このブログにお越しくださいまして
ありがとうございます。
《🌿❄️Snowdrop❄️🌿》
と申します。
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私が《同じ時間》を共有することを
大切にしたい理由
〜《桜》の思い出と共に🌸〜
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私にとって
《桜》の一番古い記憶は《桜貝の桜色》です。
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幼稚園に入るか入らないかの頃に
家族で行った海で
赤ちゃんの爪のように小さくてツヤツヤした
淡いピンク色をした《桜貝》を拾いました。
とてもかわいらしくて私の《宝物》として
今も私の机の引き出しの片隅にあります。
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新年度が4月の日本では
《桜》が街を彩るイメージで
写真を撮るのが趣味だった父は
幼稚園の入園式も
小学校の入学式も
桜の木の下で写真を撮ってくれました。
中学の入学式は
4月にもかかわらず大雪の翌日で
校庭の桜の枝が折れていたことを
春になると今でも母と話しています。
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社会人になってからは《花見》という名の
社交場のイメージが強くなりましたが
大人数での飲み会が苦手だった私は
友達と桜の見えるカフェでお茶したり
家族や犬とおにぎりを持って
近所の土手に散歩に行くのが
春の休日の過ごし方でした。
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《桜》の時期に旅行に行くことは
ほとんどできませんでしたが
京都の仁和寺の《御室桜》…
醍醐寺の《枝垂れ桜》…
靖国神社の《標本木の桜》…
千鳥ヶ淵の《夜桜》…
小石川後楽園…
上野不忍池…
通勤時に総武線の車内から眺めていた
神田川の《桜の花筏》…
福山雅治さんの歌で有名になった《桜坂》…
愛犬との思い出の
近所の小さな神社の境内の《桜》…
多摩川の土手沿いの《桜の花吹雪》…
日蓮聖人が御入滅された旧暦の10月に
《季節外れの桜》が咲いたという
家族の思い出の詰まった本門寺の
子院である本行寺の《御会式桜》…
これらは私が家族と《一緒に見た》桜の思い出です。
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私が30歳を迎える直前に
母は55歳で両目が見えなくなったため
今年私が50歳を迎えるまでに見てきた
20年分の春の《桜》を
私は母に《言葉》で伝えてきました。
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『蕾が膨らんできた…』
『九州から咲き始めているらしい…』
『靖国神社の標本木の開花宣言が出た…』
『家の近くの桜が三分咲きくらいになった…』
『入学式の時期にちょうど見頃だった…』
『昨日の雨で散ってしまった…』
『葉桜になってきた…』
このような会話を繰り返すことで
母の55年間の記憶の中の《桜》を
私は必死に呼び戻そうとしてきたのかもしれません。
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そして私自身も
今は一人で見ている《桜》を通じて
今まで一緒に見てきた家族や友達との《思い出》を
振り返っているのだと思います。
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唯一、母と見ることのできなかったのが
父が亡くなった時に
大学病院の前の大通りに咲いていた《桜並木》です。
涙を流した後のせいか
視界全体の空気が
白銀色にきらきら輝いて見えていて
母の代わりに、父の棺を乗せた車に乗り、
その助手席から見た
ふっくらとした少し色の濃い《八重桜の桜並木》は
私の人生でもう二度と見ることのない
《桜の景色》として心に刻み込まれました。
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20代の頃は
春が来れば桜が咲くのは《当たり前》だと
気にも留めていませんでした。
ただ、その景色を
《もう一緒に見られなくなる日が来ること》には
年齢を重ねてから気付かされました。
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それでも
両目が見えなくなった母と
20年も《同じ思い出》を共有できているのは
《同じ時に同じ景色》を見ていた思い出が
たくさんあったからだと思っています。
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Snow Manの《初めてのスタジアム》でのライブでは
ライブビューイングにも落選したので
Snow Manとファンの皆さんと一緒に
《同じ時と同じ景色》は共有できませんが
お天気を気にかけたり…
ライブの無事を神社でお祈りしたり…
《それぞれの場所で応援している
たくさんのファンの一人》として
過ごした思い出は
私も間接的に共有できるのかなと思っています。
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最後までお読みくださいまして
ありがとうございました❄️🌿
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