耳が悪くなる
…かもしれない。
どうも、おかげさまで元気にさせていただいております。
難聴もちのわしで機会があらばヒーリングのワークをしているのですが。
まあ、面白い位に結果が出ない。
し、じりじり悪くなっている感も無きにしも非ず。
でも治したい。でもこのままじゃ補聴器。ただ、以前試したときに聞こえが改善した感がなかったし、お高いから今一つ再度トライする勇気もなく。でも耳悪いままで今の仕事を続けられるかというと正直難しい気もするし、耳が悪くてもできる仕事を探した方がいいかなと思わなくもなく。
悶々としているわけです。
難聴が発覚したのが看護学校の3年生の時の健康診断。それまでは異常なく。だから学生の時になんかあったんだろうとは思うし、それまでもワークしたことがあったのですが。
わしの看護学生時代についてはこちら↓。
このころの自分を思い出そうとするとどういう訳か必ず病院入り口の(病院付属の看護学校だったんで)バス停のベンチ付近で途方に暮れている姿が出てくるんですよね…。
これまでも当時の自分にあれこれ声をかけるのですが(イメージワークで)それが変わることはなく。
なんでかね~なんでかね~?そういや学校辞めたくてしょうがなかったよなぁ。親や親せきに「資格だけは取れば」言われて我慢しちゃったし、それで今はご飯食べれているけど~。
などとぐるぐるしておりましたら、降ってきました。
「辞めたい位のつらい気持ちを誰にも聞いてもらえてない。だから人の話を聞くということがわかっていないし、聞きたくもない。だって聞いてもらったことがないんだから、気持ちを受け止めてもらったことがないんだから、どんな感じなのかもわかってない」
あえて言語化すればこんな感じ。
あいや~ですよ。
そういや、シータヒーリングを習いだしたころ、「どんな感じ?」「どんな気持ち?」「それはいつから?一番古い記憶は?」などの質問をされることがあるんですが(掘り下げいいますけどね)、最初聞かれても「え?え?え?」と意味不明だったんですよね…。
今ならやっとわかる。
自分の感覚・感情を言語化して表現する、表現したものを受け止める、受け止めてもらう、それを周りの人としあうという生活習慣がわしはほぼゼロだったんですよ。
特にネガティブといわれるものについて。
そして恐らくうちの親や親せきもそれを知らない。別にウチの親は毒親カテゴリーされる人ではないのですが、唯一残念とされるのはそこだったのかもしれない。
まあおかげさまでヒーリングや心理をかじって自分ですることになりましたけど。
それに日本だとネガティブな感情を出すことをよろしくないとされる風習?みたいなのがあるでしょう?「愚痴ってはいけない」「みっともない姿をさらすな」「人前で泣くな」「言い訳するな」みたいなの。
でもさ…出さないと最悪病気するけど。詳しくはこちら。
ともかく。なので、やりましたよ。バス停のベンチで20歳前後のわしと話をしましたよ(イメージで)。途方に暮れていた自分が学校の中に入っていくのを見届けました。
とりあえず難聴でいるメリットはこれでやっと取れたみたいですが…。聴力自体は要評価ですね…。はてさて。