人間関係は人との関りである為に家庭、親戚、職場、コミュニティー、趣味の集まりと何処でもついて回ります。
人間関係で全てが決まると言っても過言ではない気もします。
人間関係を悪くしようと考えて動く人はほぼ居ないと思いますが、結果として人間関係がうまくいかない事は多々あると思います。
勿論、色々な要因が絡み合いますので、と安易な原因特定は出来ないと思いますが、何かが足りず人間関係が気まずくなっているのは疑う余地はないと思います。
「人間関係が一気にうまくいくねぎらいの魔法」

著者はアパレル会社を退職後に研修講師として独立。その後ねぎらいの大切さを感じて「ねぎらいワーク」を導入して「日本一泣ける研修」として口コミで広がり、今は「ねぎらいカンバニー」にて「ねぎらいアカデミー」を開講していると言います。
先ほど「何かが足りず」と言いましたが、それは「ねぎらい」だと思います。
褒めて部下に接していたのに部下にあっさり退職届をだされてショックな上司と言うケースは決して珍しい事ではないと思います。
確かにその上司の方は部下を褒めてきたのは事実でしょう。ただ、褒めたのはどんな時にでしょうか。
期待した以上の成果を出した時のみ大げさに褒め、そうではない場合激しくダメ出しをしてきたという事はありませんか?
部下が徹夜寸前までして書き上げた書類を放り投げるようにやり直しを命じていては、時々成果を褒めたとしても、部下の心は離れてしまいます。
勿論書類の内容を黒から白にする必要はありませんし、正しい内容にやり直しを命じるのは上司の職務です。
その時に「昨日は遅くまでやってくれてありがとう、感謝しています」と「ねぎらいの言葉」を言えば部下も感じ方が違ってくると思われます。
褒めることは条件付きで相手を認める事とすれば、ねぎらうことは無条件に相手を認めると言えるでしょう。
間違った書類の内容を褒めることは出来なくても労力を使ったことをねぎらう事は出来ますよね。
テストの点が満点でなくても必死に勉強し、全問題に答案を記載したという行動をねぎらう事は出来ますよね。
日本人は元々自己肯定感が低く楽観的になりにくい民族と言われています。
いくら頑張っても「まだまだ、これでは不十分」と言って頑張ります。
その気質が経済成長を支えた一面はあるでしょうが、その裏で沢山の疲弊する人が生まれて鬱などの症状で苦しんでいるという推測は間違っているでしょうか。「灰皿を投げつけられてもついてくる奴が一流になる」と言うやり方はもはや通用しません。
これからの管理者は怒鳴ったり脅したりせずに部下のやる気を引き出し成果を上げる必要があるのである意味管理者にとって大変な時代になるかも知れません。
お互いねぎらい合う職場や家庭であれば厳しい状況は変わらないにしても心の在り方は違ってくる事を認識して接することが肝要なのかも知れませんね。
まずは自分をねぎらい、相手をねぎらう事でしょうか。
これからの世の中「褒めて伸ばす」よりも「認めてねぎらい赦す」事かも知れません。