

実は自分もちょっぴり未練あります。

でも、このままずるずるといってしまうのがすごくイヤで…。


もうこれで終わりにしよう。


昨夜、1年半付き合った彼女と別れの電話をしました。


振られたことはあっても、自分から振ったのは人生初です。


しばらく前から、このままずるずると付き合っていてはいけないんじゃないか、ってすごく悩んでいました。

もはや彼女に対する想いが冷めていることにも気づいていました。

そして、彼女のことを、支えきれなくなってしまったのも事実です。


ここ数日にわたって彼女と話し合いましたが、結局話は平行線。

おそらく、彼女はかなり取り乱した状態だったと思います。

泣く、わめく、脅す…。

最後の最後に泥沼化してしまいました。


もう手の施しようが無い状態だったので、こちらの意向を伝えるだけ伝えて電話を切りました。

その後も電話がかかってきたり、メールが来たりして、逆ギレされ、脅され…と今日に至ります。


最後ぐらいは平穏に別れたかった、というのはわがままでしょうか?


よく彼女のことを相談していた女友達には

「中途半端なやさしさは相手を傷つけるだけだよ。別れるなら心を鬼にして突き放さなくちゃだめ。」

と言われてしまいました。

出来ることならこんなことはしたくなかった…。

ごめんね。


いやー、ここのところずっとバタバタ していてなかなか更新出来ませんでした。ごめんなさい。

2月に入ってからも忙しさは相変わらず、仕事はあるわ、バイトはあるは、あれこれ用事は入るわで…。


そして今週の水曜から急遽韓国にも行くことになり…。

とりあえずチケットは問い合わせだけ片っ端から入れて、明日の朝に予約入れないと結構厳しいかも。

料金や時間を気にしないのであれば、1日前とかでもオッケーなのですが、さすがに、予算にも限りがあるし、強行日程だから時間は限られているし。

なんとかうまく取れるといいなぁ。


1年半ぶりの韓国。楽しんできます!


今日も引き続き、東京フレンズ鑑賞。

そんなわけで今日も徒然です。

あのドラマ、自分に重なるところがあって、なんか考えさせられるんですよね。


東京に出て来て、早や4年。

僕ももう22歳です。

何か得ることが出来たかな。

何か残せたのかな。


あの頃憧れていた自分になっているのかな。


憧れはあっても、本当は何もないんです。

本当はちっぽけなんです。

本当は背伸びして誤魔化して、大きく見せてるんです。


でも、それでも、根っこは張れたのかな。


次の休みは、海に行こう。

海を見よう。




ここしばらくPCの調子が悪くてまったくPC作業出来ませんでした。

もうそろそろ我が家のPCも寿命かなぁと。

それで思い切って買い換えてしまいました。

今度のPCはそれなりにハイスペック、TV付きです♪

ただ、キーボードのタッチの感覚にまだ慣れていないのでミスタイプが結構多いですが…。



さて、そんなおニューPCで早速ドラマ鑑賞。

タイトルの「一番最初に描いた夢を、あなたは今も覚えていますか?」

東京フレンズというドラマの中の台詞なのですが、見ていて胸にガツンときました。


自分が東京に出てきたときはどんなだったかな…。

田舎から東京に出てきて、夢や希望、不安、いろんな感情を抱いて。


人ごみ。

喧騒。

駅のホーム。

街行く人、人。

煌びやかな街のネオン。


こんな東京で、僕は、いったい何を手に入れたのだろうか。

そして、最初の頃の気持ちを忘れていないだろうか。


東京暮らしも4年が経とうとしています。

「一番最初に描いた夢を、あなたは今も覚えていますか?」



今日は夕方から仕事でした。今日は平日だから、そんなに混まないだろうと予想してたんですが、閉店間際にお客さんが…。

仕事全然片付かず、結局1時間サービス残業でした。相変わらずひどい待遇です、小田急レストランシステム。
そして極めつけは閉店後に先輩の板さんから八つ当たりの説教。
「お前がこっち手伝わなかったから終わらなかったんだ!今日の仕事はなんだ!?」

あのー、きちんと仕事こなしてたし、仕込みも完璧に終らせて、板さんの仕込みも手伝ったんですが…。

仕事してないで怒られるならまだしも、他の人より仕事こなして説教じゃあたまりません。
久々にムカついたし、悔しいです。怒りと悔しさで吐き気がするぐらい。
下っ端はそんなに理不尽な立場ですか?
仕事頼んだのは誰ですか?
板さんの仕込みが終わらないと全部責任取らなくてはならないのですか?
他のバイトが帰ってもなお残業しなくてはならないのですか?

どうせ今日の残業代は出ないから明日は店の食材かっぱらっていくか。