昨日、無事自宅に到着できました。


以下は、自分の経験した事・思いを書き残しておきたいという私のエゴの元、書き記すものです。

被害の大小にかかわらず、震災を経験した方や、毎日震災のニュースしか流れないTVに、辛さや悲しさでいっぱいの方もたくさんいらっしゃると思うので、そういった方はスルーしていただくのがいいかもしれません。




前回のブログを記した後に、少しでも寝ようと努めましたが…

うとうとすると、携帯とTVから地震速報の警報が鳴り、目がさめ、余震の揺れに怯える…の繰り返しで、やはりほとんど眠る事はできませんでした。


土曜日も、弟は仕事に行かなくてはいけないということで、交通情報をずっと気にかけていました。

(弟ではなく、私が。弟はこんな日に仕事なんてしたくないと、電車が動かないことを祈っていました。帰宅難民者が多数というのに、まったく不謹慎な人間です)


私鉄は深夜から動いていましたし、朝も通常どおりとはいかないもまでも、動いていたので、新宿へのルートは問題ない状態でした。

JRも7~8時には運転再開と流れていたので、私も自宅へ帰れそうだと判断し、弟と一緒に8:30頃弟宅を出発する予定にしていました。

しかし、出発直前になってもJRは中央線しか運転再開していない状態だったので、地下鉄で四谷まで出て、中央線で東京駅へ向かうつもりで家を出ました。


外に出ると、とても天気が良く、陽の光もあたたかくて…TVで見た東北の大惨事が嘘のように感じられました。

とても何千万人という人が涙を流している朝、という感じがしなかったのです。

それが余計悲しい気持ちにさせました。


駅に着くと、やはり山手線は動いていなかったので、弟と一緒に三田線の改札を抜けました。

その途端「山手線内回り運転再開しました」というアナウンスが流れ…「え?」と思いましたがw

弟と別れ、改札で事情を話し、出してもらいましたw


で、JRの改札へ行ったら「まだ動いてはいない。内回りが先で、各駅に止まっている車両から順番に動かします」との事。

「おいおい、アナウンスと話が違うじゃねいか!」と思いつつも、わがままを言って三田線の改札から出してもらった手前、引き返すのもバツが悪いので、そのままJR目黒駅のホームに停まっていた山手線車両に乗り込みました。

しかし、それが吉とでました。

座ってから15分もしたかしないかで、目黒駅から山手線出発。

私鉄が動いていたのもあってか、目黒駅では座っている人しかいなかった車両が、次の五反田では超満員に!

しかも、各駅に停車する度に、安全点検と前を走る電車との間隔を調整する為に数分間発車しないし、動いても徐行運転なので、なかなか進まない。

扉が開くたびに「降ります!」と必死に叫ぶ声、なだれ込む乗客達のまさに雪崩のような音、押されて悲鳴を上げる女性、「もういっぱいだよ!乗ってくるな!」という男性の声…

なんかもう…人だけでなく、負のオーラで電車内がいっぱいでした。

海外では、被災地でも譲り合いの心を持つ日本人の素晴らしさが、賞賛されているようですが…あの空間にはそんなものは、まったく感じられなかったのが事実です。


普段なら17分しかかからない目黒⇔東京間が、結局1時間半ほどかかりました。


私は、時たま貧血になることがあるのですが、それが一番起きやすいのが、満員電車内なのです。

もし当初の予定通り、四谷から中央線に乗っても、同じような満員電車だっただろうし、同じようなノロノロ運転だったでしょうから、時間はかかったかもしれませんが、座って東京駅まで行けたので、山手線の出発まで待ったのは正しい選択だったのかもしれません。


私はJR東海道線に乗り変えたかったので、品川・新橋で山手線を降りるという選択肢もあったのですが…平常運転でも1時間近くかかる距離なので、今日はどれだけかかるかわからない。

上記の理由からも、できれば座りたいというのがあったので、東京駅まで行くことにしました。

(ただでさえ本数の少ない電車内で、ぶっ倒れて、まわりに迷惑をかける・運行の妨げになることだけは避けたかったのです)

山手線で隣り合わせたサラリーマンの話では、新橋・品川からは満員のため乗り込めないという状態だとも言っていました。(話してたのを盗み聞いただけですが)


もしかしたら、新幹線で小田原まで出てのぼりに乗った方がいいかとも思いましたが…(新幹線は通常運転でした)新幹線も満員だろうし、いっか…と、東海道線のホームで待つこと1時間近くで、座って電車に乗ることができました。

そこからやはりいつもより+15分位で地元の駅に到着しました。


改札を出ると、駅ビルはいつものように営業しているし…(しかもホワイトデーの催事とかやってました)何事もなかったかのような感じがしましたが、歩いてみると、駅ビルの外壁が一部剥がれ落ちている場所があったり、コンビニはおにぎり等の商品が届かないという張り紙がしてあったりして、地震の影響を少なからず感じました。


駅についたら、安心したのか、ものすごくお腹が空いてることに気づきました。

前夜、地震酔いで気持ち悪い状態で無理やりお蕎麦を食べて以来、15時間以上何も口にしていなかったのですから当然です。

駅で何か買って帰ろうかと思いコンビニに寄りましたが…今でも電気も水も止まっていて、大変な思いをしている人がたくさんいるのだと思うと、なんだか目の前の便利さが罪悪感のようにも感じられてしまい、何も買えなかった。


自宅に帰ると、母親と次男は食料を買いに行っていて、父親だけが自宅にいました。

実は、地震の時も、同じ状況だったそうで、父親は体調が悪く寝ていたけど、飛び起きて逃げる準備をしたといっていました。

自宅は海まで500mほどしか離れておらず、私が小学校3年生の時に引っ越して来て以来、感じたことのない揺れだったので、父親は「これはついにヤバイかもしれない」と思ったと言っていました。

太平洋側とはいえ、相模湾内なので、危険性は低いという事でしたが、父親は「絶対に危ない!」と言って、母親と次男が帰ってきてから、車で避難したそうです。

次男が住んでいる八王子まで行こうとしたそうですが、途中渋滞と停電で諦めて、帰ってきたそうです。

私が帰った頃に、やっと津波警報が注意報に下がった状態でした。(今は解除されました)


福島に住む祖父母とも連絡が取れたといっていました。

海側ではないので、そんなに被害はなかったようです。


その後、母親が買い物から帰って来ましたが、大きなスーパーの立体駐車場が地震の影響で使えなかったそうで、外の駐車場がとても混んでいたと言っていました。


家族でそろって食事をしたら、さすがに気が緩んだのか、リビングでうとうとしていまいました。

親から、疲れているんだからちゃんと寝なさいと諭されて自室に行きましたが、やっぱりまだどこか怖くて、服はきたまま寝ました。

布団に横になると、自分は帰る家も無事で、帰ってくることもできて、食事も暖かく眠る事もできる、と幸せをかみ締める気持ちと、そんな当たり前の事をすべて奪われた人達・さらに言えば、命さえも奪われた人達がたくさんいるのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりながら眠りに落ちました。



今日は、とある方の講演会に行く予定でした。

昨日の段階で、「やるかやらないかは、夜判断をします」とのメールが届いていたのですが、やるとしても参加するのはやめようかと思っていました。

場所は代々木。行くことは不可能ではないけれど、今この状態でまた自宅から遠く離れるのはできるだけ避けたい。

講演会には行きたいけど、行くのはやめようと思っていました。


しかし、その方が講演会ではなくUstream放送に切り替えるとの判断をしてくださり、自宅から離れずに、お話を伺う事ができました。


本来のテーマから少し離れて、震災のこと等も聞くことができました。

その方がおっしゃってた、「自分たちができる事をしつつ、普段どおりの経済活動(仕事をする・消費をする)事が必要だと思う」という言葉がとても印象に残りました。


節電や募金等、少しでも被災地の為に自分達ができる事はする。もちろん自分達の仕事をする。

だけど「こんな時だから」と言って、外食や買い物を控えると、それによって生計がたてられなく人達が出てくる可能性もある。それではダメだ、というお話でした。(私なりの解釈を加えています)


確かにそうだな、と思いました。

昨日私がコンビニで感じた罪悪感は別の被害者を発生させる可能性もあるだな、と。

怖いから家から離れたくないという気持ちも少なからずありますが、それではいけないな、と。

輪番停電等もあり、いつもどおりとは行かないかもしれませんが、少しでも「いつもどおり」に生活してしていこうと思いました。それができる環境に居れるのだから、それに感謝しながら。


明日からは普段どおり仕事です。頑張ります。