楽々改善コーチ から 伝えたいこと

楽々改善コーチ から 伝えたいこと

楽に楽しく仕事や人生を過ごして欲しいと願っています。私の歩みや失敗が、少しでもヒントになれば幸いです。


一度しかない人生なので、楽に楽しく過ごしたいですね。
上手くいった仕事や人生の改善内容を紹介して、お役に立てればと願っています。
どうぞ、よろしくお願いします。


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マイナポイントの申請を行いました。正直、難しかった!
どうして、政府関係の申請は、あんなに難しいのでしょうか…

楽天カードでの申請を行いたいので、楽天カードのマイナポイントの説明に従って行いました。
楽天カードのアプリをインストールして、そこからマイナポイントのアプリをインストールしようとすると、私のスマホは対応していないとはじかれてしまったのです。

仕方がないので、PCからマイナポイントのページから登録をしようとしました。
マイナンバーカードの読み取りが必要ですが、e-Taxでカードリーダーを使っているので、PCから登録できました。
そして、楽天カードから最後の登録が必要なのですが、どんなに探してもPCから出来ない…
どうやら、楽天カードのアプリからしか登録が出来ないようです。

幸い家内のスマホが新しかったので、確認してみるとマイナポイントのアプリに対応していました。
もう一度、最初から家内のスマホにアプリをインストールして、何とか登録を完了できました(疲)

知らなかったのですが、新しいスマホはスマホ本体でマイナンバーカードの読み取りができるのです。
私の古いスマホには、カードリーダーの機能がなかったので、非対応だったことが分かりました。

今からマイナポイントを申請する方は、十分にご注意ください。

◇第12話 仕事が急に忙しくなった

学校に相談に行ってから数か月後に、設計テーマが与えられました。工場で生産する設備の制御機器の設計です。すでにモデルとなる設備は開発済で、納入先の工場の要望に合わせて設計変更を行うものでした。私の生活パターンは一変しました。急に忙しくなったのです。

何しろ、モデル機の理解を行った上で、設計変更を行うので、まったく知識のなかった私には大きな負荷の仕事になったのです。担当していた設備は量産機ではなく、工場の要望ごとに開発を行うものだったので、テキストはありません。図面があるだけでもラッキーで、図面を見て分からないことを先輩に聞いて理解しながら設計を進めました。今から思えば、生産性の低いやり方をしていたと恥ずかしくなりますが…

不思議なもので、精神的にも体調も回復しました。「病は気から」というのは本当だと確信しました。そのテーマが終わった後も、次のテーマをもらい、切れ目なく設計の仕事を行いました。今から思えばバブル景気の頃で、工場が一斉に設備投資を行った時期でした。猫の手である新入社員の手も必要だったのでしょう。

実務経験は大きな自信になります。3年もすると、すっかり設計者として一人でできるようになりました。

☆私は1981年に仕事をはじめました。もうすぐ40年になります。
 その間に、色々とお世話になったこと、嬉しかったこと、感動したことなどを綴っていきます。
 気楽に読んで下されば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

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◇写真は、青森県から秋田県を結ぶローカル線「五能線」を走る普通車の車両です。沿線にある十二湖を訪問した際に撮影しました。
五能線は、鉄道マニアだけでなく旅行者が、一度は乗ってみたいローカル線として人気を集めています。
ゆっくり海岸を走る列車の車窓から日本海が広がり、美しい海の風景が楽しめました。

テレビを見ていると「ボクらの時代」という番組に熊本出身の3名が対談をされていました。
その中で、コロッケさんのお母さんの「あおいくま」という言葉が心に突き刺さりました。

あ あせるな
お おこるな
い いばるな
く くさるな
ま まけるな

特に「負けるな」は、人に負けるなではなく「自分の大きな夢に負けるな」という意味だそうです。
実は昨年は色々とうまくいかなくて、正直くさった時期があったのです。
変化の大きな時代です。この「あおいくま」を、私の活動指針にしようと思いました。

◇第11話 学校の教授に相談に行く

あまりにも暇なので、卒業した学校の教授に大学院受験の相談に行きました。
私の話しをしっかり聞いてくださり、このように言われました。
「残念ながら、今年の試験は終わったので、来年、チャレンジしてみたら」

試験が終わったのであれば、どうしようもないので、来年受験を決意して帰りました。
これが私にとって、とてもラッキーになりました。
そのあと、すぐにテーマを任され、急に忙しくなったのです。

その後もずっと、テーマが切れることなく続き、気がつけば30年以上経過していたのです。
大学院受験どころではなくなりました。
不義理にも、その間、一度も学校に行くことはなかったのです。

今年、その教授の受勲記念パーティーがあり、お礼を言わなければと思い参加しました。
40年近く経っているし、教授も退官されてかなり経過しているようです。
思い切って教授にお礼を言うと、先生も覚えていて下さり、とても嬉しかったです。

「3年は続けてみなさい」と言いますが、あながち間違いではないようです。

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◇写真は、岩手県と秋田県に標高にある標高1,614 mの八幡平の山頂近くのニッコウキスゲです。
八幡平は十和田八幡平国立公園に指定されており、日本百名山でもあります。
山頂近くまでバスで行け、アッという間に山頂に立つことができる、楽に登れる百名山の一つです。
木道が歩きやすく、標高の割に多くの種類の高山植物の群生を見ることができる、魅力的な山だと感じました。

所要のため岩手県の盛岡を訪問しました。
コロナ拡大中であり、迷惑になるのではと思いながらの移動でした。

空港は人が少なく、検温と手の消毒、飛行機の中もずっとマスク着用でした。
CAさんはマスクだけでなくゴーグルもされており、飲み物もパック飲料を配布するだけでした。

岩手県は、ずっと発症なしだったのですが、滞在中に1件の陽性が確認されていました。
知事が記者会見され、しっかりした対応を話されていました。
さすがは、発症の少ない県だと感心しました。

今までに経験のない緊張した旅になりました。

◇第10話 さっぱり仕事がない

会社での仕事がスタートしたものの、弱ったことがありました。
景気が悪く、仕事がさっぱりとなかったのです。
後から分かったことですが、私が配属された生産技術は、業務量が大きく変動する部署だったのです。
景気が悪くなると、いっせいに設備投資を控えるので、仕事が激減するのです。

先輩より、過去のテーマの図面修正などの指示を受けるのですが、すぐに終わってしまいました。
すると、その後は延々と自習をすることになるのです。眠かった!
毎日、定時で帰されました。

今だったら、感謝するところですが、当時の私にとっては辛い毎日でした。
そんな毎日が数ヶ月経過したころ、体調が極めて悪くなりました。
病院に行って精密検査をしてもらいましたが、特に悪いところはない…

人として役に立たないのが、いちばん辛かったようです。
暇なときは、ろくなことを考えないのです。
会社に期待されていない…

何と、退職を真剣に考えはじめたのです。

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◇写真は、岩手県盛岡市にある重要文化財の岩手銀行赤レンガ館の内部です。窓口に並んだ時に見える方向から撮影しました。
岩手銀行赤レンガ館は、1911(明治44)年に盛岡銀行の本店として落成し、のちに岩手銀行がこの建物を譲り受け、本店として利用していました。
設計は東京駅でも知られる辰野金吾氏によるもので、木とレンガを上手く使った優雅な建物です。
2012(平成24)年8月3日まで銀行として営業されていたとのこと。独特の雰囲気の銀行だったことでしょう。

鉄工所が立ち並ぶ工業団地主催のかセミナーで講師を担当しました。
2日×2回の計4日間で、5S活動、現場改善、安全衛生について話したのです。
20名弱の参加者は全て現場男子で、中には茶髪の人も数名おられました。
最初に前に立つと、いつものセミナーとは、ずいぶん雰囲気が違っているなと感じました。

1日6時間の長いセミナーですが、4日間が終わって感心したことがありました。
研修スタート、休憩後など遅れてくる人が全くいないのです。いつもなら、走ってくる人がいるものです。
さらに、眠たくなる内容もあったと思いますが、居眠りしている人も全く居なかったのです。
私からの問いかけに関して、なかなか答えてくれない点はありましたが、アンケートには「勉強になった」と多くの人が書いてくれ、ひと安心しました。

ひたむきに厳しい環境の現場で、頑張っておられるのだなと感心しました。

◇第9話 あこがれの職場に配属

技術研修中に、配属先を教えてくれる面談がありました。
技術研修を行っている事業部に配属されるのだと思っていました。
悪くはないのですが、何となく気に入らなかったのです。

でも、告げられた配属先は本社の生産技術部門でした。何と、第1希望でした。
いよいよ、配属先でのスタートです。
私を含め7名が配属されました。

最初に、総合朝会で自己紹介をしました。
メンバーの一人が「あこがれの職場」と話し、大きなどよめきが起きました。
私も思っていたのですが、みんな同じだったのだと、今でもよく覚えています。

私は、3名一緒に計測制御装置の設計部門に配属になりました。
部課長4名と顔合わせを行い、仕事内容などを聞きました。
その後、色々な形で長い間お世話になったのですが、残念ながらお二人がお亡くなりになりました。

希望に満ちた会社生活がスタートしました。

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◇写真は、富山市立図書館です。複合ビル『TOYAMAキラリ』の中に富山市ガラス美術館と併設する図書館で、中に入るとアッと驚きました。
TOYAMAキラリには富山県産スギ材がふんだんに使用されており、図書館の書架も木材を使用していて、心落ち着く雰囲気なのです。
図書館は建物2階から6階まであり、エスカレータで上がって行く間、色々な角度から木の温かみが感じられます。
富山市民がうらやましいなと思いました。

毎月、瀬戸内海の小豆島のとある会社に通っています。
いつも姫路からフェリーに乗るのですが、コロナの影響でフェリーが減便になり私の乗る便が運休になっていました。
7月になって通常運航になり、いつもの便に乗った時のことです。

小豆島からの帰りに、はじめての体験をしました。
フェリーですから、自家用車だけでなくトラックや行楽シーズンは何台もの観光バスが乗っているのが普通の状態です。
何故か、一台も車が乗っていなかったのです。

私のような乗船だけの乗客は? と探しましたが見当たらない。
どうやら、私一人で旅客定員490人のフェリーを占有していたようです。
下船の際に、車両甲板をもう一度見ましたが、確かに車もトラックも1台も見当たりませんでした。

嬉しいことに、もう一人、下船していましたので、乗客は2人だったようです。
一日も早く、以前の状態に戻って欲しいと思いました。

◇第8話 開発部門での研修

私は生産技術を希望していましたが、販売実習の後の研修は開発部門にいきました。
工場の製品開発をしている部門に入り、実習を行うのです。
とは言え、製品設計ができる訳でもないので、製品を勉強した程度で終わりました。

3ヶ月ほどだったと思うのですが、何をやっていたのか思い出すことができません。
あまり印象の残る研修ではなかったようです。
でも、印象的だったことが、いくつかありました。

一つは、100名ほどの開発部門で仕事をしていない人たちがいたことです。
3~4人の年配の人たちが、結構広いスペースを占有して座っていました。
朝は新聞をゆっくり読み、昼にはお茶を飲みながら歓談していたのです。
先輩に聞いても、はっきりしたことを教えてくれませんでした。
今になって思えば、定年前の閑職だったのでしょう。

二つ目は、コンピューターを使える人がほとんどいなかったことです。
まだ、パソコンが登場する前なので、オフコンと呼ばれた高額のコンピューターしかなかった時代です。
その開発部門にも、1台導入されましたが、誰も使わないのです。

私は学校で大型コンピューターを使った経験があったので、コンピューターを使えるようにして欲しいと指示を受けました。
誰も使わないのは、もったいないなと思いながら、回路計算のソフトを作ったことを思い出します。

技術があるのかないのか、不思議に感じた研修でした。
仕事を少し甘く考えてしまったようです。
今考えると、この甘さが長い会社人生の中で、結果的にマイナスになってしまいました。

☆私は1981年に仕事をはじめました。もうすぐ40年になります。
 その間に、色々とお世話になったこと、嬉しかったこと、感動したことなどを綴っていきます。
 気楽に読んで下されば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

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◇写真は、瀬戸内海の小豆島と姫路港を結ぶ小豆島フェリーの車両甲板です。
いつもは、たくさんのトラックや乗用車が見えるのですが、1台も乗っていませんでした。