2012年6月16日

一緒にいるようになって、4年とちょうど1ヶ月の日。

「お世話になりました」って言われた。

せっかく横浜まで来てくれたのに、

これが正しかったのかはわからない。

でも、嘘はつけなかったし、

これ以上傷つけたくなかったし、

伝えたいと思った。

一緒にいた一日中、どうやって切り出そうって、

考えてた。

今まで誰に何を言われても、

ずっと一緒にいることに自信持ってたけど、

実は最初からわかってて、奥底に隠してきたことに、

お互い気づいてたと思う。

それでも、「今」を楽しむって決めて、長い時間が経った。

今までこんなに長い間同じ気持ちで居たことないし、

こんなに一緒にいてくれた人もいなかった。

一緒にいるのが当たり前すぎて、

家族みたいになってた。

今でさえ、いざというときには助けてくれるって、

どこかで思ってる。

いろんなことがあった。

悲しい事、楽しいこと、嬉しいこと、腹立たしいこと

ほんとうに、幸せだった。

一緒にいる間に私が与えた影響が、

彼の人生を少し変えてしまったかもしれない。

彼の輝きを失わせたのは私のせいかなって

思ってた。

彼が闘ってた劣等感にも気づいてた。

気づいたときに、手放すことができなかったことを

本当に申し訳なく思ってる。


私がもらった影響は

すごく大切なもの。

いろんなこと知ったし、

いろんなこと感じた。

死にたくなるくらい辛かったこともあったけど、

今伝えたいのは感謝しかない。

結局、最期は彼のほうが大人で、

大人すぎて、惨めだった。

最期だけじゃなくて、

いつもわがまま言うのは私のほうで、

なだめてくれてた。

眠れないって言ったら

すぐ連絡くれた。

寝る前には絶対電話くれた。

弱音はいたら

「大丈夫」って言ってくれた

いつも味方でいてくれた

彼氏じゃなくなったら、何になるんだろう。

友達になるのかな。

家族みたいだったから、

よくわからない。

つい最近まで、

結婚したいと思ってたことも、

別れるって決めたことも

本心だし

この4年間に何の後悔もない。

今でも愛してる

これからもずっと味方だし、

ずっとずっと応援してる。

一緒に居てくれて本当にありがとう。






2012年3月22日
修士卒業で、長かった18年間の学生生活が終わった。
それに合わせて、バイトも辞めて、
約20年間ピアノも辞めた。

そして今日、一人暮らしがスタート。
3月25日にママと上京して、横浜のホテルに泊まった。
初めて一緒に新居を見に行って、
いいところだねってテンションあがった。
初めて横浜という地でウィンドウショッピングして、
三鷹で家族+おばあちゃんとご飯した。
おばあちゃんがお祝いをくれた。
帰りに吉祥寺まででて、お兄ちゃんが炊飯器買ってくれた。
ママと二人で横浜のホテルに帰って、その夜を過ごし、
次の日の朝早く、昨日買ったパンにジャムつけて食べた。
タクシーで新居に向かった。
なんにもない部屋で二人、日通が来るのまって、
日通がきてから、運ばれてきた段ボール全部開けて片付けた。
近くにスーパーがあるかどうか確認しに行って、歩いてみなとみらいに行った。
ランチしてるときに東京ガスの立ち会いを忘れていて、
急遽電話して変更してもらって、なんか凹んだ。
帰らなくてよくなったので、そのままH&Mで買い物をして、うろちょろしてから、
スタバでお茶をして、横浜に向かった。
横浜のダイエーで買えるだけ日用品を買って、アフタヌーンティーでパン買って、
死ぬほど重い荷物を持ってタクシーで帰った。
ジョーシンが来て、手際よく家電を設置していってくれた。
またまた横浜に出て、脚立買って、
帰って照明器具をつけた。
ガスが通ってないから、火が使えず、レンジでできるご飯を作った。
もやしとにらと豚肉のやつ。大根のサラダ。納豆。
炊飯器を試運転したら、めっちゃ炊けるまで時間かかった。
ようやくご飯にありつけたのは22:00近くだった。
お風呂が沸かせずに、急遽探した近くのお風呂屋さんに行った。
親子二人で布団並べて就寝。
次の日は、起きたらママが紅茶作ってくれてた。
マグカップがなくて、スープ入れる容器で飲んだ。
パンを食べて、洗濯して、東京ガスの立ち会いを終えると、
スーパーに食材買いに行って、
きんぴらごぼうとコールスローとなますを一緒に作った。
横浜に出て、ルミネをうろうろして、物色し、
スープストックでランチした。
urrowsで入社式用のシャツ買ってくれた。
その後高島屋でママがお土産を買って、
気になるパン屋さんに行って、
ユーハイムカフェでお茶をしようと思ったら、
対応が悪かったから、近くのprontoでお茶した。
お別れが近かったから、しんみりしてきて、
話してたら泣いてしまった。
いい会社に入ること決まって、
修士卒業して、大人になった気がしてたけど、
まだまだ子供だと思った。
自分のことしか考えてないし、
小さいミスが重なって、
いろんな感情が重なって、
ちょっとパニクった。
ママの言葉のひとつひとつに涙がでて、
自分が今までどれだけ恵まれた環境にいたかを
考えさせられた。
周りの人への感謝を忘れずにいたい。
ママを横浜駅の改札まで送って、ハグして握手してお別れした。
自然と涙がでてきて、ママとお別れしたあと、
つい数分前には隣に居た人がいなくなってしまったことが、
寂しくて、怖くてしょうがなかった。
涙が溢れてくるのをこらえながら、
自分が今やるべきことをしようと思った。
電気屋さんをまわって、ネットを使えるようにした。
ハンズに行って棚を注文した。
途中でママからメール来たけど、
絶対なくから読まなかった。
一人で知らない町をうろうろすることが怖くて、
早く家に帰りたくて、急いで帰った。
家について、ママからのメールを読んで、
声をあげて泣いた。
一人だから、気にせずに泣けた。
初めて一人で家にいると、
どうしようもなく不安で、寂しくてどうしようもなくなる。
それでも、やらないといけないことはいっぱいあるし、
一個ずつこなしていくしかない。
親元を離れることが、こんなに辛いとは思わなかったし、
離れてみて、心から親に感謝できた。
この気持ちを忘れてはいけない。
日々成長。頑張ろう。

4月16日。

2年と11ヶ月の記念日の前日に、

第一志望(厳密には違うけど)から内定を頂きました。

こういうのって、

一緒に頑張ってる同期には、

言えないので、

ここに書いちゃおう。

ES出して、テストセンター使いまわしたけど、

同じテストセンター結果を出したとこが落ちたから、

絶対落ちたと思った。

違う選考で東京行ってたときに、電話で通過連絡がきた。

嬉しくてほんとテンションあがった!

1次面接は謎に待ち時間長くてすごく緊張した。

2次面接はすごく面接官がいい人で気持ちよくできた。

連絡はいつも面接の2日後の朝。

2次通過の連絡は、

違う企業の面接中に電話きてた。

書け直したら、通過!

明日東京で最終選考です。

と言われて、

急遽、東京に行くことになった。

行きます!って言えた自分エライ!

元々京都に行く予定だったので、

だーりんの家に泊まって、パワーを貰った。

次の日、アラーム1回で一瞬で起きて、

新幹線で東京入り。

新丸ビルのスタバで心を落ち着かせた。

いざ出陣したら、ほぼ待ち時間なしで

GDスタート。

今年からGDがあるし、そもそも嫌いだから、

ほんとにナーバスだった。

すごい微妙な感じのGDで、

すごい不安だったけど、

最終面接は、

怖そうな見た目の、かっこいい人だった。

最後まで自分を貫き通して、

悔いのない面接ができた。

面接終了後、興奮冷めず、母に電話するという。。。。笑

すぐに神戸に帰りました。

次の日の朝、電話待ってたけど、こなくて、

あーやだやだとか思いながら学校行った。

帰りに電車で、電話がかかってきて、

内定を頂いた。

内定っていう言葉聞いてテンションあがって、

電車降りた 笑

ほんとに、嬉しかった!!!

いわゆるシュウカツのルールっていうのが、

すごく嫌いだった。

面接はスーツスカートでヒールは3cmの太いヒール。

髪の毛はまとめて、前髪はピンで止める。

みんなそれやって、どうするの?

なにそれってずっと葛藤してた。

だから、一回もESを先輩にチェックしてもらわなかった。

面接の練習もしたことない。

シュウカツハウツウ本を熟読したこともない。

面接だろうが、説明会だろうが、

パンツスーツにピンヒール7cm。

髪の毛は高い位置でポニーテールにしてた。

思ってもないのに「第一志望」とは言わなかった。

言えなかったというほうがベストかな。

でも嘘つけないってことも自分らしさだと思った。

選社軸は「かっこいい」こと。

面接は普段通り。ずっと会話してたくなるような感じがベストだって思ってた。

自分が信じてきたことを貫いて、

それを認めてもらえた内定だから、

すごく意味があるのだ。

ほんとに心から嬉しい。

結局今まで内定貰ったのは、ここだけで、

残ってるとこは辞退することになる。

最終的には、4つ最終まで進んだ。

全部無駄ではなかったと思う。

どんな小さな選考でも、やっぱ一喜一憂して

精神的に波があったことも事実。

いつも支えてくれた人がいたことを

忘れてはいけない。

ほんとにありがとう。

この大変な時期に

一緒に居てくれたことに感謝。