昨日は上皇様のお誕生日でした。
全国放送で、夏の軽井沢静養の際に訪れたキャベツ畑での散策の様子が放映されました。
上皇ご夫妻が散策しながら「キャベツが良く育っていますね」と言うような音声も入っていました。

この散策した地域は戦中に満州に渡った満蒙開拓団の方々が戦後帰国して開墾した開拓地です。
今年に限らず、上皇ご夫妻が軽井沢を訪れる度に、お寄りになって地域の方々と懇談されています。

先の映像は、夏に地元テレビ局で放映されていました。

上皇ご夫妻は、在位中に長野県阿智村にある「満蒙開拓平和祈念館」を訪れています。
「満蒙開拓平和祈念館」は小さな村にある、こじんまりとした祈念館です。

画像はお借りしました

こんな小さな辺鄙な村にある祈念館を天皇陛下が訪れるなんて、は、実際に自分が訪れて思いました。

ちなみに天皇陛下が移動されるって、警備とかそれはそれは大騒ぎです。
さぞかし村の方々は大変だったと思います。でも、わざわざ訪れてくださった事で村の皆様は感激された事と思います。

満蒙開拓団は全国から参加されたようですが、長野県の方々が一番多かったそうです。

満州に渡った当時は広い土地を開墾し、それなりの生活ができたようです。
しかし、戦争に負けて日本に帰って来ることになり、大変なご苦労があったようです。
元々、次男や三男の方々であったので、日本に帰って来ても帰って来る場所がなかったそうです。

先の軽井沢近郊の地域は敗戦で帰国されて開拓された土地とのことです。

戻る場所のなかった満蒙開拓団の方々は戦後も各地でご苦労されたそうです。

成田空港が作られた成田、福島の原子力発電所、あのオーム事件で有名になった上九一色村は、満蒙開拓団の方々が戦後開拓された土地です。
先祖代々の土地を手放させるのは困難なため、戦後の開拓地が狙われたようです。

上皇ご夫妻がのどかに散策されている映像に、戦後80年の意味が含まれていました。

何かキナ臭さを感じる昨今ですが、国策で満州に渡り、苦労して帰国し、帰国してからも苦労された方々がおられると言うことは、忘れてはいけないと思います。
そして、その満州は中国の地に押し入って無理やり占領した土地であり、中国の方々にも酷い事をしたことも決して忘れてはいけません。

戦争は(極々一部の人を除いて)誰も幸せにしません。
一国の首相たる者、肝に銘じて発言して頂きたい。
発言したことに誤りがあったならば、素直に誤りを認めるべきです。
誤りが認められない者はリーダーの資格はありません。

貴女が崇拝しているであろう上皇様は戦後80年一貫して慰霊の旅を続け、寄り添われていらっしゃいます。

何か、おかしくありませんか。


満蒙開拓団のことや上皇ご夫妻が戦後の苦労を労う事をされている事は、長野県に住むようになって、地元のテレビを観て、初めて知りました。

長野県だけでなく、多分、他の地域でも様々な事をされていると思われますが、東京に住んでいる時には全く知りませんでした。

地方は、その地方に根付いたニュースが発信されていて、ある意味いいな、と思います。
東京って、ローカルニュースってないんです。