今日も畑の枯れ草や、エダマメやトマトの残骸などを焼く。もちろん今日も消防署に電話をし許可を得た。

担当者から確認を求められたのは、住所、氏名、電話番号、何を燃やすのか、畑の場所、時間など。消防署からの指示は火元を離れないこと、水とスコップを用意することだった。

 

何を燃やすのかに対して、「秋じまい後の枯れ草や野菜の残骸などです」と答える。

担当者は、「枯れ草はよろしいですが、野菜の残骸などは燃やすことはできません。燃えるゴミに出して下さい」

 

「トマトやピーマン、エダマメなど、収穫した後の葉っぱや茎ですよ。それは燃やしてはダメなのですか」

「ダメです」

 

何か勘違いしているのか。消防署員の回答は納得できるものではなかったが、一応「はい、分かりました」と言い、電話を切る。

 

ダメとは言われたが、エダマメ、サツマイモ、トマト、ピーマンなどの残骸を一輪車で運び、火を点けた。コスモス、ヒマワリなど花が散ってしまった後の残骸も燃やした。風上に座り、時々スコップなどでかき混ぜながら燃やした。今年の秋、昨日に続き2度目の秋じまいである。

 

30分ほど経った頃、家族が来て言う。

「さっき消防署から電話があり、野菜は燃えるゴミに出して下さいと言ったのは間違いだった。生ごみと勘違いしたもので、野菜を収穫した後の残骸については燃やしていいって」

 

やはり勘違いだった。すでに燃やしているからいいけど。

 

午前中で終わる予定で届けたが、完全消火まではもう少し時間がかかりそうだ。熾火(おきび)とは炭やまきが燃えきって、白くなりかけた状態のことを言う。手をかざすとまだ十分に熱い。これがすっかり灰になるまで待つのだ。

 

なお、「熾火」には赤く熱した炭火という意味もある。「火をおこす」は「火を熾す」であり、熾(おこ)した火が熾火ということ。幼少の頃、「おきびっこ」と親が言うのを聞いたことがある。「おきり」や「おきりっこ」とも聞こえた。

 

「おきびっこ」あるいは「おきりっこ」は方言だと思っていた。ずっと後になっても、大人になっても「おきびっこ」、「おきりっこ」は沿岸部の方言だと思っていた。

「熾火(おきび)」という言葉を知ったのは恥ずかしながら遠野市に住み、秋じまいで枯葉や枯れ枝を燃やすようになってからである。

 

 

 

熾火