でんでんです。

ちと総合案内的なものをAIちゃんに作ってもらいました。

 

いらないかも知れないんですが

いるかも知れないので!

 

 

このブログでは、形のない「風」や「水」をヒントに、自分を上手に操作して荒波の世の中をしぶとく、かついぶし銀の輝きを放ちながら生き抜くための洞察を書いてますよ。


主に観察や思考を用いたメタ認知について書いていますが、これは行動前のプランやイメージ、自分が何を行っているのかを自覚するためです。


悪を成すことなく、この腐れた世で腐る事なく生きるお手伝いが出来ればと考えています。


基礎:自分を「端末」として使いこなす

まずは自分自身の感情や体と、本来の「私」を切り離して観察する技術から。

1. 「霊感」は特別な力ではなく、五感で捉えきれないものを論理と直感で捉える「深い洞察力」のこと 。

 

 

 

2.日常のイライラを「練習台」にして、感情に飲み込まれず客観視するメタ認知の入り口 。

 

 

8. 「体と心」をスマホ端末、「真我」をその操作主として捉え、感情をアプリの通知のように扱うモデル 。

 

 

20.感情のフィルターを通さず、対象をありのままに実況することで冷静さを取り戻す技術 。

 

 

、、、いちいちリンク貼るのめんどくさい、、、

 

戦略:世の中の「風」を読み、欲望を飼いならす

消費を煽る社会の仕組みや、自分の内側から湧くエネルギー(欲望)との付き合い方。

 

3.広告や流行などの「風」を誰が何の意図で起こしているかを見抜き、自分を守るための予防策 。

 

 

4.すべての欲望に反応せず、リソース(時間・お金)を自分の成長のために戦略的に使う 。

 

 

5-6.欲望は進化の原動力でもある。否定せず、理性の殻(自分軸)を持って制御することが大切 。

 

 

 

 

12-14. 最もつよい風(物質主義の中で) 目に見える数字やモノだけの世界に飲み込まれず、自分だけの「物語」を積み上げていく生き方 。

 

 

 

 

 

実践:お水シリーズ(三つのメンタルモデル)

お水シリーズはブログテーマ”水の如く”にまとめてあります。

人智学的な「思考・感情・意志」のバランスを、水の性質に例えた独自のコントロール術。

 

24-25. 表面張力(自分軸と結界) 内面を濃くすることで外側のノイズを弾きつつ、氷のように固まらず柔軟性を保つ最強の防御力 。

 

26-28. 流芯(動的瞑想) 激流のような日常の中で、作業に没頭することで思考の摩擦を消し、静寂と効率を両立させる 。

 

30-31. 水月(観察) 精神を静止した水面のように保ち、外界の事実を歪みなく映し出すことで、冷静な判断を可能にする 。

 

32. お水シリーズまとめ 「観察・結界・活動」を、自分というスマホを操作するように状況に合わせて切り替える運用法 。

 

探究:世界の仕組みと「理解による赦し」

視点をさらに広げ、他者との関係や自己の成長をより深く捉えるためのヒント。

 

34. 同じ失敗を繰り返しているようで、実は経験を積んで少しずつ高い視点へと登っているという肯定 。

 

 

35. 世界への「窓口」である感覚を知り、主観に偏りすぎず世界を客観的に認識するための土台 。

 

 

 

36-37.  「他者の自我を感知する感覚」を使い、相手の未熟さを構造的に理解することで、怒りを静め「赦し」へと変える 。

 

 

 

たたき台をAIに作ってもらって、そこから自分でいじるのが思ったより難儀でした!

 

足りないとこだいぶあるけど、今んとこ以上らしいです。

今後の予定としては、グループソウル(群魂)からの脱却をテーマに書いてみます。

群れてないと嫌な人も、パーツくらいは使えるかも知れません(たぶん)


 

でんでんです。

こないだからの続きで自我覚の使い方? 具体例としてお話します。

 

先日、うちの子が駅のロータリーで経験した話です。 

横断歩道を渡ろうとしていたら、送迎の車を運転していたおばさんが

通行を妨げるように結構な速度で目の前にドン!

と車を横付けしてきた。

危うくぶつかりそうだったそうです。

普通なら「危ねーな!」「何だテメーはー!」と車を蹴るところですよね。

でも、ここで「自我覚」の視点を使ってみます。

 

1. 彼女は「悪人」ではない、ただ「見えていない」

このおばさんは多分、子供を脅して腹いせする為に車を止めたわけではありません。

おそらく、普段はフツーのお母さんだったり、事によると良い人だったりするんでしょう。多分。

ただ彼女は、タカラダニ的だっただけなんです。

 

タカラダニの視界:自分の周囲の極めて狭い範囲しか捉えられず、目先の欲求(エサや移動)だけで動く。

 

彼女の視界:「家族を降ろす」「車を止める」という自分の目的だけで頭がいっぱい。

 

その目的の外側にいる「横断歩道を渡ろうとする他者」が、視覚に入っているだけで、「自分と同じ意志を持つ一人の人間」として認識できていない。

つまり、彼女の「自我覚」が、一時的か恒久的かスリープ状態になわけです。

 

 

2. 「障害物」としか見ていない

センサーがオフの時、他人は「人間」ではなく「動く背景」や「便利なスペース」に見えてしまいます。 

「そこに人間がいる」のではなく「そこなら車が止められそうだ」という自分の都合しか存在しない世界。 

これって、本質的には悪意ではなく、「感覚器官の未熟さ」の問題ですよね。

3. 「理解」が「赦し」に変わる

「アホかこいつ!」と感情でぶつかると、短絡的なモノを相手にする場合、余計にこじれます。 

でも、「あ、この人はタカラダニ系なんだな」「都市生活には向かないけど違う面ではオレが教えを乞うこともあろう」

と構造からまるっと理解してしまえば、不思議と怒りが静まります。

 

これがぼくの言う、「理解による許し」です。

いつだったか書いた、役割の違いと認識するのがいいかも知れません。

えーと前々回の例えでタカラダニとカマキリと書いたので、そのままタカラダニを使ってますがその辺り特に悪意はないです。

カマキリの感覚器官は調べてはいませんが、ワリと遠くの動きも察知して動いたりしますのでなかなかなものでしょう。

その個体が生きていく為に、どの程度の感覚器官があればいいのかという話でしょう。

 

色々観察していると、人の精神の感覚器官というものも似たようなもんだなと思います。

感覚器官が鋭いんだけど、その鋭さに負けて自縄自縛的になる方もいらっしゃいます(多くは慣れると思いますが)

 

勿論、その鋭さを活かして我利我利に生きていくのも道としてはありなんでしょうが、通常よりいいものを持っているのであれば、それをいい方向に使いたいものですね。

 

今は世界的にも不安定さがいよいよもって表面に出やすくなってますし、ネットワークビジネス的な詐欺行為も大変多いですね。

色んな風招きで煽られないように、自分の尺度で物事を測って生きていきたいですね。

 

前回も書きましたが、前にお話したメタ認知的な要素は全ての面で使われています。

状況に応じて適度に主観から少し離れ、状況を理性的に俯瞰して物事を判断します。

説明でグダグダ話すとややこしいんですが、少しづつやって馴れるととても簡単です。

導入時は少し頭使うし、なかなか身につかないかも知れません。

まぁやって慣れろというやつでして。

でんでんです。

前回の続き、自我覚についての例です。

えーと人智学の自我覚デスネ。

 

名前を出している以上不正確なことは書きたくないんですが、ぼくが書くのでそれなり不正確でしょう。

 

実践的に考えた応用例ということで一つよろしく。

 

相手の行動に違和感がある時に働くセンサーですかね。

そこについて思考したり、瞑想で包括的な理解が進むと、色々利点があると。

 

 

他者と自分の違いをどの程度把握しているか

その違いによりどーいった行動が予測されるか

結果どーだったか。

 

思考と直感で包括的に判断します。

勿論神のように透徹しているわけではないので予想外の事は多いですが、当てるのが目的ではないので気にしません。

 

変化して行く状況に備えて予測を立てておくのは、対応力の点からとてもいいことです。

自分の精神が自分で作った予測に食われなければ。

 

得た事は全て自分の内部にデータとして残っていきます。

それによる利点は、利己的なものではなく、相手の行動を理解する事による赦しです。

未熟さを許す、間違った事も理解し許す。色んな事を許しやすくなります。

 

人を理解することにより、自分の至らなさにも気づきますし、子育にもイイですね。

子どもの行動傾向を理解し、何がこの子にとって最良に近い道なのか?この子にこれを教えるためにはどんな経験が必要か。

 

ちと話逸れますが、子供に与えるばかり、してやるばかりというのは僕は好みません。

 

様々な欲求な対する飢餓感は自己効力感のためにも必要で、親という字のように木の上から見るという事も必要だと思っています。

経験を重視していますので、言い含めるだけでは効力薄いと考えています。

あまり賛同は得られないと思いますが、あえてネガティブな経験というのも必要だと言う立場です。

 

絵なんですけど、AIいわく「左からトゲトゲしたものが入ってきても許しを経ていい感じの光に変換されてる」

というテーマの絵だそうです。

 

長くなりそうなんで一々書いてないんですが、まず自分自身が水のように透き通って水鏡のように外界の物を映し出せる状態でないと、何やっても効果落ちると思います。

その辺りはブログテーマ”水の如く”辺りに書いてあります。

 

そのうち案内用のページでも作るといいんですかね。

 

既に長文気味ですね。

具体例を一つくらいと思ったのですかw

 

えーと、次回で軽くまとめたいと思うのでそこんとこで頑張ります。

 

 

 

 

でんでんです。

とある学問のお話で、人に備わる12個の感覚の話です。

感覚器官は自分から世界への窓口になり、認識できる範囲が少ないと選択肢が限られます。

 

気分のまま動いてると再現性もないし、あくまでも主観なので調子の良し悪しが出ます。

 

ついでにある程度客体を持つことで他と比較する事により独り善がりになりすぎずに済みます。(ぼくはもう遅いかも)

 

まあ、料理のレシピと似たようなもんですね。

 

休憩時間にたまたまいた虫を観察していた時、

まぁ、タカラダニとカマキリ何ですけど。

行動の違いが気になって、調べてみたら感覚器官がだいぶ違うということをりまして。

「人間も同じよな」と言う所から思考した所今の理解に繋がってます。

 

ぼくは虫だの魚だの、色んな生物も人間も大差ないと思ってます。

内蔵とか同じようなもんで出来てるしw

 

人智学のルドルフシュタイナーさんは考え方的に共鳴する部分が割と多く、よく閃きを検索するとこの人の名前出てくるので、思考の叩き台に使わせてもらってます。

 

ではここから説明。

​下位感覚:​触覚、生命覚、運動覚、平衡覚

中位感覚 :​嗅覚、味覚、視覚、熱覚。

​上位感覚(精神):​聴覚、言語覚、思考覚、自我覚。

下位と中位はまぁそのまんまですね。

上位の聴覚は人智学では霊的な響きがどーとか書いてありますが、ボクは幽霊だの神とは話す事もないので無視します。

 

用があるのは言語、思考、自我。

感覚で捉えたものを言語で思考し、洞察しますよね。

捉えたうえで、他者と自分の違いを認識する自我覚ですね。

 

フツーの自我ではなく、感覚として相対的に他者の心を測り、認識する為に自我を感覚器官として使うわけです。

 

例とか書こうと思ったけど、既に長文なので続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

でんでんです。

感情や習慣、自分の生き方の

クセで同じような失敗を繰り返し

ふと我に返り呆然とすると、また

同じ所で同じ景色を見てる。

そんな事ありませんか?

 

でもよく見ると

前より少し、上に来た気がする。

なのでそれでOK!

そんなお話です。

これも早く気づくと徒労感が減り

生きやすいように思うので

書いてみます。

 

待ち時間で暇なので気持ち丁寧に書いてます。

読みやすいでしょうかね?

僕の気のせいかも知れません。まあいいかw

 

子供の頃、螺旋階段のあるマンションに住んで

いて、手すりを使って高速で駆け下りたり駆け

上ったりするのがまーまー好きでした。

 

その時に気づいたのが景色はぐるぐる回ってんのに

ちょっとづつ見映えが変わるという事。

 

大人になって散々色んな事でグルグルして、何回も呆然とした時

試行錯誤して経験を積んだ分、ちょっとづつ上がってはいる事に

気が付きました。

 

なのでー。

何回かぐるぐるした後、ちょっと自分の行動を省みて分析すると

次はこうやればイケるかも!

みたいなのを計画的にやると上昇が早くなります。

 

自分の生き方のクセが、その同じ過ちを繰り返す原因だと思うんで

そこをじわじわ補正できればワリといいんじゃないですかね。

心折れるのを防げるかも知れません。

 

この先オマケ

様々な行き過ぎた現象を見ている時、天秤的に見ていました。

片方に振れると、行き過ぎたバランスを戻すように反対に振れる。

何度もアッチにフレ、コッチにフレ。

最終的にバランスの良いところで止まる。

 

様々なジャンルでこの現象が見られます。

ちょっと普遍的だと思ってます。

ニュースでも自分でも人でも、なんでもそんな風に見てると気づく所があるかも知れません。

 

ツイデに言うと、気温の上下傾向のグラフと為替でも株でも金融関係のチャート。

これも波動の出来方がそっくりです。

波動原理なんかも似てるんでしょうね。

 

ちょっと自分の成長曲線が上がってきた所に、いきなりがくんと落ちる。

ムカつきますが、波動理論を思い出し「ここから更に上るぜ」と思えば

なんかいい感じです。

 

まぁ、そこからちょっと上げてまたがくんと下がって「しまった下りに入った!」

なんてコトもあるわけですが。

 

まーそーゆーところも含めて、螺旋として考えると案外いいかも知れませんね。

相場やらない場合は波動理論のことは忘れて見方がシンプルになるし。

 

ま、腐らず生きれということで。