私が19歳の冬、私と父が秋田で2人暮らしを始めた2ヶ月後に父が体の異常を訴えた。
どうも腰が痛くてお腹が張ってくるらしい。
父も私もすぐに治るだろうとしばらく放っておいた。
しかし12月に入っても一向によくならない。
それどころかますます状態は悪くなっていく一方だ。
ついには立っているのも苦しくなってしまい、私は学校を休んで父の付き添いで病院に行った。
まず大きな市立病院に行ったのだが、紹介がないと診療出来ないと断られた。
そこで近場の内科に行くと、お腹に水が溜まっていると言われた。
そこの先生から多分今日から入院になると思うと言われ紹介状を書いてもらい、再び市立病院に向かった。
2時間近く待たせられ、研修医に診察してもらった。
お腹に水が溜まっているので水を抜く処置がとられた。
しかし抜いても抜いても水は溜まり続けた。
原因はまだ分からないと言われ、父はそのままそこの市立病院に入院した
父が入院してしまったため、私はアパートで暮らすこととなり母と物件を探しに行った
これからのことを考え、なるべく安いアパートを探しに行った
和室の6畳で25000円、地方だからこの値段でもまぁまぁのアパートは借りることができた
父の病室に行き、そのことを話すと
迷惑をかけてすまない
なさけない父親になってしまったなぁ
と呟いていた。
それからどんな治療をしてもらっているのかなどのことを聞き、その日は帰った。
母が会社を休んで父の看病をしてくれた。
市立病院で2週間近く入院したあと、地元の福島の病院に転送が決まった。
私も大学があるので、なかなか父に会えなくなるだろうと思い、福島出発前夜に面会時間を過ぎていたものの逢いに行った。
父はその時、なにも飲めない食べれないという状態だったので、普通の生活のありがたみが分かったと言い、元気になったらラーメンが食べたいと笑って見せた。
父が福島に帰ったあと、秋田の家の整理をしていると母親から電話がかかってきた。
父が転送された後、緊急手術が行われたこと、
腸閉塞を起こしていて、もう少し遅かったら腸が破裂し即死だったことを聞かされた。
そして最後に母は腸閉塞を起こした原因は末期ガンによるもので、父はもう年内までには持たないだろうと言った。
ほんの2週間前まで普通にしていた父が末期ガンと言われても理解出来なかった。
年内までにもたない?
でも今年もあと1ヶ月ないじゃないか
という考えが頭の中をぐるぐる回った。
父がそんな状況でも大学に行くしかなく登校した月曜の朝
また母から電話がきた。
父はもうどうなってもおかしくないから帰ってきて欲しいというものだった。
すぐにバスのチケットをとり、帰省した。
福島につくと母と父の伯母2人がいた。
父は集中治療室にいると聞き、父と対面するため面会時間まで待った。
面会は1日3回
決まった時間に30分だけ許され、
患者が疲れないよう1人ずつ病室に入ることが決められていた。
ようやく面会時間になり、集中治療室に入った。
四方から機械音が鳴り止まず聞こえる。
父のベットは部屋の奥の方にあった。
他の入院患者の横を通り、父の元へと向かった。
やはり老人が多かったのだが中には私と変わらないくらいの年の子もいた。
父の隣に行くと、父はもう秋田で別れた時では想像もつかなかった姿になっていた。
人工呼吸器を入れられ、手や首は様々な管で繋がれていた。
目は虚ろで辛うじて意識がある程度。
その姿があまりにもショックで、父の前で泣いてはいけないと思って入室したのに、堪えきれず涙がでた。
父は人工呼吸器で繋がれていたので声を出すことも出来ない。
私に出来るのは手を握るくらいだった。
私が手を握ると弱々しいが握り返してくれた。
そして横で泣いている私を虚ろな目で見て、大丈夫と言うように父は頷いていた。
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