可部のじいちゃん
東北関東大震災でたくさんの命が失われた中、自分の家族が逝ってしまった。
可部のじいちゃん
ここ数年寝たきりで息だけしてた状態で、なかなか顔も見に行けず夏に顔を見たのが最後だった。
記憶を辿ると自分が小さい時から穏やかでいつも黙った感じでやさしくしてくれてた。
よく小学校の時に電車に乗って一人遊びに行ってた頃、帰りにはだいたいじいちゃんが軽トラで可部駅まで送ってくれた。一度帰りに下り坂じいちゃん左により過ぎて溝にはまり、その近所の人が集まりみんなで車持ち上げて難を逃れたのを憶えてる。
じいちゃんばあちゃんを筆頭に可部のおじちゃんや駅家のおじちゃんやオカン、えっちゃんみんな仲良しで自分を含めた子供達みんな連れてキャンプしたり福山の仙水島行ったり色んな所に連れて行ってくれたものだ。
あの頃が懐かしい
社会に出て、たまに可部に行った時帰りに30kgおる米をヨッチラヨッチラ持ち上げ車に積んでくれてたじいちゃん。
若い頃には戦争に行き、今も体には鉄砲の玉が体に2つに残ってたじいちゃん。
畑や田んぼで黙々と仕事してたじいちゃん。
餅つきの時も黙々と窯の火を絶やさず薪を握ってたじいちゃん。
そんなじいちゃんが逝ってしまった。
今もじいちゃんに名前を呼ばれる声が耳の奥に残ってる。
そして自分が結婚することを楽しみにしてたじいちゃんに今だ晴れ姿を見せる事が出来なかったのが悔いが残ります。
今日明日でじいちゃんとお別れ。残念でたまりません。



兄貴に会いに










